ヨガの学びを始めたことでスタイリストとしての仕事の質も上がった【ファッションスタイリスト・ヨガセラピスト 塚田綾子さん】#1
数々の人気雑誌で活躍し、業界でも有名なファッションスタイリストの塚田綾子さん。それまでも習い事としてヨガを続けていたそうですが、コロナ禍に一念発起し、ヨガインストラクターの資格RYT200を取得。現在は、本業のスタイリスト業のかたわら、友人たちとポップアップを開きそこでヨガを教えたり、公園でヨガボランティアをするなど、ヨガを広める活動を行っています。
前編では、無我夢中だったスタイリストの仕事からヨガとの出会い、40代になり資格をとった理由などをうかがいます。
お話を伺ったのは…
ファッションスタイリスト・ヨガセラピスト 塚田綾子さん
長野県出身。高校卒業後に上京し、短大の服飾科でデザインを学ぶ。卒業後、憧れだったスタイリストのアシスタントとなる。アシスタントとして2年働いた頃、「社会をもっと見てみたい」とアパレルブランドの販売・PRとして1年働く。再び同じスタイリストのアシスタントに復帰し、その後独立。ファッション誌をメインに、広告やタレントのスタイリストとして約20年活躍。2023年にヨガインストラクターの資格を取得し、2024年よりフリーランスのヨガセラピストとしての活動も行っている。
TSUKADA’S PROFILE
お名前 |
塚田綾子 |
|---|---|
年齢 |
45歳 |
出身地 |
長野県 |
出身学校 |
杉野女子短期大学 |
プライベートの過ごし方 |
朝ヨガ、公園で子供と遊ぶ、読書、ドラマ鑑賞、アート鑑賞 |
趣味 |
ヨガ、無心で野菜を切ること、掃除 |
ファッションが好きで上京。憧れのスタイリストのアシスタントに

――塚田さんは、多くの雑誌で活躍されている人気のファッションスタイリストです。まずは、スタイリストになった経緯からうかがってもよろしいですか?
地元の高校を卒業後、好きだったファッションの仕事に就くため、東京の短大の服飾科に入学しました。服をデザインしたり作ったりすることを学ぶ学科だったのですが、同じ姿勢で長時間作業をすることが多く肩がこってしまって(笑)。
服を作ること自体は楽しかったのですが、じっとこもって作業するのは私には向いていないなと思っていました。
そんな時にスタイリストという職業があることを知りました。雑誌が好きだったので、なんとなくの存在は知ってはいましたが、どうやったらなれるかもわからなかったんですよね。
短大の卒業を控え、気になっていたスタイリストさんがアシスタントを探していると、友人から聞いたんです。
当時その方は、タレントさん、広告、雑誌と第一線で幅広く活躍していて、めちゃくちゃ売れっ子でした。私も「その人のアシスタントになれたらなあ」と思い応募。晴れてその方のもとで働くことになりました。
――お仕事を始めてみていかがでしたか?
スタイリストのアシスタントになることが決まって、ファッションスタイリストに関する本や、現役スタイリストさんの著書などを読み、「ものすごく大変な仕事」というイメージはあり覚悟はできていました。
実際働き始めたら……。想像を超えた過酷さでしたね(笑) アシスタントは前日に翌日のスケージュールは教えてもらえないんです。つまり、いつどこに呼ばれてもいいように常に待機しておきなさい、ということ。休みの日はありましたが、突然呼び出されることも何度もありましたし。とにかく24時間スイッチオンの状態でしたね。
でも、当時この業界で働いている人たちは、みんなそんな生活をしていたので、そこまで違和感もありませんでした。私自身もそんな生活を楽しんでいた気がします(笑)。
社会経験が少ないと感じ、アパレル会社に就職

