一度は落ちたサロン。「憧れ」から「超えたい」に変化して、ギリギリで内定をつかむ「Null」Umehiraさん
「新時代を代表するサロンを創る」をビジョンに掲げ、ブリーチカラーやルーツカラー、エンドカラーなどデザインカラーのトレンドを発信し、業界を圧巻している「Null」。クリエイターとしての美容師が安心してデザインに集中できる世界を目指し、フリーランスとレギュラーサロン、双方の強みを活かした雇用形態を生み出すなど、業界に一石を投じるブランドサロンです。
今回お話を伺ったのは、新卒採用でありながらカラーリストとして入社し、3ヶ月目には月間売上110万円を達成したUmehiraさん。
実は一度、「Null」に不採用となった経験があるといいます。そんなUmehiraさんがどのように採用をつかんだのか。鍵となったのは、就活のゴール設定を見直したことでした。
お話を伺ったのは…
Umehiraさん
Null jr.stylist

2004年4月27日生まれ。資生堂美容技術専門学校卒業。2024年4月「Null」入社。お客様の【個性】や好きにマッチさせた唯一無二のデザインカラーを得意とし、感受性とお客様のファッション性をブレンドした新しいヘアをお客様に提供している。
祖母の死をきっかけに「自分が輝く」から「人を輝かせる」へ

――美容師になろうと思ったきっかけは?
美容師になろうと思ったのにはいくつかのきっかけがあり、一番大きかったのが祖母の死でした。元々僕はモデルなど自分が前に出ていく活動に興味があったのですが、ネガティブな性格で自分に自信が持てず、踏み切れずにいたんです。
そんなとき中学から高校に進学するタイミングで祖母が亡くなり、人生観が変わりました。お葬式では、祖母が亡くなったにもかかわらず、集まった人たちが祖母の思い出話で盛り上がり、笑ったり涙したり。祖母は人に必要とされていたからこそ、皆が名残惜しそうにその場を離れなかったのだと感じました。自分も祖母のように、「自分中心ではなく、人のために生きたい」と強く思うようになったのです。
自信のなかった自分にとって、美容は自分を輝かせるものとして身近な存在でした。その力を使って人を素敵にしたい、人を輝かせたい、そう考えたとき、自然と美容師という職業に行き着いたんです。そして祖母のように、人と深く関わりながら生きていきたいと思いました。
――専門学校時代はどんなことを感じましたか?
入学してまず驚いたのは、周りの学生がみんなおしゃれだったことです。洗練された雰囲気の人が多く、圧倒されました。そして早く実践的なことを学びたいと思って入学したものの、最初は基礎知識の習得から始まったため、ギャップも感じました。
それでも「やるからには全力で」と決意。1年生のときは学年1位を目標に掲げ、実際に達成しました。2年生になると就活に完全にフォーカスし、人より一歩先に進むために、マネキンではなく実際の人の頭でカットやカラーを練習。友人にモデルを頼みながら技術を磨きました。
専門学校で学ぶことはあくまで基礎的な内容です。現場で通用するには不十分だと感じ、自ら実践に取り組みました。就活を有利にしたいという思いもありましたが、早く人を素敵にできるような自分になりたいという思いも強かったです。
技術力、人間性も高いサロンに憧れて

――就活を意識しだしたのはいつごろからですか?
1年生の8月ごろからです。まずはサロンを知るために見学を重ねるうちに、「Null」に強く惹かれるようになり、その後は「Null」一本に絞りました。
代表のFUGAの存在は、FUGAが別のサロンで働いていたころから知っていて、最初は純粋に憧れている存在でした。その後「Null」を立ち上げることを耳にし、徐々にその存在を意識するようになったんです。
「Null」への応募を決めた大きなきっかけとなった出来事がふたつありまして、ひとつは取締役のAYATOの施術を受けた際に、その圧倒的な技術力と所作の美しさに感動したこと。「こんな美容師がいるんだ」と衝撃を受け、「Nullで働きたい」と強く思うようになりました。
もうひとつのきっかけが、「Null」が主催する学生向けのセミナー「Null Community」に参加した際の出来事です。終了時間が押してしまったため途中退出する学生が何人かいたのですが、経営陣が帰る学生1人ひとりをスタッフが見送っていた姿に人間性の高さを感じ、ますます惹かれました。
――その後、応募までにどのような行動をとりましたか?
当時「Null」で働いていたメンバー全員の施術を受けながら、話を聞いて就活準備を進めました。「Nullに入りたい」と伝えましたが、具体的なアドバイスはなく、「いろいろなことを深く考えてみるといい」という言葉だけ。自分で考えることを大切にするサロンらしい「あえての一言」だったのだと思います。
――採用試験はどのような流れでしたか?
2年生の4月に書類審査がありました。「Null」の採用試験においては、学歴や成績は重視していないため、履歴書の提出はなく、Googleフォームに回答する形でした。質問は人間性や人生観を深く掘り下げる内容が多かったです。その後、通過者には5月に面接が行われました。
――フォームに回答する際に心がけたことは?
回答を通して「この人の話をもっと聞きたい」と思わせることです。どの採用試験でも「話してみたい人」と思わせたら勝ちだと考え、自分の考えをワクワクさせるように書きました。面接官を夢中にさせることこそが、重要だと思っていました。
面接中に痛感した自分の考えの浅さ。一度は不採用に

