美容師7年目で東京へ。アシスタントからの再出発だからこそ見えた景色【SHEA aoyama/ディレクター 前坂美来乃さん】#1
「心地よい暮らしと髪と人」をコンセプトに、髪を整えるだけでなく、ライフスタイルに寄り添った美容を提案しているSHEA。
青山店でディレクターを務める前坂美来乃さんは、ニュアンスのあるお洒落なパーマヘアに定評があり、お客様からはもちろん業界からも注目される美容師の一人です。
そんな前坂さんの美容師人生は名古屋からスタート。7年目にして東京で再スタートするまでのストーリー&エピソードをお聞きしました。
お話を伺ったのは…
SHEA aoyama ディレクター 前坂美来乃さん
愛知県の美容室で7年勤務後、以前より憧れの強かった東京のサロンへ転職。「AnZie」に所属し、閉店とともに当時代表であった坂狩トモタカ氏が立ち上げた「SHEA」(表参道店)に参加。2019年、青山店オープン時に店長に就任し、現在はディレクターとして活躍中。
MILANO’S PROFILE
お名前 |
前坂美来乃 |
---|---|
出身地 |
岐阜県 |
年齢 |
37歳 |
出身学校 |
中日美容専門学校 |
プライベートの過ごし方 |
古着などのヴィンテージショップ巡り |
趣味・ハマっていること |
インテリアショップ、サウナ、銭湯 |
仕事道具へのこだわりがあれば |
ずっと使い続けられるもの、動きやすい服装 |
「武器はたくさんあった方がいい」専門学校では学べるだけ学んだ

――美容師を目指したきっかけを教えてください。
実はもともと美容師にすごくなりたかったわけではなかったんです。
私は岐阜県高山市の出身ですが、中学までは勉強ができると思って高校は進学校に行ったものの、一年生の時点で挫折。大学は諦めて、専門学校に進みました。
学生当時の私にとって、専門学校と言えば、美容・服飾・調理師の3つが王道。将来を考えた時に、職業として美容師というのが一番現実的かなと。
専門での選択授業はいろいろ受けましたね。メイク、ネイル、着付けなど、やれるものは全部。
――ストレートに美容師の道を狙っていたわけでもなかったのですか?
武器をたくさん持っている方がいいかなという考えでした。
いろいろ学んでおけば、後から選べるかもしれない。例えば、一度美容師になってからブライダル方面へ行くのもありなのかなとか。
美容師免許を取るというのは前提にして、あとは持てるものはできるだけたくさん持っておこうと。定まっていない分、そんな風に思っていましたね。
――就職は東京のサロンへ?
目指していました。東京のサロンというより、「東京へ行きたい」という気持ちが強かった。
何社か受けましたが、書類は通っても面接で落とされてしまい、全部不合格。
これはもう東京はダメだとなって、名古屋の美容室を受けました。そこはすぐに決まって、7年間その美容室でお世話になりました。
――名古屋の美容室は一発合格だったんですね!?
はい、ありがたいことに。これはタイミングというか縁もつながったような感じで。
専門学校でいろんなジャンルを学んだ中で、色彩の勉強を一番がんばっていたんですね。パーソナルカラーをやりたくて。
それで、先生が「あのサロン欠員が出てるんだけど、パーソナルカラーもやってるみたいだから受けてみたら?」と言われて。
――当時、パーソナルカラーを取り入れている美容室ってなかなか珍しい!
そうなんです。それで説明を聞きに行ったら即面接となって、あっという間に決まるという。
名古屋ではけっこう大きいサロンです。私の美容師人生は、そこからスタートしました。
名古屋の美容室に7年勤務。20代後半で再び東京へ挑戦する決意

