人生の主人公は自分だから、自分の心に素直になって 私の履歴書 【メイクアップアーティスト大内李奈さん】#1

大内李奈さんは、東京を拠点に全国を飛び回り、ブライダルを中心に広告や映像作品などの分野で活躍するメイクアップアーティスト。また、ヘアメイクのレッスンやセミナーなどを通じて、ヘアメイク技術はもちろん、その楽しさや情熱を伝える講師業も担っています。

いつもとびっきり楽しそうに、多彩な活躍を見せる姿が印象的な大内さんですが、そこに至るまでの道のりは、どんなものだったのでしょうか。

前編では、大内さんがブライダルのヘアメイクの道を歩むことになった経緯やフリーランスになったきっかけなど。これまでのことを教えていただきました。

RINA’S PROFILE

お名前
大内李奈/Rina Ouchi
出身地
福島県
年齢
1996/11/6(27歳)
出身学校
大宮ビューティーアート専門学校(現・大宮ビューティー&ブライダル専門学校)
憧れの人
父親
プライベートの過ごし方
アートや音楽(特に邦楽ロック)が好きなので、展示会や写真展、音楽フェスやライブなどに足を運ぶことが多いです。旅行に行くのも好き。
趣味・ハマっていること
ヘアメイクをしている時が一番楽しいので、趣味が仕事のようなものかもしれません!(笑)
仕事道具へのこだわりがあれば
なるべく自分で試したアイテムを取り入れるようにしています

進路に迷っていた学生時代。やりたいことに一途な友の姿に導かれて

常に笑顔で、楽しそうに仕事をしている大内さん

――大内さんがメイクアップアーティストの道を歩むこととなった理由や、きっかけを教えてください。

ヘアメイクの職に就くことを本格的に考えたのは、高校3年生の進路を決める時期です
昔から絵を描くことが好きな子供だったので美大を目指そうとしていた時期もあったのですが、高校生になってだんだんと現実的になってしまって。高3の頃には、その夢は諦めてしまっていました。

大学進学が一般的な進路の高校に通っていたのですが、大学のオープンキャンパスに足を運んでも、自分のやりたいことは具体的に見えないままで。そんな時、同じクラスに美容師を目指している同級生がいたんです。
その子と友達になり、専門学校のオープンキャンパスに誘ってもらって足を運ぶ中で、ヘアメイクの仕事に興味を持ちました。絵を描くことが好きだった自分のルーツから考えると、自然なことだったと思います

――周りからの反対はありましたか?

幸い、両親は私の意思を一番に尊重してくれたので反対はされませんでしたが、学校の先生はちょっと渋っていたかな(笑)。けれど、自分のやりたいことをやるのが一番だと思ったので、それも押し切って美容の専門学校に進みました

「そのクラスメイトがいなかったら、今の私はなかった。今でも連絡を取り合って、会って話す仲です」(大内さん)

――では、そのまま美容の専門学校へ?

はい。いろいろ見て回りましたが、大宮ビューティーアート専門学校(現・大宮ビューティー&ブライダル専門学校)に進学しました。

学校の科目にもブライダルを専門とする学科がありましたが、当時はまず自由にヘアメイクの基礎を学びたいと思い、通常のヘアメイク科を選びました。

――いつから、ブライダルの道に進むことになったのでしょう?

専門学校卒業後の、就職のタイミングです。その頃の私は写真も趣味の一つで、自分でもよく撮影していたことから、写真が素敵な会社でヘアメイクをやりたいと思っていました

そんな時にウェディングやアニバーサリーのフォトスタジオを運営する「株式会社デコルテ」を見つけたんです。自分好みの、今っぽい写真で強く惹かれました。これが、私が後々までブライダルを主軸に活動することになったきっかけです

――では、卒業後はそこのフォトスタジオへ?

