19歳で母に。働かせてもらえない悔しさを糧に、雇用をつくる立場へ【ORGANIC MOTHER LIFE 代表 坂田まことさん】#1

オーガニックエステとコスメショップが融合した新しい形のサロン「ORGANIC MOTHER LIFE」。代表の坂田まことさんは、「オーガニック」の概念を諦めずに発信し続けてきた方です。若くして母となった坂田さんは「一生懸命に働きたくても環境がそれを許してくれなかった」と、当時の悔しさを語ってくださいました。

前編では、20代前半で痛感した「子持ちに対する偏見」、開業とほぼ同時期にスクールを開設した理由、サロンにコスメショップを併設した狙いなどをお聞きします。

教えてくれたのは
「ORGANIC MOTHER LIFE」代表兼セラピスト 坂田まことさん

18歳で上京。19歳で結婚&出産。出産後はウェディングプランナーとして働くも、「オーガニックエステ」に出会い、セラピストに転向。サロン勤めを経て、24歳で自宅サロン「オーガニックマザーライフ」を開業。その数ヶ月後にスクール「コットンハウス®︎」を開校&社団法人を設立。27歳で、サロン×コスメショップ「ORGANIC MOTHER LIFE」をリニューアルオープン。現在は株式会社オーガニックマザーライフの代表取締役を務めながら、サロン3店舗とスクールを運営するほか、自社化粧品工場「植物調合美容研究所」(宮崎県国富町)にて製品開発・製造も行う。

子持ちというだけで対等に働かせてもらえないことが悔しかった

ご両親の影響で関西人っ気があるという坂田さん。ものすごくエネルギッシュな方でした!

――坂田さんは若くしてママになったそうですね。

ウェディングの仕事をしたくて、17歳のときに上京したんです。そのときにお付き合いしていた彼と結婚し、19歳で出産。私にとって「産む」ことは前向きな決断でした。しかし、産んでみたら世の中そんなに甘くなかったという。

21歳で夢だったウェディング会社に就職しましたが、フルタイムで働かせてもらえなかったり、責任ある仕事を任せてもらえなかったり。限られた時間の中で120%で働いているのに、残業する人より待遇が悪い。「若い」「子どもがいる」「女性」という自分ではどうにもならないことで自分の全てを決めつけられること、対等に見てもらえないことがとにかく悔しかったですね。子どもがいる人に対して、当時は今より残酷でした。

――それでもなぜ働くことを諦めなかったのですか?

子育てだけをやっていたら、子育てが終わった40〜50代に何も残らないんじゃないかなと思ったんです。それに、もし夢を諦めたら子どもに対して「あなたのせいで」という気持ちを一生引きずるかもしれない。それは子どもにも悪いなと思ったのが一番の理由です。

――坂田さんがオーガニックの世界に魅了されたきっかけというのは?

子育てをしながらウェディングの仕事をすることに苦悩し、精神的に病んだ時期があって。そのときにたまたま受けたのがオーガニックセラピーだったんです。担当してくれたセラピストさんは飛び抜けてきれいというわけではなかったけれど、生き方が凛としていてすごくかっこ良くて。例えきれいじゃなくても、きれいになろうと努力できる人は美容の仕事をして良いんだと気づいたんです。

ウェディングの会社にはすぐに「一ヶ月後に辞めます」と辞表を出しました。未練なんてなかったですね。この業界では自分の努力は認められないと見切りがついていたので。

そのあと約2年半、代官山のオーガニックエステサロンで働いていました。

社会の一員に入れてもらえなかったから、自分で社会をつくった


――そのあと独立し、自宅サロンを開業したのはやはりまた働き方に齟齬が生じたからでしょうか?

はい。エステの仕事にしても、「子どもがいるから…」という同じ状況に陥ったんです。
娘は翌年に小学生になる歳になっていたので、一番多感な時期に家にいないのはどうなんだろうなという思いもありました。それで会社員を辞めて、開業することに。

エステは技術さえ持っていれば、学歴がなくてもできる仕事。逆に私が生きていける道は「自宅サロン」しかなかったんです。開業資金数万円で、お古のベッドをもらい、学芸大学にオープンしました。学芸大学だったらファミリー層も多く住んでいるし、子どもを連れて来やすいと思ったので。

赤ちゃんをお腹の上に乗っけたまま施術することもあったし、授乳しながら施術することも。うちの娘も帰宅後に「ママお腹すいた〜」と部屋に入って来ることもありましたね(笑)。ママ同士だから許し合えるというか、わかり合える環境でした。

――オーガニックフェイシャル専門にしたのはどんな狙いが?

