すべては仕事をしてお金を稼ぐために 私の履歴書 Vol.15【美容師 三科光平】#1

今、美容業界の最前線を走るOCEAN TOKYO。「変わりたい!」という強い想いを抱えたメンズたちが全国各地から来店しています。今回は、OCEAN TOKYO Harajuku代表取締役であり、美容師としても予約困難なほどの人気を誇るスタイリスト・三科光平さんにお話を伺いました。前編では、子ども時代や美容学校での生活を振り返っていただきました。同期との馴れ合いを求めず、怒号が飛び交う先輩ばかりの厳しい環境をあえて選択してきたという三科さん。落ち着いた口調、理知的な言動の中には、学生時代から抱いてきた野心が隠れていました。

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幼少時代~美容学校生活

外で泥だらけになって遊んでいる子どもでした

――幼少時代についてお聞かせください。

3人兄弟の末っ子で、兄と姉とも年が離れていたので、すごく甘やかされて育ちました。実家が自営業で親が共働きだった上に、兄弟の年齢が離れていたこともあり、買ってもらったゲームで遊んだりテレビを観たりと、一人の時間が多かったです。

――性格的にはどのようなお子さんだったのですか?

保育園の頃は、一人遊びが多かったせいか、すごく人見知りで自分の世界に入ってしまう性格でした。小学生の頃は、運動が好きで夕方まで泥だらけになるほどよく遊んでいました。

――美容に目覚めたのはいつ頃ですか?

小学5、6年生くらいのときですね。兄が美容室に行くときに連れて行ってもらったことがあって、そこでワックスをつけてヘアセットしてもらったことで興味を持ちました。ネットで調べたら出てくるという時代ではなかったので、兄が持っている雑誌を読んでいたことで、美容への興味が一層深まりましたね。

――ファッションや流行にも敏感だったのですか?

全然です(笑)。学校では制服しか着ないですし、部活のときはジャージだったので、ファッションには興味を持ちませんでした。しかし、髪型だけはこだわっていましたね。

――髪型については学校の先生は厳しかったんじゃないですか?

中学・高校と校則が厳しい学校だったので、よく学校でシャンプーさせられていましたね。それでも、セットは毎日欠かさずしていました。 

――美容師を目指すきっかけについて教えてください。

主な動機というと、実家を継ぎたくなかったことです。あとは、本当に勉強が嫌いで…。両親からは大学に行くように薦められたのですが、大学には行きたいと思っていませんでした。当時、一番興味があったのがヘアセットだったことと、いつも担当してもらっていた美容師さんの「美容師は頭が悪くてもなれるよ」という言葉を鵜呑みにして、「勉強しなくていいなら…」と、とりあえず美容師になろうと決めました。

――実際に美容学校に入ってみていかがでしたか?

正直面白くはなかったです。カットとヘアには興味がありましたが、その他のことには全く興味がなかったんです。友達関係も悪かった訳ではないのですが、同期と話していても参考になるようなことは得られないと思っていました。美容師になってからはあまり関わらなくなるだろうなと思いながら接していました。

――友達と遊んだりしたことはありましたか?

数えられるくらいです。それよりも、人脈を広げることをメインに時間を使っていましたね。サロンモデルや読者モデルをやっていたので、そこで美容師さんやモデルさんと交流を深めていたんです。就職活動を有利にするためや、スタイリストデビューしたときにモデル選びに困らないよう人脈をコツコツと広げていました。

――美容学校での2年間をみっちり人脈作りに費やしたのですね!