はい。新卒で入社して「スタジオアクア新宿店」に配属され、4年ほど勤めました。専門学校ではブライダル科を選んでいなかったので、研修含めブライダルのヘアメイクに関する基礎やルールはそこで学びました。それが少し大変だったくらいで、同期と切磋琢磨しながら、楽しく仕事ができていました

人生の主人公は自分だから。思いきって踏み出した「フリーランス」への道

自ら積極的に学ぶ姿勢でメキメキと力をつけ、やりたいことがどんどん増えていったそう

――充実した日々を過ごされていたようですが、そこから、なぜフリーランスになったのですか?

企業に所属していると、自分のやりたいことが自由にできないと思ったからです。会社員時代からInstagramのアカウントを作り作品を投稿していたのですが、SNS経由で個人的にご依頼をいただくことも多かったんです。でも、どんなにやりたくても会社員の立場ではそれらをお断りしなければなりませんでした。また広告や、趣味の一つである音楽関係の仕事にも、ヘアメイクで携わってみたかった。SNSを通じて、同業者をはじめ様々な方々との交流も増えていく中で、「もっと外の世界を見てみたい」という思いを我慢できなくなったんです

会社にはとてもお世話になりましたが、2021年の年度末をもって退職し、4月からフリーランスとして活動を始めました。24歳の時です。

――不安はありませんでしたか?

基本的には心配性だと思っているので、不安がなかったといえば嘘になりますが、当時は「どうにかなる!」って思って。考えるより先に、体が動いていましたね。

一度きりの人生だし、その主人公は自分自身。やってみて、ダメだったらやり直せばいいと、思い切って飛び込みました

――フリーランスになってから、大変だったことはありましたか?

ヘアメイクの仕事自体は本当に楽しくて、大変なことは特にありません。むしろそれ以外の、ヘアメイク以外の事務作業や経理関係、各種手続きが大変でした。今でこそ自分で何とかできるようになりましたが、最初の方は戸惑いながら必死にこなす日々でした。

あとは、SNSとの距離感かな。SNS経由でお仕事をいただくことも多く、自身の勉強にもなるので切っても切り離せない関係ではありますが、傾倒しすぎると数字に振り回されてしまったり、必要ないことまで考えてしまうきっかけになったりもする。程よい距離感で付き合っていきたいです。

レッスンや講師の仕事は、自分がもらったものを周りへ還元するため

ヘアメイクの現場で活躍するほか、レッスンやセミナーといった場で講師として人前に立つことも、大内さんのライフワーク

――ヘアメイクのレッスンやセミナーにも積極的ですが、講師業を行うようになるきっかけを聞かせもらえますか?

フォトスタジオに所属していた頃から、スキルアップや勉強のために、自分が素敵だと思ったヘアメイクさんのセミナーやレッスンを見つけては足を運んでいました。その時学んだことは、今でも生きています。

そのように自分も勉強させてもらったことを、今度は私が周りにお返ししたい。この講師業の仕事を始めたかったのも、フリーランスになりたかった理由の一つだったと思います

――開催地は、主に東京ですか?

ご縁があれば、全国どこでも実施しています! 北海道や群馬県、愛知県に地元である福島県などでも開催したことがあります。不定期開催ですが、開催地の方のみならず遠方から受講しにきてくださる方も多くて。また、初心者から既に現場で活躍されている方まで様々な方がいらっしゃるので、毎回気合が入りますし、やりがいがあります。

――どういったことを教えてもらえるんですか?

ヘアメイクの基礎から応用までその時々で様々ですが、特に好評なのはヘアアレンジです。美容師さんなど、他業種の方とコラボすることもあります。デモンストレーションや実技レッスンを要する場合は、開催時間が数時間に及ぶことも。しっかり吸収していって欲しいので、レッスンやセミナー中の写真や動画の撮影もOKにしています。

大内さんの繊細なヘアメイク技術を学べるレッスンやセミナーの告知は、主にInstagramやX(旧Twitter)といったSNS上で行っている


自分のやりたいことや好きなことを大切にしていたら、フリーランスのメイクアップアーティストとしての道を進むことになった大内さん。後編では、フリーランスになってからのさらなる歩みと自身のハンドメイド商品の話、そして、ヘアメイクの仕事への情熱や醍醐味を語っていただきます。

撮影/内田 龍
取材・文/勝島春奈

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