月8万円で生活しながら学費を貯めて専門学校へ。絶対に成果を出すと決めて柔道整復師の道へ【治療・リラクゼーション・歯科業界のお仕事 鎌谷直也さん】#1

治療、リラクゼーション、歯科業界など、人々の痛みや不調に寄り添う仕事の魅力を紹介する本企画。今回お話を伺うのは東京・東村山、麻布十番に3店舗を構える「KOTURIBA」代表の鎌谷直也さんです。

鎌谷さんは高い技術力と、お客様の体にしっかりと向き合う真摯な姿勢で支持を集め、日本各地から治療に訪れる人がいるほど。

柔道整復師として輝かしい成果を残している鎌谷さんですが、過去には月8万円で生活しながら学費を貯め、コツコツと技術を磨いてきた経験がありました。

前編では漁師を目指した高校時代から、整骨院との出会い、資格取得に向けた努力、そして治療家としての基盤を築くまでの歩みを伺います。

お話を伺ったのは…

鎌谷直也さん

株式会社TOPRAIZE 代表取締役

鹿児島県出身。高校卒業後に上京し、整骨院へ入社。働きながら柔道整復師の資格を取得し、数年で多くの患者様から指名を受ける人気施術者に。2019年4月に独立し、「KOTURIBA」を東京都東村山市の自宅の一室にオープン。たちまち予約が埋まるほど支持を集めるようになる。その後「ここで働きたい」というスタッフが増え、現在は東村山で2店舗、麻布十番で1店舗を運営するまでに成長させている。

インスタグラム

ケガを治療し、人を支える「柔道整復師」の仕事

柔道整復師歴14年になる鎌谷さん。これまでさまざまな経験を積んできた

――まず、柔道整復師の仕事内容について教えてください。

骨折、捻挫、打撲、脱臼といったケガ、いわゆる急性期の症状を治療する仕事です。柔道整復師は主に接骨院で働き、保険診療を行うために必要な資格でもあります。

ただ、僕が今行っているのは保険適用ではない自費診療です。自費の場合は対応できる幅が広がり、日常生活の負担の積み重ねで起こる「亜急性」と呼ばれる症状にも向き合えます。

診療時間をしっかり確保し、睡眠・運動・栄養など生活習慣のアドバイスも行っています。

――現在の鎌谷さんのお仕事についても教えてください。

今も現場に立ちながら、東京・東村山の2店舗と麻布十番の1店舗の経営、スタッフの育成などを行っています。

――鎌谷さんが柔道整復師になろうと思った理由は?

最初から柔道整復師を目指していたわけではありませんでした。僕は鹿児島の生まれで水産高校に通い、卒業後は漁師になるための進路に進む予定だったんです。

でも、家庭の事情で奨学金が借りられないことが卒業間近にわかり、進学も白紙に。そこで母が職業紹介の会社に相談したところ、塩田さんという方が間に入ってくれて、東京の接骨院を紹介してもらいました。

――そこから柔道整復師の道に?

正直、当時の僕にはほかに選択肢がなかったので、一度現場を見に行ってみようと思ったんです。

そして見学したときの現場がとても楽しそうに見え、「せっかく出合えたなら、この仕事を極めたい」と思いました。

――どんな部分が楽しそうに見えたのですか。

「自分の手で誰かを喜ばせられる」と感じたことですね。

僕は祖父母に育てられたのですが、ずっと体の痛みに悩む姿を見てきました。柔道整復師として力をつければ、ふたりの痛みを和らげ、恩返しすることができるかもしれない。そんな思いが芽生えて、まずは5年間東京で修行して鹿児島に戻り、開業するという目標を作りました。

月8万円で暮らしながら、学費を貯めた4年間

学費を貯めるため、切り詰めた生活をしていたという鎌谷さん

――それでは、まずは資格がないまま、働き出したのですね。

はい。整体師として練習を積みながら、電気治療、お客様のご案内などをしながら1年間働き、その間に学費を貯めました。年間120万円が必要だったので、月18万円の給料から10万円を貯金し、8万円で生活していました。

――人暮らしで月8万円の生活は、相当大変だったのではないですか。

朝はふりかけご飯、昼はカップラーメン、夜はカレーという食生活でした。そのカレーは毎週日曜日に1,000円の予算で7食分を作ってタッパーに詰め、冷凍庫に保管していたものです。

――苦しくはなかったですか?

