今いるステージで最大限の努力を。フリーランスアシスタントとして経験を積み、人気美容師へ「NOT」mizukiさん

長門政和さん率いる銀座の美容室「NOT」に、2023年4月から在籍している、mizukiさん。若干23歳という若さながら、傷ませないブリーチ、艶感のある均一なハイトーンカラーなど卓越した技術で人気を集める美容師で、カラーのセミナー講師も務めることもあるといいます。

前編では美容師になった理由や、スタイリストになるまでの経緯を伺いました。アシスタントからフリーランスになるという決断をしたmizukiさん。休みの日もほとんどないなかで、外部のセミナーにも参加し、ひたむきに技術を磨いてきました。その根底にあったのは、今いるステージで最大限に努力をし、自分の決断を後悔したくないという思いだったといいます。

今回、お話を伺ったのは…

mizukiさん

「NOT」スタイリスト。銀座のサロン、フリーランスアシスタントを経て、2023年1月にフリーランスのままスタイリストデビュー。ハイトーンカラーに特化した美容師になりたいと考え、外部のセミナーなどを積極的に活用しながら技術を身につける。2023年4月から「NOT」所属。全国各地を周り、カラー技術のセミナー講師も務める。

インスタグラム

履歴書なしで応募可能!

実際の求人を見てみる

人より努力をするのが当たり前。練習を欠かさなかった専門学校時代

取材に答えるmizukiさん。小さいころからヘアアレンジなど髪のセットが得意で、美容師を目指すようになったという

――美容師になろうと思ったきっかけは?

子どものころから髪の毛をセットしたり、アレンジするのが好きだったので、これを仕事にできたら楽しいだろうなという思いは抱いてました。アレンジをだれかに習ったりしたわけではないのですが、見るとなんとなくできてしまう子どもだったんです。中高生のころは、行事の度に私にアレンジしてもらいたい友達が行列を作るくらい、得意なことでした。

あとは勉強があんまり好きではなかったのと、手に職をつけたい思いもあって、美容専門学校に入り、美容師の道に進むことにしました。

――美容専門学校時代は、どのようなことを感じましたか?

学校、練習、アルバイトに明け暮れる、忙しい毎日でした。とくに練習には力を入れていて、ほぼ毎日、学校が開くと同時に行って、ワインディングなどの練習をしていました。

――ほぼ毎日、練習を欠かさなかったモチベーションは、どんなところにあったのでしょうか?

そもそも人の2倍練習しないと、人と同じようにできないという思いが常にありました。だれかにそのように言われたわけではないですし、最近は人より器用だと言っていただくことが多いのですが、自分でそういう人間だと思い込んでいたんです。

おそらく、子どものころからダンスと和太鼓を習っていて、どちらもとても厳しかったので、人より練習をしないと人並みにはなれないと当たり前のように思い込んでいたんでしょうね。あとは負けず嫌いの性格だったことも大きいと思います。

でもそうやって練習をしたからか、ワインディングの学年代表に選んでいただいたり、1年生のときは先輩の卒業式の答辞を読ませてもらったりと、努力を評価していただく機会がありがたいことに多々ありました。

外部セミナーを活用し、ハイトーンカラーの技術を確立

フリーランス時代のmizukiさんが施術したカラー。艶のあるハイトーンカラーがmizukiさんの代名詞に

――1社目のサロンに入ったあと、すぐにフリーランスとして独立されたそうですね。

そのサロンに入るきっかけにもなった憧れのスタイリストさんがフリーランスとして独立することになり、自分の意志で専属アシスタントとして付いていくことを選びました。しかしそのあと事情があって、その方との雇用関係を続けることができなくなってしまったんです。

どうしようかと思っていたときに声をかけていただいたのが、同じサロンでフリーランスとして働いていた三田和磨さんとシダショウヘイさんでした。おふたりに専属アシスタントとして再雇用していただき、フリーランスアシスタントを続けることになったんです。

――フリーランスでアシスタントをするというのは珍しいケースだと思うのですが、どのように技術を覚えていったのですか?