――アシスタント時代の失敗や苦労はありますか?
まず直面したのは、社会経験のなさですよね。社会人としてのマナーや礼儀作法がわからない。それで先方に失礼なことをして、師匠に何度も怒られました。世間知らずがゆえに起こした失敗は数え切れないほどありますね。
――辞めようと思ったことはなかったんですか?
何度も思いました(笑)。でも服が好きだし、仕事の現場に行くのも好きだったんですよね。
実は、2年ほど働いた後、一度アシスタントを辞めてるんです。師匠から「一度社会経験を積んでみては?」と言われ、私もたしかにそうだなと思い、スタイリストの仕事から離れることにしました。独立したわけではなく、「いったん師弟関係を解消しましょう」ということです。
――辞めた後はどうされたんですか?
アパレルブランドに契約社員として入社し、販売やプレスとして仕事をしました。初めて会社員になったのですが、これまでのハードワークから一転し、自由な時間が急にできたことで、すっかりだらけてしまったんです。
仕事の後に飲みに行ったり、クラブに行ったり、同世代の新しい友達もたくさんできたので、とにかく遊びまくってました(笑)
そんな状態で1年ほどが経ち、あらためて「自分のしたいことはなんだろう」と考え直した時に、「やっぱりスタイリストになりたい」と思ったんです。
――あんなに過酷だったスタイリスト業を、またやりたいと。
はい。会社員として楽しい日々を送っていたのですが、「楽しいだけじゃ物足りないな」と感じ始めて。この生活をずっと送りたいかと聞かれたら、やっぱりそれは違うな、と。
スタイリストの魅力は……、なんだろう? 達成感ですかね。頼まれた仕事を無事にやり遂げた時は気持ちがいいですし。あとはやっぱりファッションが好きで、コーディネートを組むのも好きだったので、「自分はスタイリストとしてファッションに関わっていきたい」と再確認したんです。
師匠との関係も続いていました。勤めていた会社のプレスルームによく服を借りにきてくれていたし、「終業後に暇なら手伝って欲しい」と言われて、お手伝いに行くこともありました。
それでアパレル会社を1年で辞めて、再び同じ師匠の元に戻ったんです。
5年のアシスタント生活を経て25歳で独立

――一度離れ再びスタイリストの仕事に戻ってきて、計5年のアシスタント生活のあと、ついに独立を果たします。
独立してやりたいと思ったジャンルが、当時流行していたカジュアル系のファッションでした。いわゆる青文字系というものですね。自分でスタイルブックを作り、いくつもの編集部に持参して見てもらって、という営業活動も頑張りました。
少しずつ仕事がもらえるようになり、あっという間に忙しくなりました。仕事は雑誌がメイン。毎日がすごく充実していました。
広告やタレントさんのスタイリングと違って、雑誌は自分の色が出せるところがいいですよね。自分のコーディネートが掲載されて、かわいいページに仕上がってくると、すごくうれしかったです。
――独立してから約20年、今も第一線で活躍されている塚田さんですが、その間に妊娠・出産も経験されています。
はい。現在7歳になる息子がいます。出産の1ヶ月前まで働き、産後は3ヶ月程度で復帰しました。
復帰した時はまだ息子を保育園に入れていなかったので、すべての現場に連れて行っていましたね。スタッフのみなさんが「連れておいでよ」と言ってくださったので、とても助かりました。
ずっと気になっていたヨガインストラクターの資格を取ることを決意
――ヨガに初めて触れたのはいつですか?
20代の頃から習い事として、ヨガはやってたんです。ずっと「もっとヨガを知りたいな」「深めたいな」という思いは持っていました。
本気で資格取得講座に申し込んだのは2022年ですね。仕事と育児を両立しながら、自分も年齢を重ねてきて、体力的にしんどいな、と思うことが増えてきたんです。
あと、レッスンで先生の言うことを真似るだけでは物足りなくなり、自分でフローを作ってみたいと思ったということもあります。
そこでヨガインストラクターの資格を取ることを決意したのですが、対面レッスンに行くのは時間的にも難しい。調べてみると、オンラインでも資格が取れることがわかったんです。「これだ!」と思って早速申し込みました。
最初は人に教えるつもりはまったくなくて、自分のために取った資格だったんです。
スタイリスト、一児の母としての顔の他に、あらたにヨガインストラクターの顔も持つようになった塚田さん。後編では、インストラクターの資格を取得した後の心境や働き方の変化、これからの展望をうかがいます。
取材・文/皆川知子(tokiwa)
撮影/ワタナベミカ
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