全ての始まりは、須賀勇介さんの本との出会いでした。

この世に手業を生業にしているサービス業はどれぐらいあるのでしょうか?手一つで人を喜ばせたり、疲れを取ったり、美しくしたり、癒やしたり・・・。これってすごいことですよね。

このコラムは、手業を生業にしている美容からヘルスケアの業界の方々にフォーカスをしたプロフェッショナルインタビューです。その人の手が語る物語をお楽しみいただければ幸いです。

モアリジョブ編集部

私の手にしか、できないシゴト。 天久 博一さん

――なぜ、美容師になろうと思ったのですか?

天久 当時ニューヨークで大活躍されていた、須賀勇介さんの本を中学生の時に読んだのがきっかけです。その時は美容師というより、須賀先生を目指したという方が正しいですね(笑)。

先生の本を読んで、漠然とですがニューヨークで美容師として活躍するのいいなって・・・。高校3年生の時には、須賀先生のようになろう、必ずニューヨークに行こうと決めていました。

――美容師になろう!と決めた後すぐにニューヨークに行かれたのですか?

天久 高校を卒業して美容専門学校に行きました。美容専門学校卒業後は、大阪のヘアサロンで4年間働きました。入社後、3ヶ月連続で売上を達成したらニューヨークに行こうと目標設定していました。4年目の最後の3ヶ月で目標を達成したので、ニューヨーク行きを実行しました。

――すごい決断ですね。

天久 そうですね・・・。英語もしゃべれない、親戚も知り合いもいない、ツテも何もない状態でニューヨークに行きました。実家の母親にも日本を発つ1週間ぐらい前に「ニューヨークに行くね」と伝えて(笑)。母親は、すぐに帰ってくるだろうと思っていたみたいなんです。でも僕が帰ったのはそれから8年経ってから。グリーンカードを取るまで帰れませんでした。

――ニューヨークでの生活はいかがでしたか?

天久 日本で貯めたお金で、最初はウィークリーマンション型の安いホテルに住みました。共同のバス、トイレの狭いホテルで、明け方FBIがくるようないかがわしいホテルだったんですよ(笑)。日本との違いに、最初はビックリしましたね。

――英語は最初から話せたんですか?

天久 日本を発つ前に2、3年、英語の勉強をしていました。当時流行った駅前留学してみたり。頑張ったんですけど、ニューヨークでは全く通じませんでした(笑)。

――英語が話せないと生活が大変だったんじゃないんですか?

天久 ニューヨークでは、ボランティアで安く教えてくれる人がいて、その人に英語を教えてもらいました。先生の教え方が上手かったのか、2ヶ月ぐらいで英語が上達しました。

早稲田美容専門学校天久

――ニューヨークではどのようなサロンに勤めていたのですか?

天久 ニューヨークに来たらすぐに勤め先が決まると思っていました(笑)。でも英語が通じなくて、ちゃんと勤められるまでに2年弱かかりましたね。仕事が決まるまでは精神的に参ってしまって、部屋から出られない時期もあり、思い通りにいかなかったですね。これじゃいけないって思って、ニューヨークの若い子に人気のサロンに無理矢理入れてもらいました(笑)。

――無理矢理入れてもらった?

天久 コネもツテもありませんから、毎朝サロンに行ってフロントを掃除したり、窓を拭いたりして顔を覚えてもらう事からはじめました。スタッフ募集していないからダメだって言われながら、毎日、毎日続けました。そんな僕に情が湧いたマネージャが個人的に雇ってくれたんですね。正式な給料なんてもちろんなくて、お金がなくなるとマネージャからお小遣いをもらって生活していました。

――それは大変でしたね。

天久 本当に大変でした。でも人には恵まれていて、そこで知り合ったスタッフに他のサロンを紹介してもらって、スタイリストとして正式採用されました。そこでやっと食べられるようになりました。その時は、サロンワークをやりながら外の撮影の仕事もやっていました。須賀先生に憧れていたので、いつかはイタリアンヴォーグの仕事をやるのを夢見ていましたね。

――サロンを移られてからは順調でしたか?

天久 2店舗目のサロンに勤めている時に、僕のニューヨークの基盤を作ってくれた師でもあるクライブ・サマーズのお店を紹介してもらい、勤めることになりました。
クライブには本当にお世話になって、グリーンカードのスポンサーにもなってもらいました。彼自身、イギリス人ということもあり、また何故か武士道が好きだったみたいで、日本人の僕をかわいがってくれました(笑)。彼にはよく、セレブのパーティーに連れて行ってもらいました。そこで、客ハントのやり方を教わりました。アメリカにはホットペッパービューティのような予約サイトはありませんから、いかに自分が客をハントできるかにかかっているんですね。だから、クライブから教えてもらった集客方法はアメリカで成功していく上でとてもためになりました。

――天久さん自身、どのようにお客様を獲得していったのですか?