――面接はどのような内容でしたか?
面接は初期メンバーのFUGA、AYATO、葉月の3名と僕の1対3の形でした。形式ばった面接というより、Googleフォームで答えた内容を深掘りする面談に近いものでしたね。具体的には「団体競技と個人競技どちらが好きか」、「人生で一番落ち込んだことや辛かったことは?」など、過去の経験や内面を深く掘り下げる質問が中心でした。
――面接に向けて準備をしたことは?
あえて準備はしませんでした。「Null」の採用試験は技術力より人間性を重視すると聞いていたので、「今の自分」で勝負するという自分なりの覚悟があったからです。
しかし面接中に答えに詰まることが多く、自分の考えの浅さを痛感。ただ憧れの気持ちだけで入社を希望していて、自分の人生観についてはほとんど話すことができませんでした。そんな自分が情けなく面接途中にもかかわらず泣いてしまったんです。
「なぜ泣いているの?」と厳しく問われ、正直に「自分の小ささと甘さを痛感したから」と答えました。
――では、あまり面接に手応えは感じなかった?
正直、落ちたと思いましたね。そして実際に不採用の通知が届きました。その後、振り返ってみて気づいたのは、ゴール設定を間違えていたということです。憧れの人と一緒に働くこと、「Null」に入ることがゴールになってしまっていて、その先を見ることができていませんでした。まさに「美容学生の視点」にとどまっていたのです。
「Null」は日本の美容界の頂点を目指しています。同じ頂きを目指し、ともに挑戦する学生だけを採用したいと考えだったと思うので、当時の僕はその基準に当てはまっていなかったのだと思います。
――その後はどうされたのですか?
不採用をきっかけに、ゴールを「Nullに入る」から「Nullで活躍する人を超える」へと変えました。そして掲げた言葉が「圧倒的唯一無二」です。
友人にモデルを頼み、実践的なカラーやカットを重ね、その作品をInstagramに投稿。
ファッションも一新し、自分なりの世界観を持った装いを心がけました。
――そこからどのようにして「Null」に採用が決まったのですか?
別のサロンへの就職活動を進めていたものの、なかなか納得できるサロンに出合えずにいました。やはり「Null」で働きたい、そう強く思っていた11月ころに、代表の松岡から「『Null』で挑戦してみないか」とお話をいただいて。そして12月、ついに内定をいただくことができました。
後日、「なぜ採用してくれたのですか」と松岡に尋ねると、返ってきた言葉は「火が消えていないと感じたから」というものでした。希望のサロンに入れず意気消沈する人もいるかもしれませんが、僕は気持ちを切り替え、より先の未来を見据えるようになっていました。その姿勢に可能性を感じてくださったのだと思います。
後編では、「Null」の採用を勝ち取ったUmehiraさんが、入社からたった3ヶ月後に月間売上110万円を達成するまでの歩みを紹介します。
実は入社した4月に月間売上110万円を達成することを約束していたというUmehiraさんですが、一度はその挑戦に失敗してしまいます。大きな挫折を味わったUmehiraさんの背中を押してくれたのが、取締役のAYATOさんからのある言葉だったそうです。
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Null 原宿店
住所:東京都渋谷区神宮前1-14-4 1/1 HARAJUKU “K” 4F

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