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コラム・特集 2020-04-29

女性としての挑戦が始まりました。私の履歴書Vol.23【ACQUA 小村順子さん】#1

日本を代表する有名サロンACQUAのクリエイティブディレクター・小村順子さん。これまで約25年ACQUAに勤め、日本を代表する女性美容師として第一線で活躍し続けてきました。美容師になろうと思ったきっかけは、直感で決めたとか!? 美容師を目指すきっかけやACQUAに入社した当時の思い出などをお届けします。

OMURA’S PROFILE

幼少時代〜専門学校時代

たまたまひらめいたのが美容師という職業だったんです

——幼少期はどのように過ごしていましたか。

なんとなく小さい頃から人と同じことをするのが嫌だったことは覚えています。みんなお遊戯をしているから、やらなきゃいけないとか。今、この遊びをしなきゃいけないとか決められるのがあんまり好きじゃなかった記憶があります。また、物心つく前かついた時から「綺麗なもの」に対しての感度がすごく高かったです。幼稚園の先生にお姫様の絵を描いてもらったり、父親も絵が上手だったので描いてもらって眺めるのがすごく好きでした。

私自身、すごく目立つほうではなかったのですが、卒業文集や学級新聞を任せられたり、運動会で振りつけを考えたりすることも多かったです。振り返ってみるとモノづくりやプロデュースに関して、今に繋がる部分が小さい頃からすでにあったかもしれないです。

——綺麗なものが好きで美容師を目指したのでしょうか。

綺麗なものイコール美容・美容師という考えは、無関係だったんです。割と人生に息つまってしまって「美容師」という職業が直感で降りてきました。17歳の時だったんですけど、「自分の人生は自分で切り開いていく」という人生の目標を決めました。裕福な家庭でもなかったので、自分の人生を切り開いていけるような、自分が頑張ったら頑張った分だけの可能性が広がる人生にしたいなと思ったんです。そこでひらめいたのがたまたま「美容師」という職業だったんです。

——ひらめいて美容師になりたいと思ったのもすごいですね!

そうなんです。美容師の友人に相談したら、「美容師は大変だからやめたほうがいいよ」って全員に言われたんです。だけど、周りから反対されてまで自分の気持ちを折るほどではなかったですね。後で考えてみたら、自分の素質と合っていたのが美容師だったというのはたまたま偶然。当時は本当にひらめきだったんです! 記憶だと、小学校4年生くらいまで人生で一度も髪を切ったことがなかったくらい「美容師」という仕事とは縁がなかったと思います。

——美容師になると決めてからご両親や周りに反対されたのでしょうか。

反対したのは美容師の友人だけなんです。両親が信頼してくれたという部分があるので、道をそれずにちゃんと来れたっていうのはあると思います。

——高校を卒業されて専門学校に入られましたか。

そうですね。本当は通信制に行きたかったのですが、通信だとどこも雇ってもらえず……。昼間に学校へ行かないと、埒が明かないなと思って、そこからバイトとかしてお金を貯めて昼間の美容学校に行きました。当時は、学校が終わったらバイトしてそこから自分の家の手伝いをしてというサイクルだったので、毎日家に帰るのが12時とか。とてもハードでしたね。

——その生活は自分の中で苦だったのでしょうか。

腹をくくっていたので、嫌だなという感情はなかったです。ただ本当に目の前のことを一生懸命やっていました。

新卒〜アシスタント時代

1番最初に就職したサロンは自分を作ってくれる魂の部分です

——卒業後、1社目はどのように決めたのでしょうか。

地元の美容学校に行ったので、地元の島根で働く気でいたんです。ところが美容学校の担任の先生が「あんたは東京へ行ったほうがいいよ」と言われて。そこが一つ目の転機だったと思います。先生に言われなかったら東京に行こうなんて思ったこともないし、東京に対する憧れもなかったんです。東京なんて別世界だと思っていましたから。でもその担任の先生の一言がきっかけで自分の中のスイッチが変わりました。

