「一緒には働けない」。先輩からの厳しいフィードバックに目が覚めて「Null」RYOさん

「新時代を代表するサロンを創る」をビジョンに掲げ、ブリーチカラーやルーツカラー、エンドカラーなどデザインカラーのトレンドを発信し、業界を圧巻している「Null」。クリエイターとしての美容師が安心してデザインに集中できる世界を目指し、フリーランスとレギュラーサロン、双方の強みを活かした雇用形態を生み出すなど、業界に一石を投じるブランドサロンです。

今回お話を伺ったのは、美容師歴2年目ながら入社3ヶ月目で月の売上100万円、その後マンツーマン施術で160万円を達成したRYOさん。お客様のファッションやライフスタイルに合わせたオーダーメイドのデザインカラー、丁寧な接客で「Null」注目のスタイリストです。

そんなRYOさんのこれまでを振り返っていただくと憧れの美容師のもとで働けず、就職しないまま地元に戻った時期もあれば、フリーランスのアシスタントとして経験を積んだ時期も。RYOさんが「Null」にたどり着くまでの道のりは、まさに試練の連続でした。

お話を伺ったのは…

RYOさん

Null stylist

2001年7月17日生まれ。国際文化理容美容專門学校国分寺校卒業。原宿のフリーランスサロンのアシスタントを1年経てNullに入社。お客様のファッション、ライフスタイルに、似合わせたオーダーメイドなデザインカラーを得意とし、「新しい自分に出会える」そんなデザインを発信。海外のお客様も多数担当。

インスタグラム

美容業界のトレンドを作る人たちに憧れて

RYOさんは美容学生時代、最前線を走る美容師たちに憧れていたという

――美容師になろうと思った経緯は?

母が美容師だったこともあり、美容師という職業が身近でした。子どものころから美容学生の人たちがキラキラ輝いて見えていて、「美容師になりたい」というより「美容学生になりたい」という憧れのほうが強く、目指すようになったんです。

――1社目のサロンはどのように選んだのですか?

美容学生時代に強く憧れていた美容師さんの元で働きたいと考えていました。ヴィダルサスーン主催のカットコンテストで入賞した際、その方が活躍する姿を見て「この人のもとで働きたい、ほかの美容師人生は考えられない」と思ったほどです。

しかしその方はフリーランス美容師だったため新卒で入社することが難しく、就職を決めずに卒業することになりました。ちょうどそのころ、祖父が体調を崩していたこともあり、一度は実家のある長野に戻ることになったんです。

その後、憧れの美容師さんが働くフリーランスサロンでアシスタントを1名募集していることを知り、入社することができました。

直感で踏み出した一歩。紆余曲折を経て憧れのサロンへ

RYOさんが現在所属する「Null」

――その後、「Null」に入社した経緯は?

フリーランスサロンでアシスタントとして働き、空いた時間にはモデルさんを呼んで施術をするなど、自分にできる限りのことをしていましたが、ふと不安になることも多くて。「この先ここでデビューして活躍できるのか」と考えていたんです。そんなとき「美容師TV」というYouTubeチャンネルで「Null」の特集を目にしました。

実は学生時代から当時は別のサロンで働いていた取締役・AYATOのことを知っていて、一度カットとカラーをしてもらったことがあります。そのとき圧倒的な技術力に驚かされ、人としても優しさも感じ憧れていました。だからこそ「Null」で働くスタッフは雲の上のような存在だと思っていたんです。

ところが、そのYouTube動画からはスタッフのフレンドリーな一面が伝わってきました。さらに当時の代表だったFUGAが動画の最後に「興味がある人は気軽に連絡をしてください」と求人の呼びかけをしていて。見終わった瞬間にインスタグラムのDMを送っていました。「Nullで働いて人生を変えたい」という想いに、突き動かされての行動だったと思います。

――入社はスムーズに決まったのですか?

すんなりとはいきませんでした。まずそのタイミングで再びAYATOの予約を取り施術してもらったのですが、偶然その日、代表のFUGAも店にいたため「Nullに入りたい」と直接伝えました。ただ熱意だけは伝えられたものの、「なぜうちなのか」という問いには答えられず、自分の甘さを痛感しました。

翌日、FUGAのデザインカラーセミナーに参加する予定があったため、「申し訳ありません。自分が甘かったです。明日セミナー後にもう一度お時間をいただけませんか」とお願いし、改めて自分が「Null」で働きたい理由を整理しました。

――そこでどのようなことを伝えたのですか?

とにかく覚悟を示そうと決め、前日に勤務先のサロンに退職を伝えました。そしてもし「Null」に入れないなら、もう一人の代表である松岡が運営する別サロンに入らせてもらいたい、と強い気持ちを伝えました。その結果、1ヶ月後に面接の機会をいただくことができたんです。

面接までの間に自分の人生の棚卸しと、言語化を行い、面接でそれをしっかり伝えました。すると代表から連絡をもらい「うちでやっていく覚悟はあるか」と問われ、「もちろんあります。全力でやらせてください」と即答しました。電話を切った後は、あまりのうれしさに思わず涙があふれました。

本気でぶつけてくれたフィードバックに号泣した過去

入社したころは、自分の未熟さを感じることも多かったとRYOさん

――入社後はどんなことを感じましたか?

学生時代から雲の上の存在だと思っていたスタッフと一緒に働くことに、緊張よりも高揚感のほうが大きかったです。

とくに印象的だったのはスタッフ全員のレベルの高さ。お客様への向き合い方、技術へのこだわり、接客の丁寧さなど、どれも妥協がありません。そして日々どうしたらよくなるかを真剣に考えて行動していて、「これが最前線で活躍する美容師なんだ」と実感しました。

僕がモデル施術を行った後には終電を過ぎてもフィードバックをしてくれる先輩も多く、その姿勢にも刺激を受けました。「先輩たちがここまで本気なら、自分も本気で取り組まなければ」と心が引き締まりましたね。

――これまで受けたフィードバックのなかで、とくに印象的なものは?

入社直前、モデル施術を終えたあとにFUGAとAYATOのふたりから厳しい言葉をもらったことです。「Null」ではお客様を迎える立場として、所作の美しさ、空間の整え方、声のトーン、笑顔まで細部に渡るまで高い水準が求められます。当時の僕はその基準をまったく満たせていませんでした。

これは僕を本気にさせるための愛ある厳しさだったと思いますが、「お客様がいるなかで、美しいサロンワークができないのであれば、もう同じフロアでは働きたくない」と言われてしまったんです。

その瞬間に、悔しさと自分の不甲斐なさで僕は大号泣してしまって。ただこの日を境に僕の意識は大きく変わったと思います。やる気やモチベーションの有無に関係なく、ただ「やる」。強い意志で毎日を過ごすようになりました。


後編では、新人時代のRYOさんの挑戦についてお話しを伺います。ジュニアスタイリストとして入社したRYOさんは、高レベルな「Null」のスタッフについていこうと必死だったといいます。とくに苦しんだのは、ジュニアスタイリストからスタイリストへ昇格するまでの間。なかなかお客様がつかず、思うように売上を伸ばせなかったといいます。

そこでRYOさんは、先輩たちからどんな小さなことでもフィードバックを受け、その内容を1つひとつ実践。地道な努力を積み重ねた結果、目標としていたマンツーマン施術での月間売上160万円を達成することができました。


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Null 原宿店
住所:東京都渋谷区神宮前1-14-4 1/1 HARAJUKU “K” 4F

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