人気ヘアメイクアーティストのもとで感性を武器に修業。バンドマンから人気美容師へ【美容師 小林英幸さん】♯1
東京・代官山で美容室「KLAUS」を20年に渡って経営している美容師の小林英幸さん。バンドマンとして音楽の夢を追いかけていた小林さんは、24歳のときにヘアメイクアップアーティスト・松浦美穂さん(現「TWIGGY.」オーナー)と出会い、最初は付き人のような形で美容のキャリアをスタートさせます。
その後、音楽で培った感性を武器にカット技術を習得。やがて雑誌に掲載されたスタイルが大きな反響を呼び、一気に人気美容師として注目を集めていきます。
独立を果たし、順風満帆に見えた小林さんのキャリア。しかしその一方で、自分の選んだ独立の道が、長年心に引っかかっていたといいます。
今回、お話を伺ったのは…
小林英幸さん
「KLAUS」オーナー/ヘアスタイリスト

高校卒業後、音楽系の専門学校に進学し、ミュージシャンの道を目指す。24歳のとき、メイクアップアーティストの松浦美穂さんのもとで、ヘアメイクの修行をスタート。働きながら、美容師免許を取得する。その後、雑誌に掲載されたスタイルが話題を呼び、人気美容師に。30歳だった2007年に独立し、東京・代官山に「KLAUS」をオープン。独自のカット理論をもとにしたレイヤースタイルを得意とし、多くの顧客から支持を集めている。
Kobayashi’S PROFILE
お名前 |
小林英幸 |
|---|---|
出身地 |
新潟 |
出身校 |
山野美容専門学校 |
趣味や休みの過ごし方 |
レコード収集、海外旅行 |
憧れの人 |
「TWIGGY.」の松浦美穂さん |
道具へのこだわり |
MATSUZAKIのカットシザー・スライド・ストロークシザー |
人気ヘアメイクアップアーティストに出会い、美容の道へ

――美容師になろうと思ったきっかけは?
元々、美容師になるつもりはなく、音楽の道でやっていきたいという思いがありました。18歳で東京に出てきて、音楽の専門学校に進み、卒業後はアルバイトをしながら音楽活動を続けていたんです。
クリエイティブなことが好きで、音楽は自分にとって表現手段のひとつでした。ただ実際にそれだけで生活をしていくとなると、やはり厳しい現実があったんです。
――音楽で生計を立てる壁にぶつかっていたわけですね。
はい。そんな悩みも抱えていた24歳のときに紹介されたのが、ミュージシャンのヘアメイクを手掛けていた「TWIGGY.」の松浦美穂さん。松浦さんの手伝いをしてみないかと声をかけられたんです。
僕はビジュアル系バンドをやっていたので、自分でもメイクをしていましたし、髪も真っ白に近い金髪で。そういう見た目も含めて、クリエイティブな雰囲気を感じてもらえて声がかかったのかもしれません。
当時の「TWIGGY.」は麻布十番の雑居ビルの4階でプライベートサロンとして運営されていました。案内されて室内に入っていくと、自分が憧れていたミュージシャンが普通に座っているわけです。
「こんな世界があるんだ」と衝撃を受けましたし、正直、ミーハーな気持ちもありましたね。
――そこから、一気に美容の道へ入っていったのでしょうか?
その時点では「美容師になるぞ」と強く決めていたわけではありません。松浦さんから「付き人みたいな形でやってみる?」と言われて、「じゃあ、やってみます」という感覚でした。
背中を押されたのが、松浦さんからの「美容の仕事って、2年目の人が10年目の人に勝つこともあるんだよ」という言葉。キャリアだけでは決まらない、すごく面白い世界だなと感じたんです。
というのも当時の24歳って今でいう30歳くらいの感覚。親からも「まだそんなことをやっているのか」って言われていましたし、周りもどんどん就職している状況で。どう生きていけばいいかを模索している時期だったので、すんなりと気持ちが決まったのだと思います。
「俺は負けていない」。感性だけで突き進んでいた新人時代