1社目はACQUAではなく、学校の紹介で就職したサロンです。当時のエピソードとしては、田舎から出るのが嫌すぎて、就職する日の当日の朝に東京へ到着するぐらい(笑)。寝台列車でも泣き腫らしたのですが、朝起きて東京に着いた時にとっても明るい太陽が目の前に降り注いだんですね。その太陽を見た瞬間になぜかスッと心が切り替わったんです。今でもその太陽が私の頭と心の中に焼き付いています。この時に見た太陽も原動力の一つです。

——1社目はどのように過ごされましたか。

先輩や同期も仲が良く、本当にすごく居心地の良いお店でした。そこでは約4年半務めました。特に記憶に残っているのが、3年目の社内カットコンテスト。自分の中では余裕で思い通りの作品を作れたと思い、絶対に入賞するだろうと思ったんです。でもなぜか入賞しなくて……。人前ではばからず号泣した思い出があります。

ただそのときに専務から言われた「お前は詰めが甘いんだよ」という一言でスッと腑に落ちました。そのときはすごく悔しかったんですが、カットコンテストだから綺麗にカットできていればいいかというとそれは違って、トータルバランスが大事ということに気づかされました。大きな失敗から逆にすごく大きなことを学んだんですよね。未だに何十年たっても「詰めが甘い」を常に課題にしています。

私はACQUAに勤めて約25年経つのですが、1社目はそれに匹敵するくらいいろんなことを学べたので、最初に入るお店は自分を作ってくれる魂の部分でとっても大事だと思います。なので、最初のお店選びはないがしろにしないほうがいいと思います。

——当時はどういう想いで働いていたのでしょうか。

本当に上手くなりたいという想いだけです。今日の一日を一生懸命やるとか、課題を一生懸命やるとか、何か向上心の塊みたいなところがあって、とにかく上手くなりたいというその一心でした。美容師の仕事っていろんな側面があって、技術職でもあるし、ファッションの部分やサービス業でもあるし、コミュニケーションをとる仕事でもある。美容師の仕事って、接客や技術やなんでもなにか必要な要素が一個でも備わっていれば必ず芽が出るんですね。全部揃っていなくてもいいんです。

今の時代、2、3年くらいで辞めてしまう人も多くて……。一人前になるのってやっぱり20年かかるんですよ。10年経って芽が出て、その先が大事なんです。目の前のことに集中していれば、あとは勝手に扉が開くと思います。

ACQUA入社当時

女性としてのチャレンジが始まりました

——2社目をACQUAに選んだ理由は?

トレンドを自ら発信できるような、チャレンジできるサロンを探していたところ友人にACQUAが求人を出している情報を教えてもらい面接を受けました。当時はまだまだ知名度もなく、人も少なく、歴史も浅く発展途上だったんです。これから伸びていきそうなところがいいなと思い受けましたね。その方が何か自分の役割がありそうな気がして。面接を受けていく次第に、なぜか沸々と「ここに絶対入りたい!」と感じた記憶があります。

——ACQUA入社当時の思い出を教えてください。

当時は毎日殺伐としていて、中途とはいえゼロからのスタートだったので、3ヶ月くらいは本当に嫌で嫌で仕方がなかったんです。早く技術者にならなきゃと思い、一生懸命頑張っていました。中途という事もあり、プレッシャーもありましたが、素晴らしい上司や仲間に恵まれ、技術的にも人間的にも多くを学ぶ事が出来ました。ありがたいことに、とにかく色んな仕事を与えてもらって、自分の力量以上の仕事をさせてもらったと思います。

ACQUAで技術者になるまでには2年かかったんです。その2年の間に女性の技術者が一人もいなくなってしまったことも。その時に「なんで女性は通用しないんだろう」という疑問が漠然とありました。そこから、女性の私がどこまでできるかという自分の中でのチャレンジが始まったような気がします。より一層技術を磨く、うまくなるということをさらに意識するようになりました。いろんな人と接しているうちに男性だからとか女性だからとかじゃなくて、人としてどうあるべきかみたいなことを考えるようにもなりました。

▽後編はこちら▽
誰にも負けない情熱が。私の履歴書Vol.23【ACQUA 小村順子さん】#2>>

撮影/三好宣弘(STUDIO60)
取材・文/梅澤 暁

Store Data

ACQUA表参道店

住所:東京都渋谷区神宮前5-2-14 ゲートスクエアビル2F
TEL:03-3400-8585
URL:http://acqua.co.jp/

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