長野での「高価格」は、都内で死ぬ気で結果を出したからこそ響く【Maison Avallo 代表 上原芳明さん】#1
長野県佐久市で有数の大人女性向けサロン「Maison Avallo」。代表の上原芳明さんは都内の有名店出身で、かなりハードな20代を過ごしたあと、地元でUターン開業。あえてどこよりも「高価格」に設定したそうですが、それは地方のニーズに対する冷静な分析力と、都内で死に物狂いで築き上げた経験値によるもの。
前編では、人口が少ないローカル地域でいかにして差別化をはかってきたか、そして「高価格」の重要性について教えていただきました。
教えてくれたのは
「Maison Avallo」代表 上原芳明さん
長野県佐久市出身。専門学校在籍中にロンドンへ留学。卒業後はACQUAに入社し、青山店・原宿店に勤務。その後、先輩が立ち上げた青山のサロンに移り、店長を経験。2009年に長野県に戻り、美容師仲間と現在の奥様と3人で松本市にサロンを開業。2011年、佐久市に「Maison Avallo」の前身となるサロンを構え、2016年に移転拡張し、リニューアル。
貪欲に結果を追い求めた都内時代。30歳のとき、将来を見据えて帰郷を決意
――これまでの経歴を教えてください。
日本でまだ美容師の社会的地位が低かった当時、技術の習得だけでなく、広い視野で美容師という職業を見てみたいと思い、専門学校在籍中にロンドンに渡り、一年間ヴィダルサスーンアカデミーを履修しました。
卒業後にACQUAに入社。小・中・高と野球部だった自分はそれなりにタフな方だと思っていましたが、根性や努力だけで押し切れる世界ではなく(笑)、スマートに結果を出すことだったり、多様なスタンスを持つスタイリストたちが在籍するサロンだったので、なかなかにキツかったですね。でも、たくさんのことを修行させてもらいました。
ただ、有名サロンのためスタッフ数もかなり多くて、死に物狂いでスタイリストデビューしても、一人あたりのフリー入客率はかなり低かったんですね。このままではつくれる売上に限界があるかもしれないと感じていたとき、青山にサロンを開いた先輩に声をかけていただいたんです。それで、フリー入客率が断然高く、自分の経験をめいっぱい活かせる少数精鋭サロンに移り、店長として働かせていただきました。
――長野県に帰郷されたきっかけというのは?
30歳になるときだったかな。仕事も軌道に乗り、プライベートを考える余裕が出てきたことで、将来の人生プランをイメージするようになったんです。結婚、子育て、老後を考えたとき、このまま都内で働き続けるのはキツいのかなと。あと、勤務していた青山のサロンのオーナーが美容師経験のない人に代わったことで、違和感を抱くようになったのも理由の一つです。
僕と同じ長野県出身の美容師仲間が松本市に戻って美容師をやっていたんですね。開業に備えていた彼はSHIMA出身で、都会的なスタイルや若い世代のお客様を得意としていたんですけど、松本で同じスタイル・同じ客層が通用するのか懸念があったらしく、それで僕を誘ってくれたんです。僕は幅広い客層を担当していたし、薬剤の知識もかなり持っていたので、二人で一緒にサロンをやれば良い化学反応が生まれるんじゃないかと。先に松本で働いていた彼は市場のニーズをよく理解していたので、僕としても心強かったです。
当時お付き合いしていた彼女もSHIMAで働いていて、たまたま彼の後輩だったんです。その彼女が今の妻なんですけど、一緒に長野に付いてきてもらい、3人でスタートさせました。
都内時代で売上=実力をつけた人のみが、地方でも「高価格」で成功する
――サロンのコンセプトやターゲット層はどのように決めましたか?