三田さんとシダさんにカリキュラムを作っていただき、カット技術はもちろん、アイロンやトリートメントの技術もおふたりから教えてもらいました。

また自分の髪をずっとハイトーンにしてきたこともあって、ハイトーンカラーに特化した美容師になりたいという思いがあったので、その技術が学べる場所には積極的に足を運んでいましたね。ハイトーンカラーのセミナーで気になるものがあれば、場所が大阪でも足を運びましたし、カラー技術に優れた美容師さんにDMを送って直接お話しを聞かせていただいたり、お店に伺ってカラーをしていただくこともよくありました。

営業時間が特殊で、週のうち4日はアシスタントとして働き、残りの2日は練習をしても、モデルさんを呼んでもいいということになっていたんです。おふたりには本当に配慮していただきましたし、美容師として大切なことを教えてもらったと思っています。

――おふたりに教えられたことで印象的なことは?

技術面でも、売上の面でも高い水準をキープしているおふたりなので、美容師に必要なマインドのすべてを教えてもらいました。接客の面でも一流以上のものを、伝授していただいたと思っています。三田さんにはお客さまの髪の悩みをなくすだけではなくて、悩みを活かした提案ができるということを、シダさんからは美容室に来てくださるお客さまの時間を幸せで特別なものになるようにしなければならないし、そのために毎日、新鮮さを忘れてはいけないということを教えていただきました。

フリーランスならではの苦悩も、美容師を好きという気持ちで乗り越える

フリーランスだからこそ、メンタルの管理が難しかったというmizukiさん。しかし美容師の仕事を好きだという気持ちで乗り越えてきた

――そのころにぶつかった壁はありましたか?

フリーランスなので、すぐに先輩に聞けない状況というのはあったかなと思います。三田さんとシダさんにはいろいろと教えていただいたのですが、セミナーで習ったハイトーン技術を実際に試してみたときに、うまくいかないことがあっても、どこが良くなかったのかを自分で考えなければいけませんでした。

あとは同期がいないということでしょうか。誰かと高め合ったり、慰めあったりができないので、メンタルの自己管理が課題だったかなと思います。でもそういったことで落ち込むことがあっても、美容師の仕事が好きという気持ちの方が勝っていたので、乗り越えることができたと思います。落ち込んでいても、やらなくてはいけないことが次々やってくるので、それをこなすたびに、美容師を好きな気持ちが増していく感じでしたね。

――アシスタント時代から美容師の仕事の魅力を感じていたんですね。

はい。お客さまに喜んでもらえて、ありがとうと言ってもらえるあの一瞬で、どんな苦労も吹き飛んでしまうと思っていました。お客さまに喜んでもらえた反応を直に感じられるのが、この仕事の魅力だと思います。

――ちなみにフリーランスをやめて、もう一度どこかのお店に入ろうとは思いませんでしたか?

考えたこともありました。ただフリーランスの道を選んだ自分のことを後悔したくなかったので、結局、戻ることはありませんでしたね。今いるステージでできる限りのことをやり尽くしてから考えようと思ったので、まずフリーランスとしてがんばってスタイリストになることだけに目を向けていました。

――その後、どのくらいでスタイリストデビューを果たされたのでしょうか?

モデルさんの売上が3ヶ月連続で45万円を超えたらデビューできるという基準があって、2023年1月にデビューしました。フリーランスとして働き出して1年3ヶ月後くらいのことでした。さらにその3ヶ月後に「NOT」に入り、現在にいたります。


mizukiさんが大切にした新人時代の3つの心構え

1.ハイトーンカラーなど自分が伸ばしたい技術は、積極的に吸収しにいった

2.落ち込むことがあっても、美容師の仕事が好きという気持ちで乗り越えた

3.今いるステージでまずはできることをやりつくしてから、未来について考えるようにした

後編ではmizukiさんが「NOT」に転職した理由を伺います。スタイリストデビュー後、複数の会社から「一緒に働きませんか」と声をかけられたそうです。そのなかで「NOT」を選んだのは、未来がどうなるか分からず、ワクワクしたからだといいます。いつも大事な決断は給料などの待遇面ではなく、直感的に選ぶというmizukiさん。その背景には、美容師の仕事は自分の努力次第で道を切り開くことができるという、信念がありました。後編もお楽しみに!

1
2
求人数3万件!リジョブで求人を探してみる

Salon Data

NOT
住所:東京都中央区銀座1-8-7 VORT銀座DDI 2F
電話:090-9019-8526
この記事をシェアする

編集部のおすすめ

関連記事

近くの美容師求人をリジョブで探す

株式会社リジョブでは、美容・リラクゼーション・治療業界に特化した「リジョブ」も運営しております。
転職をご検討中の場合は、以下の地域からぜひ求人をお探しください。

関東
関西
東海
北海道
東北
甲信越・北陸
中国・四国
九州・沖縄