絶対続けるという強い意志のもと働き続けました。私の履歴書 Vol.24【UMiTOS 砂原由弥さん】#1
人気芸能人のヘアメイクを担当し、多くの有名俳優から熱い支持を得る砂原由弥(通称:ちょきみ)さん。表参道UMiTOS(ウミトス)」と千葉県の南房総市にある「海と砂原美容室」代表でもあります。サロンワークをしながら、ヘアメイクの仕事もする多忙な日々を送っていた砂原さん。ハードでも絶対に続けるという想い一心でがむしゃらに仕事をしていたそう。前編では砂原さんの生い立ちやアシスタント時代の話について伺いました。
SUNAHARA’S PROFILE
幼少期
小さい頃から他者がいかに快適に過ごせるかを考えていました
――幼少時代やご両親の話を聞かせてください。
母はもともと地域で人気のある美容師でした。着物の着付けにおいてはかなりハイレベルの技術を持っていて、いわゆるオタクのような感じ(笑)。小さい頃はよく自分が着付けのモデルをやってあげていたんですけど、どうしても私のウエストが細いので、柱と私をくくりつけて……。帯の締め方を何パターンも作り込んでいるのを見てきました。子供ながらに「こういう風にこだわっていくんだな〜」と母親の職人としてのクリエティブな一面は見てきました。そういう母の一つのものに没頭しながら経験を広げていく姿を見て、すごく教わっていました。
――もともとお母さまが美容室を営んでいたんですね。
そうなんです。自分の家の敷地内に戸建てのサロンもありましたし、そこに集うたくさんのお客様がいらっしゃるのを見ていました。幼い心ながら自分が美容室に行って、どういう風にお客様に接すればご迷惑にならないかっていうのを考えていました。例えば、お客様の年齢にあわせてお菓子を配ったり、おばあちゃんだったらミカンを持って行くとか。小さなお客様がいらっしゃったら、ヤクルトを持っていくとか。小さい頃から自分がどうしたらその場に混ざれるか公的に考えていたと思います。自分の存在を他者から見てどういう風に受け入れられているか、美容の中でもそういった心理的なことを考えながら育ってきました。
――お母さまの姿を見て、美容の道へ進むと決めたのでしょうか。
きっとそうですね。小学校の文集に「美容師になる」と書いていたくらいなので。逆に父は鉄道マンでした。だからすごいマニアックで機械に強くて、それこそクリエイティブな感じ。車も凝っていたし、アトリエみたいなのも作っていました(笑)。
――ご両親からクリエティブな部分を受け継いでいるのですね。
受け継いでいたらいいですけどね。美容業が忙しい母は、祖父母の自宅介護をしながら毎日8品とか料理を作っていましたし、すごい働き者じゃないと成せないというか。今思えば、大変だから楽にするためにクリエイティブにしていたかもしれないし。俵コロッケやエビフライとかの揚げ物もすごくきれいに作っていたんですよ。私のいとこも毎日泊りに来て、母が作った料理を「きれいだね」と言うほど。いとこであれ他者の声を聞くと、親の工夫をするという部分に気づけたのかもしれないですね。
アシスタント時代
ハードながらも楽しく自分らしく仕事に向き合っていました
――専門学校に入られてからはどうでしたか。
そうですね。美容師を継ぐつもりだったので、レールに乗るために行っている感じ。でもやっぱり好きな教科もあったし、純粋に楽しんでいたと思います。
――アシスタント時代はどのように過ごしましたか。
その当時なかなか入れない人気サロンに入らせていただくことができたんです。エリートな美容師さんたちを見て憧れましたし、特にインテリジェンスを伝えてくださる美容師の方が多かったので、毎日そこに居合わせるための努力が必要でした。みなさんいい意味で人に慣れていて、人に対してプロフェッショナルだったと思います。そういう素晴らしい人たちに教えていただけたというのは、自分にとっての財産です。
――そのあと、別のサロンへ就職されたのでしょうか。
はい。2社目のサロンは、入社した当時は社員が10名ほど。それが、5年くらいで100人くらいまでに急成長。そこでは、店長を勤めたのでお世話になったサロンであります。
――だいぶハードでしたね。2社目のサロンでは、どのような仕事の向き合い方をしていましたか。
自分らしくいただけですね。自分らしく美容に向き合うことができてやらせていただいたサロンだったと思います。創作のテイストが周りと違かったんですけど、ヘアショーとかは先頭に立ってやらせていただけたので、自分の能力を発揮できたと思います。店長とかの管理職をやりつつ個人的な撮影依頼やヘアメイクの仕事とかもあったので、朝も夜も寝ていなかったと思います。ただ、なかなかやれないことをやれたので、ハードでも楽しくしようと続けられたと思います。
ヘアメイクの仕事
絶対に続けたいという一心でした
――ヘアメイクの仕事も当時やられていたんですよね。
やっぱり自分の星回りなのか新人でスタイリストデビューする頃には、すごくレアなミュージシャンの方や芸能人の方が来てくださったりして。サロンワークもあるので、2週間で450万円の売り上げを収めてヘアメイクの仕事と両立していました。当時は、「この仕事絶対に無くさないでやろう」っていう意地がありましたね。自分の職人気質が研磨されたと思います。
――サロンワークとヘアメイクの現場って全然違うと思うのですが、それぞれの仕事に対する想いは違うのでしょうか。
一緒だと思います。現場で会う人、会う人素敵な人や有能な人ばかりで常に反省ばかりですよ。スタイリストを始めたときもライバルのいいところは常に気になるし。成績はすごくよかったけど、成績が良い同士っていうのは気になるから。自分の足りない部分はここだなと気にしていました。でもやっぱり自分の得意分野とかは自信があるし、足りない部分を気にして次に繋げていましたね。
ご両親のクリエイティブな一面を受け継いで育った砂原さん。一つのものに打ち込み、能力を発揮していきました。次回は、第一線を走ってこられた砂原さんの転機や自身の夢についてご紹介します。
▽後編はこちら▽
センスの塊に溢れる職人であり続けたい。私の履歴書Vol.24【UMiTOS 砂原由弥さん】#2>>
撮影/石原麻里絵(fort studio)
取材・文/梅澤 暁
Salon Data
UMiTOS(ウミトス)
住所:東京都渋谷区神宮前5-2-10
TEL:03-6418-8305
海と砂原美容室(ウミトスナハラビヨウシツ)
住所:千葉県南房総市白浜町滝口1464
TEL:0470-38-3388
URL:https://umitos.com/
砂原さんのinstagram:@sunaharayoshimi_umitos