実際に、そのおかげで就職活動が有利になりましたし、雑誌の撮影を担当する実力のある美容師さんの技術や接客を、どの美容学校生よりも学べたと思います。美容学生時代の2年間で約400~500のサロンを見てきたことが、今にも繋がっています。

――仕事をしてお金を稼ぐための道のりを、学生の頃からきっちりと組み立てていたのですね。

両親が地元ではけっこう大きなお店を経営していたので、年収もそれなりに高かったんですが、どうしても両親の年収は超えたいなと思っていました。学校生活もそうですが、何をするにもお金に結び付くことをしていたかったんです。別に、何かにお金を使って贅沢したいわけではなく、結果が欲しかったんですよね。両親と過ごす時間が少なく褒められた経験があまりなかったので、周囲に認められたいという気持ちが強かったのかもしれないです。

アシスタント時代

先輩たちの中でどうやってのし上ろうかと考えていました

――たくさんの美容室を見ていた中で、一社目を決めた理由は何ですか?

いくつか決め手はありますが、モデルで伺った際に、すごい怒鳴り声が聞こえてきて、指導が厳しい職場だとわかったのですが、自分は厳しい環境に身を置きたいと思ったことです。次にそのサロンでは新卒採用をしておらず、同期がいない環境でその分手厚く指導を受けられると思ったからです。あと、これは秘密にしていましたが、有名メンズ雑誌の編集長がカットで来店していたので、その点も魅力に感じて決めました。

――最短の道を選ばれたわけですね。一方で、知名度のある状態で入社されましたが、周囲の美容師さんからの見られ方はどうでしたか?

当時、サロンモデルから美容師になった人はすぐに辞めてしまったり、知名度だけでスタイリストに上げさせられていたために実力が伴っていないと言われたりしていたんです。そのため、周囲の美容師さんから「いつまで持つんだろう」と思われている感覚が常にありましたね。サロンモデル上がりだからと見下されるのがすごく嫌だったので、美容師としての実力を認めさせられるように行動しました。知識や技術をSNSで発信したり、ヘアカタログでランキングを取ったり、巻頭企画を取ろうとしたり。色々と取り組みましたよ。 

――下積み時代、心を削られそうになったことはありますか?

入社初日に衝撃を受けました。習ってもいないカラーリングやカラー流しをすることになり、お客様の目の前でオーナーに怒られながらやったことがありました。そのこともあり、いつ何をさせられるのか毎日ヒヤヒヤしていましたね。ただ、辞めたいと思ったことは一度もないです。

――今やっていることが、将来にどうつながるのか不安に思うことはなかったのですか?

目的が明確だったのでそれはなかったですね。一社目では、自分以外はみんな先輩だったのですが、どうやってのし上ろうかと常に考えていました。「このサロンで早く一番になれることって何だろう?」などと考えたときに、技術は無理でも知識なら勝てると思ったんです。美容業界誌を片っ端から読み込み常にインプットしていました。そんな風に、置かれた環境の中で自分が一番になれるものを徐々に増やしていくことだけを考えていました。

――スタイリストになられたのは美容学校卒業の2年後だそうで。デビューが早いなという印象です。

オーナーに「何年でスタイリストになりたい?」と聞かれて、「2年でなりたいです」と答えたんですよ。オーナーがその約束を守ってくれたことと、自分がつくった目標を達成できるように毎日必死に考えながらやっていたことのおかげで、何とか2年に間に合わせることができたんです。オーナーは僕が早くデビューしたがっていることや、自分のタイプを感じ取ってくれていたんだと思います。今だからわかる愛情ですね。

目的を明確にし、必要な準備を怠らなかった三科さん。美容師となっても不安を感じず、ひたすら前を見つめてきたようです。後編では、OCEAN TOKYOトップとしての苦悩や美容業界の課題について伺います。

▽後編はこちら▽
綺麗ごとではない、貪欲な野心を持って 私の履歴書Vol.15【美容師 三科光平】#2>>

取材・原文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/中村早

Salon Data

OCEAN TOKYO Harajuku

住所:東京都渋谷区神宮前4-32-13 JPR 神宮前 432ビル 6階
営業時間:11:00~20:00(18:30)
定休日:月・第二火
三科光平 インスタグラム:@mishina.kohei
https://www.instagram.com/mishina.kohei/?hl=ja

 

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