松本は長野県内でトップ2の都市であり、若者の数も多い方ではあるんですが、それでも都内に比べたら圧倒的に少ない。それを踏まえて、自分たちのやりたいことと市場のニーズのズレをどう合わせていくか、慎重に考えました。
30代での出店だったので、本当はトレンドを抑えたスタイルや、20代の客層をターゲットにしたいという気持ちはありました。けれど、収入の低い学生さんをメイン客層にするとリターン率も下がるし、クーポンがある他のサロンにどんどん流れてしまうのは避けられないだろうなと。そこで僕らは、ブリーチやハイトーンを卒業した大人女性をターゲットにし、傷まない施術や質感の良さを売りにしたサロンを目指すことにしたんです。
――「大人女性のためのサロン」と、ターゲット層を明確に絞り込んだわけですね。
そのコンセプトが果たして地方でハマるのか…という怖さはありましたが、当時の松本には「お洒落な大人向けサロン」が他になかったため、差別化に成功。予想以上にたくさんのお客様に来ていただき、ずっと3人でフル稼働していました。
誤解を恐れずに言うと、選んでもらうためにはこちらも選ばないといけないんです。本当は全ての年代の人に来てほしいですが、そうすると差別化できなくなってしまうし、「大人女性限定」にすることで、逆に大人スタイルに憧れる若い子が来てくれたりもするんですよ。
――それから地元の佐久市に戻った理由とは?
佐久市に新幹線が開通したことで、だいぶ街が発展したんです。松本に拠点を移し、頻繁に佐久に帰るようになったことで、その街の変化を目の当たりにしまして。人口20万人の松本市に対し佐久市の人口は10万人ですが、流入人口は佐久の方が高いと思いました。お隣の軽井沢町が完全に観光地化しているため、軽井沢から佐久まで買い物に来る人は多かったし、インフレ状態の松本に比べると佐久はまだまだ発展途上。伸び代があるという点でもビジネスしやすそうだなと。
それで、佐久でまたゼロからはじめようということで、妻と一緒に帰りました。松本とはかなり距離が離れていたため、集客は全くのゼロスタートになりましたが、松本で成功事例のある「大人女性」をターゲットにしたため、以前より自信を持って出店できました。松本で2年間全力でやってきたことで、自分の知識もスキルも磨かれ、より精度の高い集客と経営ができるようになっていました。
――大人女性のためのサロンということで、高価格で打ち出しているようですね。
あえて、同エリアでどこよりも高い価格設定にしたんです。地方に戻る美容師がこれからどんどん増え、「東京帰り」の価値は下がっていくだろうと思ったし、どんなに都内で活躍していたとしても、10年も経てば「地方の美容師」になってしまう。そこで、ブレない指標となるのが「価格」だったんです。価格はそう易々とは変動させられません。高価格に見合った価値を提供し続けなければいけないし、そのために努力し続けるという自分への戒めでもありました。
――相場に合わせてしまうと他のサロンに埋もれそうですし、「高価格」は差別化の一つの手段ですよね。
低価格勝負となると、低コストで大量仕入れできる大手チェーン店には敵わないんです。だから、我々小規模サロンは、経験値や薬剤の知識といった価値を「高価格」という形で打ち出すべきなのかなって。当時、そういうサロンが佐久にはまだありませんでしたから。
――地方でも高価格が響く可能性が多いにあるということですね。
都内でどんな風に働いていたか、にもよりますけどね。売上に自信を持っている美容師なら良いですが、指名売上50万前後だった人が高価格で打ち出してもリターンには繋がりにくい。結果=自信となって「高価格」に踏み切れるものだと思うので、都内でいかにやりきるかが大事ですよね。
――価格以外で工夫されたことはありますか?
薬剤ですね。都内でしか扱っていない薬剤や、傷みの少ない薬剤を導入するなど、他との違いを打ち出すようにしていました。「東京帰り」の価値は時間が経つほどに失われていきますが、薬剤はいつまでも明確に差別化できる資材だと思います。
「都内でどのくらい結果を出したか」が地方開業で大事になるのだと上原さんは言います。後編では、都内と地方を比較したときの個人売上の差、接客スタイルの違い、求人の難易度について教えていただきます。
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)