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コラム・特集 2020-09-03

悔しさをエネルギーに変えて。私の履歴書Vol.25【AFLOAT 宮村浩気さん】#1

大人気美容室「AFLOAT」の代表である宮村浩気さん。数多くの有名タレントのヘアメイクを担当するなど、カリスマ美容師として一世を風靡し、美容業界を牽引してきました。ヘアメイクの仕事を外されたことで、スイッチが入り頂点まで登り詰めることができたとか。前編では、専門学校時代の話やヘアメイクとして両立していた話などを伺いました。

MIYAMURA’S PROFILE

幼少期〜専門学校時代

新聞配達のバイトでメンタルが鍛えられました

——幼少期はどのように過ごしていましたか。

もともと長野県にある山の奥地に住んでいました。春の山菜を採ったり、池があったので釣りをしたり、秋にはきのこ狩りを。冬は、目の前がスキー場だったのでスキーをやり自然と戯れていました。小学校の高学年くらいから新聞配達をやっていましたね。

——今とは考えられない生活ですね。

そうなんです。毎朝100件くらいに配るのですが、全て自転車を漕いで届けていました。冬になると雪がかなり降るじゃないですか。大雪の日はかなり苦労した思い出があります。それでも、6時までに各家庭に配り終えなければならないという焦りもあったので、だいぶメンタルも鍛えられました。毎日早起きするということ習慣がつきましたね。

また、中学生の頃は野球部に入っていたのですが、とても太っていたので高校に入ってダイエットしよう! と試みました。そのダイエットもかなり過酷だったので、3ヶ月で30キロ痩せて(笑)。急激に痩せたのですが、あんまりいいやり方じゃなかったなと思って。そのあと骨折して入院してしまい、1ヶ月で10キロくらい戻りました(笑)。

——美容の道を目指すきっかけを教えてください。

本当は洋服が好きだったので、服装関係の専門学校に行きたかったんです。ただ学費がとても高かったので、断念しました。両親から美容学校ならいいんじゃない? と勧めを受けました。手に職もつくし、姉も美容師だったので、それだったらいいかなと思ったのがきっかけです。高校生の時にアルバイトをしようと思って、姉が働いていた美容室でアルバイトさせてもらったこともありましたね。自分の頃は学校が1年制だったので、1年経ったら長野へ戻ってこいと言われていました。でもそんな気さらさらなかったですね(笑)。

——専門学校はどのように過ごされていましたか。

クラスメイトがいい人たちばかりで、とても楽しかったです。ひとクラス60人が21クラスもあるマンモス学校でしたね。勝手にクラスで級長をやらされていました。誰かが忘れ物をしたりすると、僕の管理が悪いと職員室に呼ばれて怒られるんです。あとは鍵当番でもあったので、教室の鍵を開けなければいけなかったんですね。始発で来る子もいたので、その子のためだけに1時間半くらい早く行って鍵を開けるなど、いろいろやらされていました(笑)。

——面白いエピソードですね。

先生がめちゃくちゃ厳しくて。遅刻したらこっ酷く怒られるようなクラスだったので、クラスの団結力だけは異常にありましたね。体育祭もクラスで優勝したりしました。卒業式の最後の日に講堂で卒業証書を配ったりするのですが、先生からプリントを配布しといてと言われたので配布しようとしたら、卒業証書まで配布しちゃって、卒業の最後という日に滅茶滅茶に怒られましたね。職員室で全員に謝りに行ったりと、こんなエピソードばかりです(笑)。

アシスタント〜スタイリスト時代

練習が大嫌いでした

——そこから卒業されて、地元へは戻らなかったのでしょうか。

東京で就職すると決めていたので戻りませんでした。免許を取るのに、1年しか学校へ行っていないので、もう1年働いた実績がないと学科の試験が受けられなかったんですね。学校の先生に紹介していただいたサロンが最初のお店です。かれこれ13年くらいはいました。

——アシスタントのときはどのような生活を送っていましたか。

初めの頃は練習が大嫌いだったので。バイトの経験があったので練習できなくても多少はできたんですよ。完全に調子に乗っていましたね。ただ、掃除はめちゃくちゃこだわって、先輩に絶対に手伝わせないという自分の中でルールがあって。朝が強かったので、朝早くに行って、先輩が来る前に掃除は全部終わらせていました。

——練習嫌いは意外です!

