エザキヨシタカ interview #1:業界を代表する美容師、エザキヨシタカに迫る
2009年、原宿にオープンしたヘアサロン『grico』。常に時代の一歩先を行くおしゃれを提案し続ける技術力と、お客さまを家族のように大切にする経営スタイルで高い人気を誇っています。そんな『grico』を、わずか24歳で立ち上げたのがオーナーのエザキヨシタカさん。業界を代表する美容師としてファッション誌の表紙や、芸能人やモデルのヘアメイクを担当してきました。2012年からは、アパレル業やイベント企画などを開始、幅広い分野で活躍中です。
今回は、そんな美容師という枠を超えて活躍するエザキさんにインタビュー。前編では、美容師を志したきっかけや、学生時代の思い出について語っていただきました。
友だちの髪を切っていた学生時代
――初めて美容室に行ったのはいつ頃でしょうか?
「母親の影響で、小さい頃から床屋ではなく美容室に通っていました。初めて美容室に行った時にお願いした髪型は、特撮モノのヒーロー『人造人間キカイダー』のヘアスタイルです(笑)。中学2年生の頃からは、自分で髪を切るようになりましたね。当時はまだ美容師になろうとは思っていませんでしたが、学校の水道で髪を濡らし友人の髪を切ったこともありました。“また切ってくれ”と言われたので、作ったヘアスタイルの評判はよかったと思います」
学費を稼ぐため深夜までアルバイトをする日々
――はっきりと美容師になろうと思ったのはいつ頃のことでしょう?
「高校1年生の時、美容学校へ体験入学に行ったときです。すごくおもしろくて、もっとうまくなりたいと思いました。高校は進学校に進みましたが、母子家庭だったこともあり小さい頃から母を早く楽にさせてあげたいという気持ちがあったので、大学に行く気はありませんでしたね。美容学校に進むと決めてからは自分で資料請求をし、一番生徒の熱量が強かった福岡の美容学校に行くことに決めました。当時僕が通っていた高校はアルバイト禁止という厳しい校則でしたが、専門学校へ進むには学費が必要になったので、土下座をして説得し、働くことを認めてもらったんです。当時は、学校が終わってから23時までアルバイトをする日々でした」
――なるほど。ちなみに高校生活でいくら貯めることができましたか?
「40万円ほど貯めることができました。美容学校には奨学金で通うことができたので、結局その時に貯金を使うことはありませんでしたが、2009年に『grico』オープン時に家を整理していたらたまたま通帳が出てきたんです。その頃には、同じ金額を数日で稼げるようになっていて、当時を懐かしく振り返りながらそのお金でお寿司と天ぷらを食べました(笑)」
負ける気がしなかった美容学校時代
――美容学校に入学したときに感じたことを教えてください。
「同級生に負ける気がまったくしませんでしたね。また、勉強をするなかで楽しくないと思うことも、向いてないと思うこともありませんでした。技術面では、ルームシェアをしていた友人が僕よりも基礎的な技術が高く、すごく悔しかったので毎日練習していました。カットやメイクを身につけてからはコンテストで賞を取ることができたので、ずっと美容師を続けていけるだろうと思いましたね」
美容学校時代は、カッコイイと思える美容師がおらず、行きたいサロンがなかったと言うエザキさん。当時は、学校の先生に髪を切ってもらっていたそうです。中編では、サロン勤務時代の思い出や、『grico』をオープンするまでのいきさつについて伺います。
Profile
エザキヨシタカさん
2009年、原宿に『grico』をオープン。 2012年、アパレルブランド『grico clothing』を開始。 現在では、サロンワーク以外にも、数々のファッション誌、業界誌等の撮影、芸能人、モデル、国内外でのコレクションのヘアメイクを担当。全国各地でのセミナーの講師など多方面で活躍中。
エザキヨシタカ interview #2:どんなことがあっても120%の力で相手に接する>>