――どのように仕事がスタートしていったのですか?
最初の仕事は今でも忘れられません。
松浦さんはミュージシャンだけでなく、東京コレクションのヘアメイクも担当されていて。入って間もないころに、モデル全員へ同じタトゥーアートを描く仕事を任されたんです。1〜2日練習したら意外とうまく描けて。
ライブが好きだったので、音楽がガンガン流れているランウェイをモデルさんが颯爽と歩いていく雰囲気に魅了されましたね。
――最初の仕事はいきなりうまくいったのですね。
そうですね。そこからどんどん現場に入るようになりました。
ヘアメイクや美容師というより、「髪型」という表現を通して、その人の魅力や空気感を作っていく。その作業を目の前で見るのが本当に楽しかったんです。
とくに印象的だったのが、松浦さんは担当するアーティストの音楽にあった世界観や存在感に合わせて、まるでその人自身を作っていくようにヘアメイクをされていたことです。
その後、美容専門学校に通いながら、松浦さんのもとで働く日々が始まりました。
――松浦さんの下で働いていたときに、壁を感じたことはありましたか?
仕事の上で壁を感じることはほとんどなかったんです。
僕は音楽をやっていたからなのか変な自信がある部分があって。当時の松浦さんは20年以上のキャリアがあって、僕はゼロ。それでも感性の部分で「俺は負けてない」、「自分ならこうする」という感覚がずっとありました。
松浦さんはロンドンでパンクカルチャーを学ばれていた方なんですが、僕自身も高円寺で音楽を通して、生のクリエイションをやってきた自負があったんです。
もちろん、技術は圧倒的に松浦さんの方が上でした。でも、感性だけは負けていないと思っていましたね。
――技術はどのように学んだのですか?
教えてもらったことは、ほとんどありません。レッスンもなく、「見て覚えなさい」という世界でした。
松浦さんはパンクやロックの影響を強く受けていたので、「積み重ね」よりも「一発の衝動」を大事にされていると思いました。
たとえるならクラシック音楽の技術のように何十年も積み上げて完成させるというより、「その瞬間に出たものがよければいい」という感覚です。
だから僕も練習や基礎をきっちり仕上げていくというより、松浦さんを見て、すぐに実践から入っていきました。
松浦さんが切った髪を触って、濡れるとどうなるのか、乾くとどうなるのかを見て、自分でも友達の髪を切ってみる。その繰り返しです。
雑誌に掲載されたスタイルが大反響。月収が一気に5倍に

――最初はヘアメイクが中心だったとのことですが、そこからなぜ美容師の比重を増やしたのですか?
メイクがあまり好きではなかったことと、海外ではヘアとメイクは完全に分業されていると聞いて、「片手間でメイクは極められない」と感じていました。
それに、自分は完全にカットにハマっていたんですよね。最初はお金をとらずに、友達をカットするだけでしたが、それでも紹介が増えていって。
美容専門学校を卒業して2〜3年が経ったころには、完全にカット中心になっていました。
――カットの際は、どんなことを意識されていたのでしょうか?
松浦さんは「カットは彫刻」だと考えており、研磨していくようにカットしていたので、僕も同じようにしていました。感覚的なものはすぐにつかめて、カットをさせてもらうと友だちが喜んでくれることがよくありました。
もうひとつ心掛けていたのが、担当する方のコンプレックスだと捉えている部分を活かして、魅力的にみせること。
とくにミュージシャンの方というのは意外と自信がない方も多いので、その方がネガティブに捉えている部分を美しく、魅力的に仕上げることは意識していました。
そうするとその方が自信を取り戻していくんです。その変化を見るうちに、「髪を切る」ということはただ見た目を整えるだけではないんだなと思うようになりました。
その人の人生を背負うくらいの気持ちで、髪型を提案して切っていましたね。
松浦さんがよく、「ヘアメイクの仕事はエネルギー交換だ」とおっしゃっていたのですが、本当にその通りだと思います。担当させていただく方の個性やコンプレックスを共有して、一緒に形にしていく。そんな感覚でした。
――その後、美容師として人気を獲得していったわけですね。
転機となったのが、雑誌の4分の1ページのスペースにスタイルを掲載してもらったことです。それが大きな反響を呼び、予約の電話がひっきりなしにかかってきて、ひとりでは担当できないほどに。付き人として入ったときの月給は9万円だったのに、一気に50万円ほどに跳ね上がったんです。
ただこれは完全にいい転機だったとはいえなくて。乗る車も、人付き合いも完全に変わり、今思えば、調子に乗ってしまっていました。
――そんなご経験があったのですね。
言い訳になりますが、当時はちょうど木村拓哉さんの美容師ドラマが流行っていて、美容師が脚光を浴びていた時代でもあって。勘違いをしてしまっていましたね。
ただ一方で自分の野心が出てきたときでもありました。「自分の経験を若い世代に伝えたい」と思うようになっていましたし、自分の場所を持ちたいという気持ちも強くなっていったんです。
そして独立を決めたのですが、一番お世話になった松浦さんに対して、すべて決まった後に報告するという不義理な辞め方をしてしまいました。自分の責任なのですが、このときのことがずっと心に引っかかっていましたね。
――その後、松浦さんとは?
実は先日、松浦さんのセミナーに参加して、19年ぶりにお会いすることができたんです。
「もう一度松浦さんのお言葉を確認したくて、今日は来ました」と伝えたら一気にほぐれて、「もっと早く遊びにくればよかったじゃない。何してたの」と笑いながらおっしゃってくれて。
自分はきっと松浦さんにはよく思われていないとずっと思っていたのですが、真逆でしたね。本当に温かく接してくれて感謝しかありません。
後編では独立後について伺います。
感性を武器に、美容師として一気に駆け上がっていった小林さんは、はたから見ると順調なキャリアを歩んでいるように見えます。
しかし実は21歳から自律神経失調症という病気と向き合い続けていた経験が。さらに独立後は、成功の裏で人間関係や私生活のバランスを崩し、自分自身を見失っていた時期もあったそうです。
改めて自分の人生を見つめ直し、再スタートを切った小林さん。美容師としてお店に立ち、お客様と向き合う時間が、自分自身を癒やし、自信を与えてくれたと振り返ります。
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KLAUS(2F)
suu 代官山(1F・シェアサロン)
住所:東京都渋谷区鉢山町7-28
TEL:03-3770-0702
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