器用ではなかったので、やったことのないワインディングやカラーとかの技術になると遅れを取り始めました。遅れ始めると、余計嫌になって練習したくないって終わるとすぐ帰っていました。ですが、ある日先輩とオーナーが喋っている会話を盗み聞きしてしまい、「今年の一年目、全然ダメですね」と言っていました。同期はたったの5人しかいなかったので、「見返してやる!」となったんです。その次の日から毎朝5時、6時にサロンに行くようになって、がむしゃらに練習を始めました。

——そこからスタイリストデビューされたのでしょうか。

そうですね。アシスタント期間が3年とか、3年半とかだったので、なんとか3年で終わらせようかなと。でも、なかなか試験に受からなくて。根性論じゃないですけど、回数をめちゃくちゃ重ねたんです。そしたらお情けで受かりました。

——スタイリスト初期の頃のエピソードはありますか。

初期の頃はインターネットも何もないし、モデルさんに頼んだりハガキを書いたりして準備もしたのですが、初月の売り上げがたったの4万6千円! これではダメだと思い、オーナーがいるフロアに間違って入ってきたお客様を施術させていただきました。半年で100人くらい対応しました。トークでなんとかキープしている部分もあって。3回目の接客になると喋るネタも無いじゃないですか。そうすると実力がバレてしまうんですね。そこからまた、勉強し直して技術で売っていこうと決めました。

あとは、ヘアメイクと美容師の両方をやりたかったので、メイクスクールに行くなど人脈を広げていきましたね。

ヘアメイク両立時代

悔しい経験があったからこそ、登りつめることができました

——ヘアメイクをやろうと思ったきっかけは何かあったのでしょうか。

当時は、美容の業界紙を担当してもお客様の目に留まらないと思ったんです。業界紙ではない、女性誌のヘアメイクをやっていれば、クレジットに載っている名前を見て来てくださるかなと思ったのがきっかけです。最初は安易な考えで始めたのですが、見事に当たって! お客様もたくさん来てくださるようになりました。

タレントさんが専属のヘアメイクとして指名いただいて、撮影で海外に行くこともあったのですが、2回目のCM撮影の現場で打ち合わせになったときに広告会社の人から「名前も知らないやつ、使いたくない!」と言われてしまって。契約が切れてしまったのです。そこから悔しくて、ヘアメイクに力を入れて人脈を作りながら頑張りました。

——それは悔しいですね。

はい。人気女性誌のお仕事をしてから、いろんなモデルさんがお店に来てくださいましたね。女性誌に入っているヘアカタログを担当した際に、「スーパーナチュラルウェーブ」という名前をつけて作品を作ったんです。そこから爆発的にたくさんのお客様にお越しいただきました。年に4回ある大きなヘア特集の巻頭の一番いいページをやらせていただけるようになったり、読者アンケートでも1位〜7位まで独占するくらいになりました。

——今お話しされていたことが、美容人生の一つの転機になったのでしょうか。

そうですね。やっぱりヘアメイクをやっていたことが、転機になりましたね。一回専属のヘアメイクを落とされたことが良かったかもしれないです。今に見てろよ! と常に思っていたので(笑)。そういう反骨精神みたいなのが宿ったときって人間強くなるんですよね。過去の新聞配達やダイエットなどで培ったものがあるので、そういうところでやるなら中途半端じゃなくて、圧倒的にぐうの音も出ないくらいやってやろうと自分の中で思ったんです。

人気サロンスタイリストとヘアメイクアップアーティストとして登りつめた宮村さん。そこには類稀なる努力と反骨精神があったからこそ成し遂げることができました。後編では、独立後のお話や仕事をする上でのモットーなどを伺いました。

▽後編はこちら▽
独立するつもりは全く無かったんです。私の履歴書Vol.25【AFLOAT 宮村浩気さん】#2>>

撮影/石原麻里絵(fort studio)
取材・文/梅澤 暁

Salon Data

AFLOAT D’L(アフロート ディル)

住所:東京都港区南青山5-6-26 青山246ビル 4F
TEL:03-5778-0386
URL:https://www.afloat.co.jp/
宮村さんInstagram:@afloat.ceo

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