プロサッカー選手から柔道整復師へ転身。骨折・脱臼の整復という「本業」に向き合い続けた修業時代【治療・リラクゼーション・歯科業界のお仕事 渡邉康隆さん】#1
治療、リラクゼーション、歯科業界など、人々の痛みや不調に寄り添う仕事の魅力を紹介する本企画。今回お話を伺うのは、店舗を持たずに全国を巡りながら施術を行い、ソサイチ(7人制サッカー)の日本代表チームでメディカルトレーナーも務める柔道整復師の渡邉康隆さんです。
元々はプロサッカー選手としてフランスでプレーしていたという渡邉さん。ケガをした際に受けたトレーナーのケアが、「選手を支える側の仕事」を志すきっかけになったといいます。
カイロプラクターとしての経験を経て柔道整復師の資格を取得。さらに渡邉さんが柔道整復師の本業としてこだわった「整復」の技術を極めるべく、徳島県の接骨院で2年間の修業に励みました。
お話を伺ったのは…
渡邉康隆さん
CTL medical 整体院 院長 柔道整復師/カイロプラクター
高校卒業後、フランスで約6年半プロサッカー選手としてプレー。ケガの際に受けたトレーナーのサポートをきっかけに、選手を支える側の仕事を志す。カイロプラクターを経て柔道整復師の資格を取得し、徳島県の接骨院で2年間外傷の臨床に従事。その後、東京・町田で開業し、口コミのみで瞬く間に人気院へと成長させた。現在は、ソサイチ日本代表をはじめとするアスリート・代表チームのメディカルサポート、セルフケア商品の監修など活動の幅を広げながら、店舗を持たず全国を巡回する独自のスタイルで柔道整復師として活躍している。
患者様や選手の人生そのものを変えられる、柔道整復師の仕事

――まず、柔道整復師の仕事内容について教えてください。
骨折、捻挫、打撲、脱臼といったケガに対して施術や整復を行う仕事です。「整復」とは外れたり、ズレてしまった骨や関節を、レントゲンを使わずに手探りで探し、元の正しい位置へ戻す技術のことを指します。
整復が適切にできるかどうかで、その後の回復スピードや後遺症の有無が左右されることもあり、非常に重要な施術です。ただ近年は整復を行える柔道整復師が少なくなっており、僕自身は柔道整復師の本業ともいえるこの技術を大切にしてきました。
――柔道整復師が担う責任の大きさが伝わってきます。
はい。そして少し大げさに聞こえるかもしれませんが、柔道整復師という仕事は患者様や選手の人生そのものを変えられる可能性を秘めていると考えています。
長年の不調が改善されれば人生に対して前向きになれますし、アスリートにとってケガの改善は競技人生を左右する重要な要素です。そう考えると、人生に大きな影響を与える仕事だと感じています。
――現在の渡邉さんのお仕事についても教えてください。
以前は治療院を構えていましたが、今は「自由に働く」というモットーを掲げ、出張施術のみで活動しています。東京、神奈川、名古屋、大阪、神戸、福岡、沖縄本島、宮古島、久高島など1ヶ月のなかで全国を巡り、3ヶ月に一度はタイや台湾にも足を運んでいます。
またソサイチ日本代表や、沖縄のエナジック高校陸上部のメディカルサポートを担当するなど、アスリートのメディカル面のサポートも活動の大きな柱です。
プロサッカー選手からの転身。カイロプラクターを経て、柔道整復師へ
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――ここからは、これまでの歩みについて伺います。まず柔道整復師を目指した理由は?
