リーマンショックを逆手に取り成功させました。私の履歴書 Vol.35【Chino THE METHODオーナー Chinoさん】#1
エステティシャンとしてこれまでに約2万人以上のお客様の施術をしてこられたChinoさん。これまでの経験から編み出した関節やリンパにアプローチする独自の美と健康のメソッドを提唱し、その圧倒的な技術力を一度体感するとやみつきになる人が多いとか。そんなChinoさんは、自身のダイエット失敗の経験からこの道を志すきっかけになったそう。前編では、今の成功に繋がるChinoさんの転機となった出来事などをお届けします。
CHINO’S PROFILE
幼少期〜ダイエット失敗期
無理なダイエットの経験がエステティシャンを志すきっかけに
——幼少期はどのように過ごしていましたか。
昔から働くことが好きで、小学生の頃からお小遣い稼ぎとしてよくお手伝いをしていました。お手伝いをすると二日に一度500円をいただけるんです。楽しみながら仕事をするということは昔から変わっていませんね。
——美容に目覚めたきっかけはあったのでしょうか。
母親が補正下着の販売を始め、補正下着をつけたのが美に対しての最初のきっかけです。美容に関することはもともと好きでした。
ただ、本格的にこの業界へと足を踏み入れたのはダイエットで失敗をしてからです。
——ダイエットの失敗ですか!?
そうなんです。19歳の頃に和歌山から大阪に移住しました。生活習慣が悪かったためか、いつの間にか体型がふくよかになってしまったんです。久しぶりに友人に会うと「どうしたの?」と心配されてることも。和歌山の田舎から大阪の都会に出て行ったので、友人は私がおしゃれになっていると思ったようですが、それとは裏腹に太ったことを指摘されてしまいました。その言葉が自分の中で引っかかってしまいダイエットを始めました。
——無理なダイエットをされたのでしょうか。
はい。元々の性格がストイックなこともあり、リンゴひとつで一日の食事を完結させるダイエットをしていました。知識がないままダイエットをはじめてしまったので、お水も太ってしまうイメージがあり、水も湯のみで一杯。それを続けて、体にかなりのストレスを与えてしまい、月に一度、大量に食べてしまうこともありました。その後は罪悪感が生まれ、大量の下剤を飲んで体重を戻し、サウナへ行って水分を出すという行為を繰り返していましたね。一日で3kg太ったとしても翌日には元に戻っているんです。
——それだと体に負担がかかりますよね。
そうですね。あるとき、全身に蕁麻疹が出て、夜も眠れないほど体が痒くなってしまい、精神的にも参ってしまったことがあったんです。アトピーやシミ・ニキビもない10代を過ごしていたので、アレルギー性皮膚炎を発症してしまうなんてとても驚きました。とにかく正常に戻さなければならないと思い、病院へ行きましたね。
大学病院で先生から「このまま続けたら生命にも異常が出るし、出産ができない体になってしまうよ」と言われました。その一言でやっと我に返ることができたんです。
——そこから今の道を進むようになったのでしょうか。
ダイエットの失敗から立ち直り、今度は自ら勉強してダイエットに対する知識を深めようと思ったんです。自分で知識をつけた上で美に携わっていく。そうすることで自分自身も素敵な姿になれるのでは、と勝手に思い込んでいました。
ですが、その希望をことごとく裏切られて…。その時に、自分はお客様を裏切らないエステティシャンになりたいと思ったんです。
エステティシャン初期
最初はビラ配りから始めました
——どこかスクールに通われたりしたのでしょうか。
はい。和歌山のサロンで機械メインで施術していたのですが、浮腫みを取ることに限界を感じていました。それを解消するためにリンパマッサージを習いに行ったんです。リンパマッサージを学んだことで、施術内容を改めて模索。関節へのアプローチを見出しました。
——自分でサロンを始める前はどこかで勤めていたのでしょうか。
大手のエステ会社に勤めていました。出張エステとして回っていたこともありましたね。お客様とコミュニケーションをとりながら施術していくのはとても楽しかったです。そこから独立し、自分でサロンを始めて28年経ちました。
——28年はすごいですね。最初は苦労したのではないでしょうか。
最初は全て飛び込み営業。町でビラを配り、説明しながらのスタートです。全て一から築きあげました。その後、和歌山県のぶらくり丁という商店街に移り、本格的にスタッフを正社員として雇って、きちんとした形でスタートさせました。
転機
思いきって価格帯を倍にしたことで好転しました
——ご自身の転機となるきっかけはなんですか。
一番大きな転機は、リーマンショックのときですね。それまでは施術価格をかなり抑えて、一般的なOLさんが通える価格帯でやっていました。従業員は4名ほどいて、一日だいたい25人くらいのお客様を迎える体制。ところがリーマンショックが起きてから下降気味に。そのときに価格を倍にし、ラグジュアリーなスタイルへと変化させました。
——逆に大変だったのではないでしょうか。
売り上げが低迷してしまい、お客様の層もガラリと変わりましたね。お客様の層が変わることで従業員の子たちも不安だったと思います。ですが、私はブレず「本物の技術を提供していけばお客様は必ず来る」と思ってやっていました。
——その自信がすごいです!
自信は全くないです。ただ、気持ちがブレないだけ。何が正解なのかわからないからお客様は様々なサロンへ行かれると思うんです。違う形に変わっても芯がブレなければ、お客様はちゃんとついてきてくれる。今いるお客様は全員口コミで広がっています。
——東京にはいつ来られたのでしょうか。
スクールを展開するために2年8ヶ月前に来ました。東京に来たことで全てが大きく変わりました。
——最近なんですね。東京に来るきっかけは何かあったのでしょうか。
実は和歌山でどれだけスタッフを募集しても集まらないんです。これまでに2万人近くお客様の施術をこなし、いろんなお客様のエビデンスを蓄えてきましたが、技術を教えたくても教えることができないんです。せっかく培った技術を衰退させていくのはもったいないですし、誰かに受け継いで欲しいという気持ちが強くなったことが、東京に来た一番の理由。たくさんの人に技術を継承していけたらと思います。
Chinoさんが発する言葉から、自身の技術力に対する自負の強さを感じました。その自負はリーマンショックの状況をも好転させてしまうほど。本物の技術力を伝えたいというブレない気持ちが、今の成功につながっていることがわかりました。後編では、美骨師と名乗るChinoさんの施術や今後の野望について伺いました。
▽後編はこちら▽
施術を通して幸せの輪を広げたい。私の履歴書 Vol.35【Chino THE METHODオーナー Chinoさん】#2>>
撮影/石原麻里絵(fort)
取材・文/梅澤 暁