天久 勤めていたサロンがフォーシーズンズホテルの前にあったので、指名客を増やすために、ホテルのコンシェルジュをまずハントしました。彼らに名刺を配って、宿泊客から「良い美容室紹介して」って言われたら、僕を紹介するようにお願いしました。彼らにはその見返りに、無料でヘアカットをやるという条件を出して・・・。これが上手くいって、指名客の数がぐっと増えました。思うだけでは何も生まれないので、集客のために積極的に行動していました。

早稲田美容専門学校天久

――ニューヨークという異文化の中でモチベーションを維持しながら仕事をするのは大変でしたか?

天久 モチベーションって僕にはよく分からないんですよね。モチベーションで左右されるようには生きてこなかったので。ニューヨークに行ったばかりの僕は、目の前にあるものをベストな状態に変えるのに必死でした。仕事を探すのにも必死、友達を作るのにも必死、たまにお客様を担当できたら、そのお客様をリピーターにするのにも必死でした。全てに必死で、モチベーションを考える暇も感情もありませんでした。

――今まで仕事を辞めたいと思った事は?

天久 嫌な事もいっぱいありましたけど、それで辞めようと思った事はないですね。でも、別のことをやろうと思って辞めようと思った事はあります。ニューヨークでは、クライブに勤めた後、自分で美容室を始めたんですね。その他に寿司屋やピアノバーなど色々やりました。そのピアノバーをやる時に、経営の面白さを知って、上手くいっていなかった自分の美容室を閉めようかなと・・・。でも自分は美容師なので、お店を閉めちゃいけないと思い結局辞めませんでした。ニューヨークから日本に帰ってきたのも9.11のテロがあってお店がダメになってしまったからなんです。

――毎日お忙しいと思いますが、お休みの日の過ごし方は?

天久 ニューヨーク時代は、日本で働いていた時より時間があるので、友達と野球チーム作って練習や試合をしていました。あとニューヨークに来ていた従弟と漫才もやっていました。月1でお笑いライブをやったり・・・。日本人コミュニティの新聞にも取り上げられて話題にもなったんですよ。
日本に帰ってきてからは、趣味に没頭しています。デスクトップミュージックや最近はスキューバーダイビングと釣りですね。休みの日にゆっくりするのが苦手で・・・。仕事の事を考えてしまってイラッとしたり焦ってみたりしてしまうので、仕事を考えなくても良い環境作りを心がけています。

――色々な経験を既にされていらっしゃいますが、将来の自分はどうなっていると思いますか?

天久 9.11のテロがあって日本に帰らざるを得なかった時に、縁あって教師という道に進みました。なので僕に先生としての価値があるのであれば、今後も教師を続けていると思います。自分の使命は、生徒が「このサロンに就職したい」というのをお手伝いすることだと思っていて、アホみたいに「頑張れ、頑張れ」って言っているんですね。やりたいことに対してサポートしてあげるのが、僕たち教師の役目だと思って毎日生徒と向き合っています。
このごろ、教え子が頭角を現してきて、有名店などで店長をやっていたり、美容師を辞めずに続けている子達が増えてきているのが嬉しいですね。教え子達が頑張って活躍してくれているのを見たり聞いたりすると、サポートした甲斐があったなって嬉しく思います。

――業界や美容師を目指している方に一言お願いします。

天久 もっともっと、ポジティブになってほしいですね。この業界に、魅力がないと、なり手がいなくなっちゃいますからね。
うちの卒業生のOCEANの高木君やAKROSの松本君たちは、メンズカットを開拓しましたよね。そのお陰か業界がとても元気で魅力的になったと思うんですよ。彼らの背中を見て、美容師になりたいという子も年々増えてきて・・・。だから、彼らのような美容師を伸ばしてあげられる業界になったらいいなと思います。イノベーションが美容の業界で起きるとしたら、若い子たちが頭を上げる時じゃないかなと僕は思っています。

座右の銘

School Data

早稲田美容専門学校

学校法人小倉学園 早稲田美容専門学校

東京都新宿区西早稲田2-20-7
03-5291-7731
https://www.wasedabiyo.ac.jp/

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