さまざまな経験を活力に。30歳を前にして、地元でサロン開業を決意【HOLICオーナー 角田たまきさん】#1
地元である山形県でトータルビューティーサロン「HOLIC」を経営している、オーナーの角田たまきさん。地元に戻る以前の角田さんは美容にとらわれず、さまざまな職種に挑戦してきました。その経験により身につけた知識と技術で、地元の人々に癒しを届けています。
今回は、角田さんの今までの経歴をもとに、地元でサロンを開業した経緯とその集客方法などを伺います。
お話を伺ったのは…
HOLICオーナー 角田たまきさん
高校卒業後、東京の大学に進学するも中退し、山野美容芸術短期大学に進学。卒業後は、美容室で勤務していたが、一度地元・山形県に戻り、県庁勤務を経験。医療に興味を持ち、母親の実家がある兵庫県に移り、再生医療の国立研究所にて医療秘書を勤める。その後は美容業界へ再び舵をとり、大阪でネイルやアイラッシュ技術を学んだのち、地元にてサロンを開業。地域の人たちから愛されるサロンに成長している。
いろいろ悩み、進んだ20代。30歳を目前にサロン開業へ踏み切る
――サロン開業前の経歴をお聞かせください。
高校卒業後は地元の山形県を出て、周りに流されるまま、東京にある四年制の大学に進学しましたが、自分には合わないと感じて中退。その後は興味のあった美容や芸術の分野に進もうと思い、山野美容芸術短期大学に進学しました。
人をきれいにしたいと思って美容の道へ進みましたが、具体的な職業が思い付かず…。当時、カリスマ美容師ブームだったこともあって在学中に美容室でアルバイトをすることに。一般教養と同時に芸術や美容面の勉強に忙しい日々を送り、卒業後も美容室のアルバイトを続けていたのですが、当時の美容師の給与・勤務体制は本当に過酷でした。
安定した仕事を求めて一度地元に戻り、県庁に勤めて3年経った頃が大体27歳くらい。何かに挑戦するなら今しかないと思って、母の故郷である兵庫県神戸市に移住。2年くらい医療関係の仕事で秘書をしていました。実は父親が開業医で、私自身、医療にも興味があったのです。その影響から、20代最後の年に医大受験にも挑戦しました。結果はうまく行きませんでしたが、その瞬間ようやく自分が進みたい道が見えた気がしたのです。
道が変わっても「人の体に寄り添いたい」気持ちがあったので、再び美容に軌道修正。まずとりかかったのはネイルでした。神戸市にあるネイルサロンで働きながら、美容師免許を持っていることを活かそうと、まつげ・眉毛の施術も習得しました。
――それから地元に戻って?
戻る前に、尊敬するネイリストの方がいる大阪のサロンで働きました。業界でもトップレベルの有名なネイリストだったので、そこでしか学べないネイル技術を習得することができたと思います。
1年くらい働いてから地元へ戻りました。
――いつ頃から独立することを考えていたのですか?
学生時代から職種こそ決まっていないものの、自分で何かをしたいと思う気持ちが根底にずっとあって。30歳を半ば過ぎる頃、今しかないと思って独立に踏み切りました。
――地元に戻った理由はなんでしょう?
やはり好きだからです。食べ物もお酒も美味しいし、自然も身近にある。加えて母親もいますし。生まれ育った環境で独立して開業するには良いベースだと思いました。
――独立に向けてどんな準備から始めましたか?
場所決めからです。都心とは違って、テナントが少ないのですが、運命的に良いと思える物件と出会えてすんなり決めることができました。
――どんな条件を希望していたのですか?
外から見て、「何のお店なんだろう」「どんなお店なんだろう」と、興味を持ってもらえるように路面店であることを重視して物件探しをしました。興味を持ってもらえないと、地方の方々には来てさえもらえないので、集客するには「目立つ何か」が必要だったのです。
集客はお金をかけてインビテーションカードを作成し、身近な人に配布
――どのような集客方法を?
クーポン付きのインビテーションカードを配りました。こと。ポイ捨てしにくいようにデザインはもちろん、紙質にもこだわって作りました。加えて、配る範囲にも気を使いました。闇雲にポスティングするのではなく、友人や知人などの職場やコミュニティで配ってもらえるように依頼。いくら集客に困っていたからと言って、女一人で経営していたサロンだったので誰彼構わず…とならないように周囲から広めていきました。
――まずは身内から宣伝し始めたのですね。
身内からだんだんと広まっていき、サロンの客足も増えていきました。地方は一度認知してもらえたら、口コミが回るのが早いので軌道に乗れます。
あとは、HPにも力を入れました。開業した方々のサロンHPを見てみると、あまり手が込んでいないサイトが多いと感じたのです。HPはネット上でサロンの大事な第一印象を決めるツール。私はそこを妥協したくなくて、しっかり考え抜いたHPをデザイナーさんに依頼しました。
特にこだわったのはイラスト。サロンに限らず写真を掲載しているHPがほとんどだと思いますが、写真は年数を重ねていくにつれてどうしても古く見えてしまうんですね。去年の写真でさえも、最近の映像技術の発展を考えると来年にはもう古い状態。毎年変えるのはそれこそ大変ですから、イラストを発注しました。
写真じゃない珍しさによって目にも止まりやすいので、良い判断だったと感じます。
関西で勤務した経験のおかげで接客に困らなかった
――実際に開業してみて、関西と東北で客層の違いは感じましたか?
大阪ではお客様から希望などをはっきり伝えていただいていたので、施術に対してあまり悩むことはなかったのですが…地元に帰ってきてみると、こちらから汲み取る姿勢が必要でした。
――姿勢を踏まえて、どのような接客をしているのでしょう?
一方的にこちらからおすすめするのではなく、相手の不調に耳を傾けて丁寧にカウンセリングをしています。
肌が荒れていた場合は、さりげなく「痒そうですね、大丈夫ですか?」といったような伺い方をしています。するとお客様の方から「なんで分かったの?」といった反応をいただくので、そのタイミングでおすすめのメニューを紹介します。
こうした接客ができるのは、大阪のサロンでいろいろな方と接した経験によるものだと感じます。
――他県で経験したことが、地元で活かせたのですね。
そう思います。ここに来ればその人にとって良い情報が得られるし、笑顔になれる。そんな場所を提供したいと思いました。コロナ禍もその気持ちが伝わったのか、影響を受けることなく、変わらず来店いただいていましたね。
――地元の人から親しまれているのですね。秘訣はなんでしょう?
お客様がしんどいときに頼りにしていただいて、パワーを送ることができる人間で在りたいと常々思っています。かなえるには、まず自分自身が元気でいることが大事。こちらが元気でないと、説得力がありませんよね。相談してもらっていつでも返せるような状態を維持するように心がけています。
実際に自分が使用して良いと思ったものを勧めたいと語る角田さん。後半では、サロンのコンセプトを伺い、山形県では馴染みのないネトラバスティの施術を取り入れたメニューを展開します。角田さんが込めた思いについて詳しく掘り下げます。
取材・文/東 菜々(レ・キャトル)
Salon Data
住所:山形県山形市七日町4-3-19-1
TEL:023-674-0336