自分の価値や武器を見出そうと模索した20代。恩師と同じ道を目指して30歳で独立【AIN.ANLY. 黒山慶司さん】#1
表参道と明治神宮前に店舗を構えるAIN.ANLY.(エインアンリー)は、「ヘアスタイルを通してライフスタイルをより豊かにしたい」という思いが込められたサロン。おしゃれ感と再現性の高さを兼ね備えた髪型を求めて、幅広い世代のお客様が訪れています。
今回はそんなAIN.ANLY.を率いる代表のひとり、黒山慶司さんにインタビュー。前編では、専門学生時代のエピソードやスタイリストデビュー後のモヤモヤ期のお話、自分の武器をどのように打ち出したかなど、独立を決意するに至るまでの道のりをお聞きしました。
お話を伺ったのは…
AIN.ANLY.
代表・美容師 黒山慶司さん
2012年にapish入社。3年6ヶ月でスタイリストデビューし、2018年にapish omotesando店長に就任。サロンワークや雑誌の撮影、セミナー講師など幅広く活動し、2020年12月に独立して「ANLY.(アンリー)」を立ち上げる。2023年1月、先に始動していた「AIN.(エイン)」の長谷川裕二氏とともに株式会社AAを設立し、サロン名を「AIN.ANLY.」と改める。2024年3月、大阪にLENORAをオープン。
KUROYAMA’S PROFILE
お名前 |
黒山慶司 |
|---|---|
出身地 |
大阪府 |
出身学校 |
関西美容専門学校 |
趣味・ハマっていること |
サーフィン、トレーニング |
憧れの人 |
apishの坂巻哲也、イチロー、本田圭佑 |
ライバルと切磋琢磨した専門学生時代に、憧れのサロンと出会う

——美容師になりたいと思ったきっかけは何ですか。
初めて美容院に行った時に、自分の父親と同世代の美容師がすごくかっこよく見えたのがきっかけです。もともと祖母が美容師で、僕が高校生の頃に母親も通信で美容を学び、家で練習していたんですよ。それを間近で見ていたというのもあり、自然と地元の美容専門学校に進みました。
——その時は上京しようと思わなかったですか。
一切考えていなかったですね。初めは将来の美容師像とか憧れとか全然なくて、美容に対して上京するほどの思い入れや熱量はなかったんです。
——美容への熱量が高まったのはいつ頃?
専門学校に入って2、3ヶ月目に実技のテストがあり、僕は300人中の80位くらいでした。一緒にスタートしたのにこんなに差が開くのかと愕然としたのと同時に、まだ巻き返せると思いました。そこからすごく練習するようになったのを覚えています。
——巻き返しを図れましたか。
すぐに結果が出るタイプではなかったですが、コツコツ地道に練習を続けていたら2番まで上がれました。一度だけ同率1位を獲れたものの、最後までずーっと2番でしたね。今考えると、1番だと調子に乗ってしまったかも(笑)。悔しさも残しつつ頑張れる状況がよかったんだと思います。
——就職活動では一途にapishを志望し、合格されたとか。
専門学校ではいろいろなサロンさんのセミナーを受ける機会があったのですが、1年生の10月にapishのセミナーのステージで髪をカットしてもらったんです。そこでまず憧れを抱き、翌年1月の会社説明会で志望を決めました。その後何度か店にも足を運び、スタッフの皆さんの生き生きとした姿やアットホームな雰囲気に惹かれて、働きたいという気持ちがより強くなりましたね。
オールラウンダーでありつつ、パーマを自身の軸にして躍進