誰もやっていなかったので。リラクゼーションサロンは当時からいくつかありましたが、フェイシャル専門のオーガニックサロンは他にありませんでした。

オーガニックに興味を持つ人って、自分の内面や周りの環境の変化に気づき、知識を得たいという人が多いんです。リラクゼーションサロンにすると、どちらかというと「休みに来る場所」になってしまう。それだとお客様は続けて通ってくれません。フェイシャルなら施術中もたくさんオーガニックの知識をお伝えできると思ったんです。

――スクール「コットンハウス®️」の開校も独立してまもない時期でしたよね。

私のサロンに通ってくれるお客様はきれいになることが最終目標ではない人が多くて。子育てをする中でキャリアチェンジを余儀なくされた人、復帰したけど思うように働けない人、旦那さんに理解してもらえない人。色々な家庭の事情を抱えながら夢を諦めきれない、生き方を考え直したいという女性たちがほとんどでした

お客様から「まことさんみたいに自宅サロンをやりたい」「子どもがいても働いているあなたがすごく素敵だから、やり方を教えてくれないか」という相談をいただくことが増えて。お客様が私みたいになりたいと言ってくれたんですよ。自信がなかった私に対して。私の経験が誰かの役に立つのかもしれない。だったら私は教える仕事をした方が良いなと思い、スクールをはじめたんです。その半年後に社団法人を立ち上げました。

――それが確か25歳のときとのこと。若くして起業家志向だったのですね。

きちんと事業をおこして、お金と場所を生み出し、雇用をつくりたかったんです。自分が社会の一員になれなかった悔しさがあったので。社会の一員に加えてもらえないなら、自分で社会をつくるから良いという思考に切り替えたんです

その後、27歳のときに、初出版や初化粧品開発に合わせて、ここ東京都自由が丘に「オーガニックエステサロン×コスメショップ」という新形態で再スタートしました。

気軽に立ち寄れるサロンにするため、オーガニックコスメショップを併設

自分らしく働くため、25歳で離婚を決意。元旦那さんとは今でも娘さんぐるみで仲が良いのだそう

――エステサロンとコスメショップを融合させた狙いとは?

「エステ」として打ち出してしまうとふらっと子どもを連れて来ることができなくなるんじゃないかなと。また、エステに通うお金がない、エステが怖いという人でも気軽に通えるようにしたかった。それで、ショップと併設したんです。

日本人の約8割が最初は薬局でコスメを買います。だから、そのくらい敷居を下げて日本の薬局感を出す必要がありました。エステサロン特有のきらびやかな雰囲気ではなく、もっとアットホームな「自然派薬局」というスタンスにしたくて。「エステじゃないからみんな気軽においでよ」みたいな。

――当時の「オーガニックサロン」への世間の認識はどんな感じでしたか?

目的が明瞭な脱毛サロンや痩身サロン、ブライダルサロンとは違い、「オーガニックサロンって何をするところ?」という反応でした。とにかく世間にとってわかりづらかったんです。だから、私は「フェンデーションを卒業するサロン」と定義づけて本を自費出版しました。そうしたら本当にファンデーションを卒業した人がたくさん来店するようになって

ある意味マイノリティのように感じるんですけど、他になければものすごいヒットになるんですよ。

――本まで出版するなんて、自己プロデュース力がすごいです!

はじめて出版社の方と打ち合わせをしたとき、企画書を4枚と目次、それと帯を書いてもらう人まで決めて行ったんです(笑)。

ウェディングの仕事をしていたおかげで営業力やプロデュース力が鍛えられたんですよね。自分のことを自分で語れなければ相手に魅力は伝わりません。私が19歳からずっとブログを書き続けてきたのも同じ理由です。


「子持ち」に対する偏見で誰よりも悔しい思いをしてきた坂田さん。そのときの悔しさが形を変えて今の「ORGANIC MOTHER LIFE」となっているよう。後編では、坂田さんだからこそたどり着けた「女性の働き方」について教えていただきます。

取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/SHOHEI

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Salon Data

ORGANIC MOTHER LIFE 自由が丘店

住所:東京都目黒区緑が丘1-23-10 3F
電話:03-6875-9867
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