新体操に明け暮れた毎日からアパレルの営業へ。数字に追われる毎日に疲弊していたときにヨガと出会う【ヨガインストラクター 中村優希さん】#1
インスタグラムのフォロワーは18000人超え。ヨガの専門誌にもたびたび登場する、ヨガインストラクターの中村優希さん。ヨガに出会う前は、日本一の新体操チームに所属。引退後はアパレル会社の営業職に。慣れない生活で疲弊した中村さんは、初めてヨガをした時に「これだ!」と思ったそうです。
「思い立ったら即動く」という持ち前の行動力で、フォロワーを増やしオンライサロンを開催するまでにいたった中村さんの歩みを伺いました。
お話を伺ったのは…
ヨガインストラクター 中村優希さん
幼少期から新体操を始めて、大学時代は当時日本一のチームに所属。引退後はアパレル会社の営業職に。25歳にスポーツジムでヨガと出会い、その後ヨガインストラクターの資格を取得。現在は、さいたま市にあるヨガスタジオ「ブライト」でクラスを持つほか、オンラインサロンの運営やSNSでの発信、ヨガ専門誌のwebサイトでの執筆も行なっている。
NAKAMURA’S PROFILE
- お名前
- 中村優希
- 出身地
- 東京都
- プライベートの過ごし方
- 公園ピクニック、サイクリング
- 趣味・ハマっていること
- サッカー観戦、散歩
新体操選手から営業職に。慣れない生活に体と心が悲鳴をあげる
――ヨガと出会うまでの中村さんの歩みを教えてください。
幼少期から大学卒業まで新体操をしていました。大学時代にいたチームは当時日本一で、毎日朝から晩まで、まさに新体操漬けの日々を送っていました。まだまだ体育会系全盛の時代だったので、上下関係も厳しいし、今思うと「よくやってこれたな」と思います(笑)
――大学を卒業後は新体操をやめて、就職されたんですよね?
はい、アパレル会社の営業職になりました。その会社では、一人一人に月の売り上げ目標があって。何がなんでも達成しないといけないと、というプレッシャーに毎日押しつぶされそうでした。
会社員になって体調面にも変化がありました。一日中新体操で体を動かしていた日々から、毎日営業車に乗って取引先から取引先へと移動するような生活になったんですから、当然運動不足。
ずっと同じ姿勢で車を運転しているので、体はガチガチ。肩こりや腰痛をはじめ、常にコンディションが悪いという状態でした。
――運動とはかけ離れた生活を送っていたんですね。
はい。体だけでなくメンタルもボロボロでしたね。
――ヨガと出会ったのはいつですか?
会社勤めを始めて3年ほどが経ったときです。体を動かしたいなと思って入会したスポーツジムで、ヨガのクラスに参加したのが、初体験です。
なんとなくヨガのレッスンを受けたのですが、ビビッときてしまったんです。直感で「私、これやりたい!」と思って、レッスンが終わる時にはそのクラスを受け持っていたヨガの先生に「どうすれば先生になれますか?」と聞いていました(笑)。
――運命の出会いだったんですね。
はい。私がヨガにハマったのは、その時の先生がよかったんだと思います。とてもかっこいい女性の先生で、最初にその先生に憧れを抱いたんですよね。
検索画面の一番上に出てきたスクールに勢いで申し込み
――そこからすぐにインストラクター養成講座を受講したんですか?
はい。初めてのヨガをレッスンした時に先生に相談をして、「未経験でも半年ほど頑張れば講師の資格が取れますよ」という話を聞き、早速インターネットで検索をしました。そして、検索画面で一番最初に出てきたYMCメディカルトレーナーズスクールに申し込みました。
未経験でしたが、入会してみると私のような人も多く、そこからは夢中で練習に励んで無事インストラクターの資格を取得しました。
――会社勤めをしながら無事ヨガ講師の資格を取得。その後のプランはありましたか?
インストラクターの資格を目指していたものの、取得したらすぐヨガ講師1本で行こう、なんていう気持ちはまったくありませんでした。そう簡単に独り立ちできるわけがないということは分かっていましたし、正直なところ会社員の方が安定していて、メリットもたくさんありますから。
理想としては、平日は会社員として働いて、週末にヨガの先生を少しやるといったもの。あとは将来結婚や出産など大きなライフイベントがあったときに、使える資格として持っておくといいかなとか、そういう感覚でしたね。
――しかし実際は資格取得後に会社を退職し、ご自身が卒業したヨガスクールに就職します。
そうですね(笑)。やっぱり最初にお話しした通り、会社勤めがなかなかキツくて。会社を辞めようと決意した決定打は、私より後に入社してきた後輩の男性が、私より高いお給料をもらっていると知ったときです。
私が彼を指導している立場なのに、待遇は彼の方が上。さすがにモチベーションが下がってしまい、「退職してヨガの仕事を探そう」と決意しました。
――就職先を母校にしたのはどうしてですか?
ヨガで食べていきたい!と思って会社を辞めたのはいいのですが、何から初めればいいのかまったくわかりませんでした。急にフリーのヨガ講師を宣言しても当然生徒さんはこないし、教室を開くにも資金がありません。オーディションの受け方もわからない。
それで、卒業して半年後ぐらい経った頃、母校にアポなしで相談をしに行ったんです。そうしたらちょうどいた講師の先生が相談にのってくれて、そのまま「よかったらうちで働きませんか?」とお誘いをいただき、その日のうちに就職が決まりました。
ヨガインストラクター養成スクールで働いた1年が財産に
――そこで働いた1年はとても学びが大きかったそうですね。
はい。その頃ちょうどヨガブームだったこともあり、人も足りておらず、その1年はすごく忙しかったです。朝からヨガの指導をして、帰宅は終電という日々。土日もスクールは開講しているので、決まった休みも取れません。
家族が病気になってしまったことが理由で1年で辞めることになるのですが、そのときに学んだことは今でもすごく役に立っています。尊敬できる先生もいて、本当はもっと長く働きたかったですね。
――退職後はご家族の介護に専念されたんですか?
そうですね。ヨガインストラクターは続けたかったのですが、当面は仕事を控えて、しばらくは家族を優先する生活をしていました。
取材・文/皆川知子(tokiwa)
撮影/ワタナベミカ
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