——スタイリストデビューがかなり早かったそうですね。
その当時のapish最速でした。5年くらいが平均のところ、3年半でデビューしたので。アシスタント1年目は、忙しすぎたのとわからないことだらけだったのとで、まったく記憶がありません。2年目から3年目は、毎朝毎晩の練習と、そのためのモデルハントをひたすら繰り返す生活でした。
とにかくスタイリストデビューという目標に向かって、それだけに集中していたんでしょうね。可愛がってくれた先輩に「本当に自分のことしかしない人だ」とずっと言われていました(笑)。
——周りより早くデビューして、その後はいかがでしたか。
美容師として売れたいという気持ちと、自分だけの唯一無二のデザインを作りたいという思いの間で、すごく葛藤している時期がありました。いわゆる一般ウケするヘアスタイルを作る方がお客様からの支持は上がり、売れるという目標には近づきます。でも、ヘアコンテストに挑戦して結果を出すのは、またちょっと方向が違う。自分はどっちをやりたいのか迷っていたんですね。
撮影などいろいろなチャンスをいただきながらも、普段のサロンワークになるとなかなかお客様がつかなくて、1年半くらいモヤモヤした感じが続きました。
——モヤモヤ期を抜け出せたのは、何かきっかけがあったのですか。
スタイリストになってからもたくさんの先輩にレッスンしていただいたり、自分でモデルハントをして練習したりと、地道に続けたというのがベースにあると思います。あとは、スタイリスト2、3年目の頃に「フレアパーマ」を打ち出したことでお客様が増え、気持ち的に少し余裕が出たのもひとつのきっかけです。
——「フレアパーマ」はどのように生まれたのでしょうか。
お客様を施術することで腕が磨かれていくと実感していたので、やっぱりお客様を増やす必要がある。そのためにはほかと被らない自分の武器を見つけて、自分の価値を見出したいという思いがありました。
ちょうど、インスタグラムがバーッと広まった時だったんですよ。ほかの美容師のインスタを見ると、カラーを上手くアピールしている人がたくさんいました。ならば僕はパーマに狙いを定めよう、と。従来のパーマのイメージとは違う、コテで巻いたようなパーマで差別化を図り、発信を始めたんですね。
——ネーミングも印象的ですよね。ふわっと柔らかい感じがして。
コテで巻いた時のAラインシルエットのデザインから、「フレア」という言葉が浮かびました。そういうパーマ自体はすでにあったと思いますが、はっきり名前をつけて打ち出している人はあまりいなかったので、わかりやすいという点もよかったのかもしれません。
——もともとパーマが得意なジャンルだったんですか。
スタイリストデビューしたての頃は、ショートカットやハイライトカラーを得意としていました。それ以外の技術も特に苦手なものはなく、どの世代のお客様に対してもオールマイティな美容師を目指していたんですよ。ただ、何でもできるだけでは勝てないというのを感じて、自分の軸となるものをひとつ決めようと思い、力を入れたのがパーマだったんです。
尊敬する人と同じ目線に立ちたくて、独立開業を決意

——サロンワークをしながら、外部の仕事もたくさん経験されたと思います。そこで得たことは何でしょうか。
技術力だったり売り上げだったり、どうしてもサロン内だけ、自分たちの枠の中だけで測りがちなところがあると思います。でも外部の仕事をすることで、他店の美容師さんの凄さを目の当たりにすることが多々ありました。デザインの幅の広さもすごく感じることができ、勉強になりましたね。
——apishでは店長も務められましたが、そういう責任ある立場を通して学んだことはありますか。
自分の行動ひとつで下の子たちの方向性も決まるということを学びましたし、自分自身が常に進化していないと、店の勢いも停滞してしまうと感じました。だからこそ、周りの人を大事にすることや、何でも自分がいち早くチャレンジすることを意識するようになりました。今にもつながる基本であり、大切なことを経験できたと思います。
——apishには何年ほど在籍されたのでしょうか。
丸10年ですね。8年経った頃に辞める意志を坂巻さん(apish創業者・坂巻哲也さん)に伝えたのですが、「あと2年いてほしい」と言っていただいたのと同時に、その2年の間に後輩をもっと目に見えて成長させるという課題を与えられました。これには、今後の自分の方向性をじっくり考えられるようにという、坂巻さんの愛情もあったのだと思います。
いろいろな課題を自分なりにやり遂げて、独立したという流れですね。初めは長いかもしれないと思った2年も、実際はあっという間でした。
——いずれ自分の店を持ちたいという思いは、昔からあったのですか。
いえ、全然!店長としていろいろな経験をさせていただいた時に、次のステップを考えるようになりました。尊敬する坂巻さんのような人になりたいと思ったからこそ、同じ目線に立ちたい。そのために同じ道を歩もうと決めたんです。
次回の後編では、独立して「ANLY.」をオープンしたお話や、同志である長谷川裕二さんの「AIN.」との統合、現在のお店作りでこだわっていることなどを伺います。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子
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AIN.ANLY.omotesando
住所:東京都港区南青山3-8-2 青山OGビル4F
TEL:03-6447-0620
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