いえ、学校に通い始めてからは楽しかったです。

昼間に学校に通う、いわゆる「中間部」の専門学校に通っていたので、朝から仕事、12時から学校、17時には接骨院に戻って23時くらいまで仕事をする日々でした。電車の往復2時間を勉強時間にあてているような生活でしたが、やればやるだけ自分が成長できるし、「開業する」という目標があったのでがんばれましたね。

本当に苦しかったのは学校に行けず、お金を貯めていた最初の1年間です。

――それはなぜですか?

周りは柔道整復師の学校を卒業して、資格を持って入ってくる人ばっかりなんです。一方の僕は水産高校出身で、先生たちが話している用語すらもまったくわからない。すごく悔しい思いをしていたんです。

毎週日曜日には公立図書館に通って、図鑑や本を読んで体の構造をノートに書き写し、筋肉の名前を覚える日々でした。1日も早く活躍できるようになりたい、いつもそう思っていましたね。

壁だらけの新人時代。心の支えは憧れの先生の存在

柔道整復師の資格を取得したあと、本当の挑戦が始まった

――資格取得後、印象的だった学びはありますか。

前社は社長が職人気質で、技術以前に「施術者のあり方」を徹底的に教育する会社でした。もっとも印象的だったのが、技術は治すためだけではなく、「壊さないために身につけるもの」と教わったことです。

使い方を誤れば患者様を傷つけ、人生を奪ってしまう可能性がある。そうなれば治療家としても終わりです。だから触り方や体重のかけ方などの基礎を徹底的に叩き込まれました。

――なるほど。すぐに結果はついてきましたか。

最初の数年は壁だらけでした。患者様からお金をいただき、頼っていただいているにもかかわらず、当時は毎回、結果を出せるわけではありませんでした。試行錯誤をどんなにしても正解が見つからず、夜も眠れないほど悔しい思いをすることも多かったです。

――どのようにして乗り越えたんですか?

上手な先生に片っ端から相談にいったり、SNSで見つけた治療家にメッセージを送ったりして、たくさんの方々に教えてもらいました。院の代表にも症例を共有し、どこが足りないかを指摘してもらう日々で。症例報告さえもうまくいかなくて、怒られることも多かったです。

――続けられた理由はなんでしょう。

Facebookで知り合った、こんな治療家になりたいと憧れる人がいたからです。周囲と比べて圧倒的に劣ったスタートで、理解してもらえないことも多く、孤独を感じていたのですが、あの先生のようになりたいという一心で、努力を続けられたと思います。

――前職では成果を上げ、指名も多かったとお聞きしました。そのような結果が出せるようになった理由は?

目の前の人を喜ばせることだけを考えてきたからだと思います。それが結果として口コミや紹介として広がっていき、遠方からお越しくださる方も増えていったんです。何か特別なことをしていたわけではありません。

――喜ばせるために、何か意識していることはあるのでしょうか。

僕にとっては患者様の痛みがとれたと感じたり、体が軽くなったと感じるのは当たり前で、それ以上にその人が求めている感情、つまりリラックスしたい、話を聞いてほしいというような要望を理解し、そこに全力で応えることを大切にしてきました。

この仕事の魅力は、患者様に触りながらコミュニケーションを取れる点にあり、施術中の1対1の空間では、普段は話せない悩みや過去のトラウマを共有してくれることもあります。

そうやって患者様が心を開いてくれることで、本当に必要としている価値を提供できるんです。

――コミュニケーションの大切さを知り、それを強化していったと。

はい。前職でその土台を築いてもらったと思っており、とくに僕が初めて務めた院の院長からはコミュニケーションの重要性をとても厳しく指導されました。

そして、何より大切なことは患者様が教えてくれたと今でも思っています。


後編では独立後の鎌谷さんの歩みや、会社として大切にしていることについて伺います。鎌谷さんが一貫して大切にしてきたのは「挑戦する人が報われる社会を作りたい」という思い。そう感じるようになった背景には、独立直後にご兄弟を亡くされた経験があったといいます。


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KOTURIBA-整体院 麻布十番店
住所:東京都港区麻布十番3丁目5-7 麻布カジタ303

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