最初から柔道整復師を目指していたわけではありませんでした。僕は小さいころからサッカーを続けていて、高校卒業後はフランスでプロとしてプレーをしていたんです。
そのときにケガをした際、トレーナーの方に支えてもらった経験があり、「次に就く仕事は、選手を支える側になりたい」と考えるようになりました。
また、「次に大きなケガをしたら引退しよう」と決めていたこともあって、28歳でサッカー選手を引退。帰国後はまずカイロプラクティックの学校に進み、卒業後はクリニックのリハビリ科に正社員として入ることができました。
――最初はカイロプラクターとしての道を進まれたのですね。
はい。ただ、リハビリ科で働くうちにいくつかの疑問が生まれました。当時は「医師の診断がすべて正しい」と思い込んでいましたが、毎日のように同じ患者様が来院している状況を見て、「本当に改善しているのだろうか」と感じるようになったんです。
――はがゆい思いをされていた、と。
ええ。そこで自分でも学びを深めようと考えました。20年ほど前の当時、今のように外部セミナーは充実していなかったのですが、知り合いの理学療法士の先生が開催していた勉強会に参加するようになり、そこで学んだ施術を外来で実践すると、患者様の反応がとてもよかったんです。
その経験から「いつか自分の治療院を持ちたい」という思いが芽生えました。柔道整復師なら開業権があり、外傷にも対応できるため、アスリートのサポートにもつながると感じて、資格取得を目指すようになりました。
――その後、専門学校に進んで資格を取得したのですね?
はい。午前中は柔道整復師の専門学校で学び、午後は整形外科で働くという生活を3年間続けました。当時すでに20代後半だったので、勉強は正直大変でしたね。
さらに、在籍していた学校は国家試験合格率100%を目指していて、国家試験よりも難しいといわれる卒業試験がありました。
――国家試験より難しいテスト!?
ええ(笑)。国家試験は4択形式で1つの正解を選びますが、学校独自の卒業試験は4択のなかに正解が0〜4個あるという形式で。2回ある試験の1回目では、9割以上が不合格になるほど厳しいものでした。
当然僕も不合格になり、次の試験までの2週間は、朝9時から夜9時までの強制補講を受ける必要が。この期間は本当にきつかったです。
――それは相当ですね…。
ただ、この卒業試験を通ってしまえば、本番の国家試験は本当に楽なもので。試験の制限時間は2時間ですが、40分経つと退出可能で、同じ学校の同級生たちのほとんどが40分ほどで退出していました。
3年間の学校生活のなかで、国家試験の日が唯一「この学校に通ってよかった」と心から思えた瞬間でしたね。
柔道整復師として絶対に外せなかった「整復」の修行
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――柔道整復師の資格を取得したあとは?
徳島県にある接骨院に就職しました。というのも、整復をしっかり学べる環境を探していたのですが、当時、整復を扱う整骨院は全国的にもほとんど残っていませんでした。そのなかで、やっと見つけたのが徳島の接骨院だったんです。
――整復の修行にこだわった理由は?
柔道整復師が扱う技術のなかでも、整復は専門性の高い分野。一方で当時も今も、整復を実践する院は少なく、技術を継承する人も減っている状況です。だからこの技術をしっかり身につけ、勝負したいという思いがあったんです。
そこで「ここで2年間学んだら独立する」と決めて、徳島に向かいました。
――修行が始まったころのことを、教えてください。
資格を取ったばかりで、最初は本当に何もできず、つらい日々でした。患者様の多い治療院でしたが、僕が任せてもらえたのは、タオル掛けなどの簡単な作業だけ。テーピングすら満足に巻けませんでした。
整復については、途中から補助として入らせてもらうようになったんです。麻酔を使わない整復は、補助がしっかり押さえないと痛みで患者様が動いてしまい、うまくいきません。
「しっかり押さえろ!」と怒られながら、必死に食らいついていましたね。そして何より、本物の整復を間近で見ることができ、「まやかしではない、本物の技術だ」と強く実感しました。
――渡邉さんも徐々に整復をマスターしていったのですか?
はい。最初は整復がとても怖かったですが、先生に「一番怖い思いをしているのは患者さんだ。お前が怖がっている場合じゃない」と言われ、その言葉は今でも忘れられません。
その整骨院は整復を学ぶには最高の環境でした。柔道場でケガが起きれば、隣接する内科でレントゲンを撮り、整骨院で整復し、再びレントゲンで確認する。施術と検証を繰り返せる、非常に貴重な現場だったんです。
約束の2年間をやりきり、その後は東京に戻って開業することを決めました。
後編では渡邉さんの開業後について伺います。開業場所に選んだのは、東京・町田。「この環境で成功できなければ、どこへ行っても通用しない」という強い覚悟のもと、駅から徒歩25分の物件で、看板も出さずに勝負することを決めたといいます。
結果として開業からわずか2週間で1日30名が来院する人気院へと成長させたそうです。
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