「怪我をしない体作り」を伝えるパーソナルトレーナーに【もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事 Vol.36 Wellness Sports 齊藤邦秀さん #1】
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載『もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事』。
今回は、90年代からパーソナルトレーナーとして活躍してきた先駆者的存在、ウェルネスプロデューサー・齊藤邦秀さんにフォーカス。長年パーソナルトレーニングの分野で活動し、アスリートから一般の方まで、幅広く健康のための運動指導を続けてきた齊藤さん。
前編では、そんな齊藤さんがトレーナーを目指したきっかけや、現在の活動内容についてインタビュー。スポーツトレーナーとして、長く働き続けるためのヒントを探っていきます。
お話を伺ったのは…
「Wellness Sports」
代表 齊藤邦秀さん
有限会社Wellness Sports代表取締役、Running Fitness Labo.代表、全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会(NESTA JAPAN)副代表、日本メディカルフィットネス研究会常任理事。運動・栄養・睡眠・ストレスマネジメントを統合させたウェルネスコーチングを掲げ、ウェルネスプロデューサーとして活動。フィットネス雑誌『Tarzan』連載やメディア出演、メディカルフィットネスプログラムの開発、企業の健康経営サポート、行政・学校へのセミナー講演、指導者人材育成など、一般個人やアスリートへのパーソナルトレーニングにとどまらず取り組んでいる。
自身の怪我からスポーツトレーナーの必要性を実感
―齊藤さんはスポーツトレーナーとして23年活動されています。トレーナーを志したきっかけは?
一番の原点は、陸上をしていた高校生時代に怪我をしたことです。三段跳びをしていたんですが、ひどい肉離れになってしまって。その時にトレーナーの仕事を知りました。
僕が高校生のころなので30年くらい前。そのころはあまりトレーナーも多くなかったし、自分の治療や回復の過程も今考えると良好とは言えなかったんですよね。「なんで怪我しちゃったんだろう」、「どうしたら怪我せずに済んだんだろう」、「怪我をしなかったらもっと記録をのばせたのかな」と、いろいろ考えました。
そのまま一度大学に入学したんですが、ずっと悶々としていました。それで「怪我しない体をどう作るのか」調べてみると、どうすればいいのか大体わかってきていたんです。スポーツをする子どもたち、腰痛・肩こりに悩む大人にも通ずるものでした。
「これをたくさんの人に伝えたい」と思って、本格的にトレーナーを目指すことにしたんです。それでスポーツ健康医科学が学べる大学に入り直しました。
トレーナーとしての道すじを分析して入学。
本格的にトレーナーの道へ
―在学中からトレーナーとして活動されていたそうですね。
自分の道を決めて入学しましたから、トレーナーになるには何をすればいいかを分析してありました。トレーナーとして食べていくために必要な3本柱として、勉学とアスリートのサポート、そしてフィットネスクラブでのアルバイトをしようと決めていたんです。
まずは学業をしっかりとやる。解剖学や生理学、いろんなトレーニング理論があるんですが、とにかくそこを勉強するために入学したので、楽しくてしょうがなかったですね。生まれて初めて、自分のために勉強している感じでした。
そして、アスリートのサポート経験と、フィットネスクラブでの実務経験を積みました。僕も大学の体育会に入って、競技はせずに選手のフィジカル面のサポートをしていたんです。
―そして大学卒業後、実際にパーソナルトレーナーになられたんですね。
はい。当時、日本球界の著名ピッチャーがメジャーリーグに挑戦するタイミングで、そのために立ち上がったパーソナルトレーナーの会社に入社しました。そこでは、アスリート中心のフィジカルトレーニングをしていました。1998年から2004年まで在籍していたんですが、当時では先駆け的な存在で珍しい会社だったと思います。
―本格的にお仕事にして、ギャップを感じたことはありますか?
最初はアスリートに対する憧れのようなものがありましたけど、仕事で接するようになって現実的なところも見えるようになりました。目に見えるところは華やかだけど、それだけじゃないよ、と。スポーツの華やかな世界だけに目が向いていると、ギャップを感じやすいかもしれません。
高齢者社会を予想し、パーソナルトレーニングの需要を感じて独立
―32歳で独立され、Wellness Sportsを立ち上げた経緯を教えてください。
2000年代前半ごろ、アスリートの指導と並行して一般の方のパーソナルトレーニングもやり始めました。表参道にNY系のジムができて、外国の方やエグゼクティブな方も多かったので、パーソナルトレーニングの需要を感じました。
また、人口ピラミッドのことを考えると、高齢者が増えていくというのもわかっていました。これは間違いなく10年20年先に、より健康になりたい、効率よく体作りがしたいという需要は増えるだろうなと。そこにアプローチしていきたいなと思ったんです。
そうなると、それまでの会社はアスリート中心だったので、目指すフィールドが違うなと感じました。それが独立のきっかけです。
―現在はパーソナルトレーニングと並行して、トレーナーの育成やジムのコンサルティングなど幅広く活動されています。そういった活動のきっかけは?
独立する前後には、いろいろな研修や講演などの依頼が、少しずつ増えて来ていたんです。声がかかるようになったきっかけは、トレーナーの採用基準やプログラムの品質管理の依頼が増えたことでした。
ちょうど多くの一般スポーツジムにパーソナルトレーナーをたくさん雇おうという動きが出て来ていた時期でした。でもパーソナルトレーナーの経験者自体がまだ少なかったので、声をかけてもらえたんだと思います。僕はそれなりに創成期からやってきていたので、どんなトレーナーがお客さんから支持されるかが明確にわかっていました。
だからそういった依頼を、地道に積み重ねていった結果、今の活動につながっているんだと思います。僕自身、教育を考えたりプログラムを開発したりというのが好きなんですよね。
―現在の一日のタイムスケジュールを教えてください。
現在、主に力を入れているのはパーソナルトレーナーを育成する仕事です。2007年からパーソナルトレーナー育成団体である全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会で副代表をしています。そのための教材を作ったり、講習を担当したりすることが多いです。
あとは、企業や行政、学校など、社員さんや地域の人たちを健康にするための、アドバイザーとしての仕事も多いです。コロナ禍前は、年間100日は全国どこかに出張していました。講演なども一旦なくなりましたが、オンラインで少しずつ再開しています。
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「どうしたら怪我をしない体が作れるのか」を伝えるため、スポーツトレーナーになったという齊藤さん。パーソナルトレーニングの創成期を第一線で過ごした経験を活かし、現在では個人だけでなく企業や行政でのトレーニング指導まで幅広く手掛けるようになったんですね。次回は、齊藤さんがスポーツトレーナーのお仕事に感じる魅力や、トレーナーを目指す人へのアドバイスをお聞きします。
▽#2はこちら▽
トレーナーの仕事は「人対人」。大切なのは生きてきた背景を知ること【もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事 Vol.36 Wellness Sports 齊藤邦秀さん #2】>>
取材・文/山本二季
撮影/片岡 祥