――名古屋の美容室で7年働き、そこから東京へ進出したきっかけは?
専門学校の同級生で東京のサロンに就職した子は何人かいました。
私はそもそも東京の街が好きだったので、年に3〜4回は遊びに行って。そのついでに東京組と会って情報交換してました。
ある時、「そんなに東京が好きなのに、どうして東京で働かないの?」という話になり。何かすごく単純ですが、「今なら行けるかもしれない!」とピンと来たんです。
――働いていた環境に不満があったわけではなかった?
名古屋のサロンはすごくよかったです。同期が20人くらいいて、仲間には恵まれていましたね。辞めたいという感じではなかったです。
終身雇用をうたっているような大きいお店。今でも50代、60代のスタイリストがいて、長く働けるビジョンもしっかりあった。
上下関係とかそういうのもしっかり学ばせてもらったし、安定して働いていける道だなとは思っていたけれど、何かを成し遂げたわけでもないな……という気持ちはずっと心のどこかにあったかもしれません。
――20代後半で売り上げものびてきた頃では?
そうですね。次のステップに行くのかなと、まさにそういうタイミングではありましたが、当時の私は東京に行くワクワクの方が大きく勝ってました。
アシスタントからの再スタート。2周目だから見えた景色があった

――東京のサロンはどのように探したのですか?
まず「人とのつながり」を大事にしようというのがありました。
最初に名古屋の美容室が決まった時に、そういうご縁やタイミングもあるんだなと感じたからです。人のつながりで人生をつなげていきたいと思いました。
そうしたら、名古屋のサロンの先輩とSHEA代表の坂狩が知り合いで、そこから紹介という形で面接が決まったんです。「AnZie」というお店でした。
――中途採用という形に?
いえ、アシスタントからでした。
技術面など、見てみないとどこか心配だったんだと思います。7年経験はあったものの、また最初からのスタートです。
レッスンも大変でしたが、坂狩について全国のセミナーや撮影に行かせてもらったのは大きな経験になりました。アシスタントじゃないと見れないいろんな景色が見られた。
その頃はもう東京で働くことが幸せで、若いからエネルギーもあり余っていて、私が何でも勢いよくトライしていくから「ブルドーザー」って呼ばれてました(笑)
――名古屋時代と変わったことはありましたか?
名古屋の時、作品撮りってほとんどしたことがなかったんですね。それが週1の日常になったことです。
当時、毎週木曜に「あさびよう」という活動があって、一緒のチームのアシスタントたちと交代で作品撮りをしていました。
撮影の基礎を毎週直々に教われたのは、今はできない贅沢な経験ですし、モデルさんに声をかけないといけないからすごく詳しくなったり、あとあと糧になったことは本当に多いです。
――週1ってなかなかハードですよね!?
最初は大変でしたけど、がんばって続けていたら、作品撮りが私のアイデンティティになっていきました。
それで週1の作品撮り以外に、個人的にさらに2、3スタイルプラスしてやっていましたね。
自分の洋服の買い物に行ってもこれ衣装に使えそうだな、とかそういう感じで、めちゃくちゃライフワークになってました。
――アシスタントを2回経験してみて思ったことはありますか?
初めての時とは少し違った視点でいろいろ見れたことですかね。
先に7年経験があったけど、「自分はもうこれできるし」とはならなくて、こんな考え方もあるんだ、やり方があるんだ! と違いを冷静に分析できる。
最初ってみんな教えられたことを夢中でやりますけど、2回目だと自分の中で改めて噛み砕いて学ぶことができる。それはすごくいい経験になりました。
――AnZieではどのくらい働いたのですか?
2年くらいですね。AnZieが閉店となり、坂狩はSHEAを立ち上げたのですが、その時に私も一緒についてきた形です。
最初に表参道店がオープンしてそこで働き、一年後に青山店ができたタイミングで青山店の店長になり、今はディレクターとして活動しています。
――SHEAが2019年オープンということは、今年で早7年目。
コロナも乗り切って、今、表参道・青山・学芸大学と店舗も増えました。
今年は新しいチャレンジも実は控えていて、みなさんにも喜んでいただければと思っています!(内容は後編で!)
取材・文/青木麻理(tokiwa)
撮影/高嶋佳代
Check it

SHEA aoyama(シア アオヤマ)
前坂さんのInstagram:@milanomaesaka
住所:東京都港区南青山3-8-7 クレアトゥール南青山2F
電話:03-6447-0377