人生最初の肌悩みをきっかけにセラピストになることを決意! 私の履歴書【Amour mano代表 Rieさん】#1

幼い頃からずっと抱いていた夢を実現するには何が必要なのか。その答えを体現しているのが、プラーベートサロン『Amour mano』代表、Rieさんです。オールハンドのトリートメントにこだわり、幾つものサロンで研鑽を積み、さまざまな講習会や研究会で技術を習得してきました。

前編では、Rieさんがセラピストを目指したきっかけ、オールハンドの碁術を習得するために修業が厳しいことで知られる『レイ・ビューティ スタジオ』主宰の田中玲子さんに師事したこと、厳しさにどうやって応えたのかなど、お話を伺います。

RIE’S PROFILE

お名前

Rie

出身地

北海道

年齢

35歳

出身学校

札幌ビューティーアート専門学校

プライベートの過ごし方

マッサージを受ける。友人とランチ

趣味・ハマっていること

韓国のドラマを観る

仕事道具へのこだわりがあれば

お客さまひとりひとりに合わせた施術を行うこと
成分にこだわった化粧品・健康食品を扱うこと

TV番組でエステティシャンの存在を知り、将来の夢が決定!

小学5年生の頃からニキビに悩んでいたとは信じられないほど、きめ細かな肌の持ち主。

――Rieさんが美容業界に進むきっかけは何だったんですか。

小学5年生くらいからニキビがひどくて、鏡を見るたびに落ち込んでいたんです。何軒もの皮膚科に通いましたが、ちっともよくならなくて。

――皮膚科でも治らないって、かなりひどかったんですね。

その当時、私が通った皮膚科ではニキビをピンセットでつぶしたり、ステロイドを処方されたりしましが、なかなか治りませんでしたね。ステロイドのせいで色素沈着を起こしてしまったんですよ。ゴーグルを着けたまま日焼けしちゃったみたいに、目の周りだけ白くて他の部分は浅黒い感じになってしまって。鏡を見るのが本当にイヤでした。

――今のRieさんの肌からは想像できませんね。

何をやってもキレイにならないので、本当に落ち込んでいました。
そんなときに『ビューティー・コロシアム』というテレビ番組を観たんです。メイクや美容整形、エステで女性をキレイにする番組で、ニキビがひどくて悩んでいた女性が、エステの施術ですごくキレイになったんですよ。その姿を見て「私も女性をキレイにする仕事に就きたい。エステティシャンになる!」って決めました。

――ご自身が「エステでキレイになろう!」ではなくて、キレイにする仕事に就きたいって思ったんですね。

病院でキレイにならなかったのに、エステティシャンならキレイにできる、というのが衝撃的だったんでしょうね。中学生になるかならないかくらいで、将来の夢が決まりました。

――そんなに早い段階から夢が定まって、ブレなかったのがすごいですね。

子どもが両親にマッサージしてあげると、親って褒めるじゃないですか。「うまいね。さすがだね」って。それで調子に乗っちゃったのかもしれませんね(笑)。

それに学校の勉強が嫌いだったので、早く美容のことをたくさん学びたかったんです。「私は将来エステティシャンになるんだから、学校の勉強は必要ない!」って言い訳にしていました(笑)。

初志貫徹!専門学校を卒業後はエステサロンに就職

お客さまの満足のために多くの専門書から人体の構造を独学で学んだとか。

――専門学校を卒業してから、最初の就職先はどちらですか。

15年ほど前は全国に35店舗くらいあった大手サロンに就職しました。今はだいぶ規模が縮小してしまったようですけど。脚痩せが有名でしたね。ただそこはマシンを使った施術なんです。人の身体はとても繊細なのでマシンではどうしても届かない部分があって、お客さまに満足していただくには、ちょっと物足りない。結果に満足していただくには、やっぱりオールハンドのケアじゃないかと思うようになりました。

――マシンと手では、そんなに効果が違うんですか。

マシンは細かい筋肉をケアするというより、表面や脂肪に対するアプローチがほとんど。脂肪を燃焼させるだけなら、それでもいいと思います。でも、筋肉のコリが影響して疲れが取れない場合や、コリのせいで痩せにくい人がたくさんいらっしゃいます。筋肉へのアプローチはハンドでしっかり緩めないと、根本的にコリがほぐれたとは言えないと思います。。

――身体の構造は複雑ですよね。

そうなんですよ。解剖学の専門書を買いあさって、筋肉や内臓、神経の構造を勉強しました。筋肉の名前を忘れてしまうときもあるので、今でも本を読み返しています。

――脚痩せのサロンにはどのくらいお勤めだったんですか。

2~3年でしょうか。その後はいくつかの中小サロンに勤務していました。サロンによって特徴がいろいろあるんです。最初は「脚痩せ」から始まりましたが、お客さまのお悩みや話題になった美容法などそのときに自分が「知りたい」、「学びたい」ことを得意としているサロンに転職していました。

オールハンドのケアを学びたくて指導が厳しい『レイ・ビューティ スタジオ』へ

『レイ・ビューティ スタジオ』を主宰する田中氏に手腕を認められ、ビューティワールドで技術を披露することも。

――『レイ・ビューティ スタジオ』に転職したのはどのタイミングですか。

『レイ・ビューティ スタジオ』を主宰している田中玲子先生はエステティック業界ではとても有名な方で、化粧品の開発もなさっているんです。その当時、私が勤めていたサロンで先生の化粧品を扱っていたご縁で、先生とサロンのことを知りました。1年ほどしてから『レイ・ビューティ スタジオ』を紹介していただき、先生のサロンに転職しました。

――田中先生は指導がとても厳しいって評判ですよね。

そうですね(笑)。「技はスゴいし勉強になるけれど、厳しいよ」って。でも、私はオールハンドの技術を身につけたかったので、どうしても田中先生の元で働きたくて紹介していただきました。

――実際に厳しかったですか。

厳しかったですね。でも先生はプロ意識がすごく高くて、お客さまを絶対にいい状態にしてからお帰りいただくことに真剣なんですよね。だから厳しいことを言われても、先生を尊敬していましたし、この仕事への厳しさややりがいを教えていただきました。

――他のサロンとは違うことってありましたか。

スタッフにノルマを課すところが多いんですよ。でも先生のところでは、化粧品やチケットを無理に販売させることはまったくありません。売上を無理につくらせるより、お客さまのことを優先しているんですよね。お客さまだって、無理に勧められたら嫌な気持ちになりますよね。本当に「いい」と思ったら、無理に勧めなくても化粧品をお求めになるし、コースを継続してくださいます。

――『レイ・ビューティ スタジオ』にはどのくらい勤めたんですか。

6年くらいでしょうか。当時「筋膜リリース」がすごく流行って、その手技を学びたかったんです。先生のサロンでチーフの役職もいただいて、VIPのお客さまも任されるようになりましたが、そろそろ次の技術を学ぶ時期かなと考えるようになっていました。

小学5年生でニキビに悩まされ、テレビ番組をきっかけにエステティシャンになることを決めたRieさん。夢を叶えてサロン勤めをするうちにオールハンドのケアの素晴らしさに目覚めました。後編では、サロン勤務を経てご自身のサロンを持つまでのこと、他のサロンとどう差別化をしたのか、日々進化する美容業界で取り残されないためにどんなことをしているのかなどをご紹介します。

撮影/森 浩司

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Amour mano
住所:東京都目黒区青葉台1-30-9 ハイリー青葉台502号室

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