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今こそ「ヘアスタイル」の歴史を紐とこう! — 縄文~古墳時代編 —

パーマやカラー、ショートにロング。現在ではいろいろなテイストが楽しめるヘアスタイルですが、昔の人々は、いったいどんな髪型をして生活していたのでしょう。当時の流行は? ヘアアレンジの種類は? カット法やパーマ液などの美容技術の始まりはいつ? 今日にいたるまでのヘアスタイルの軌跡を、一緒に探ってみませんか。

縄文時代の髪型

家

縄文時代のファッションというと、ザンバラ髪に葉っぱや毛皮で身体を隠しただけの、野性味溢れる風貌を思い描いていませんか? しかし、それは旧石器時代のお話。縄文時代には、すでに私たちが思っている以上におしゃれな文化があったということ、じつはあまり知られていないのではないでしょうか。

紀元前1万3千年頃から1万年ほど、長きにわたって続いた縄文時代。狩猟が生活の糧であったこの年代は、集団生活の和を重んじた、比較的平和な時代でした。この間、料理の技術が発展したり、自然に対する信仰が生まれたりと、文化的な発展が見られるかたわら、ファッション面においても貝や石の装飾物や衣服の繊細な刺しゅう技術などの発展がありました。中学や高校の教科書で習った「土偶」を思い出してみてください。そのずんぐりむっくりした体型やふしぎな顔立ちについ目が行きがちですが、よく見ると華やかな装飾具や凝ったデザインの衣服を身につけていませんでしたか? これこそが当時の人々のファッションなのです。なお、この装飾具については、狩猟をする男性が、本業のかたわら製作していたものだと言われていますが、一部のシャーマン(神官)のみならず、一般女性にも贈られ、ハレの日に身につけていたというから、ちょっと驚きですね。

さて、そんなおしゃれな縄文人たちの髪型はというと、糸を使って髪をまとめた「結髪」が多くみられます。また、福井県の鳥浜貝塚からは、日本最古の漆塗りの櫛が出土、他の遺跡でも骨製のヘアピンや、サメの歯がついたヘアバンドなどが見つかっており、結髪にさまざまなアレンジが加えられていたことを物語っています。これは、縄文時代の生活が平和で安定しており、生活水準が高かった=髪型にかまう余暇があったからだとされています。(イラスト参照)

縄文時代の女性の髪型と服装
縄文時代の女性の髪型と服装

なお、以下のサイトでは、個性豊かな縄文人女性の髪型のバリエーションを見ることができます。

【森の散歩】http://30932531.at.webry.info/201204/article_5.html

お団子ヘアや、ポニーテール、頭頂部を丸く膨らませた結髪など、さまざまなヘアスタイルが登場していますね。アクセサリーやトータルコーディネートまで含めて、日本人は古代エジプトやメソポタミアにひけをとらないくらいに、水準の高いおしゃれさんだったと認識できます。

弥生時代の髪型

弥生時代のみずら

人々の生業が狩猟から稲作へと変化すると、時代は縄文から弥生へと移ります。「移住型」であった狩猟生活から「定住型」の農耕生活へと変化するなかで、人々の住処も台地や丘陵地から平地のほうへと移動、いくつもの集落ができ、指導者があらわれ、隣接する集落との争いも勃発しました。

そんななか、ファッションのほうは、縄文期と比べてだいぶ簡素に。指導者や宗教上の身分制度が生まれ、位の高い人とそうでない人の装いに差ができました。6世紀に作られた埴輪をみると、身分の高い男性は「みづら(美豆良)」という、神話や埴輪でよく見られる髪型をしています。(イラスト参照)

弥生時代のみずら
弥生時代のみずら

みずらは、長い髪の毛をセンターでわけ、左右の耳の横で輪にして、その中心もしくはやや下当たりを紐でくくったヘアスタイル。中国の書物「魏志倭人伝」に“男は冠を被らず布を頭に巻いている”と記されていることから、これにアレンジとして「こうぞ」と呼ばれるクワ科の木の繊維を糸状にして作った布「太布」を、ターバンやハチマキのようにぐるりと巻き付けることもあったようです。

古墳島田
古墳島田

また身分の高い女性は、江戸時代のつぶし島田に近い「古墳島田」という結髪にしていたとされ、これは日本の結髪の元となっているのではないかと言われています。さらに「日本書紀」によると、垂れ髪をハチマキ状のもので押さえていたという記述が、中国の「後漢書東夷伝」には、前髪を垂らし後ろの髪を曲げて束ねている、といった記述があり、同じ弥生時代とはいえ、年代や地域、身分や歳の差などによって、さなざまなヘアスタイルが生まれていたようです。

古墳時代の髪型

古墳

100ほどあった地域国家がヤマト王権に統一され「倭国」として確立しつつあったのが、この古墳時代。歴史の授業でお馴染み、前方後円墳がさかんに作られた時代です。対外関係も活発になり、4世紀以降には朝鮮半島に進出。新羅や百済、高句麗と激しく戦ったり、中国に使者を送ったりする一方、国内にも異国の文化や宗教が、急速に広まりました。この影響により、青銅器や鉄で作った武器や防具も発達し、戦の仕方も変化。ファッション面でも朝鮮半島から渡ってきた金メッキの耳飾りや冠が流行したり、“勾玉(まがたま)”と呼ばれる宝飾を使ったネックレスを身につけるなど、弥生時代に比べると、より洗練されたものになっていきました。

さて、そんな古墳時代のヘアスタイルですが、比較的上の地位にいた男性たちは、弥生時代につづき「みづら(美豆良)」が主流でした。これについて一説では、青銅器や鉄が普及し、激しさを増す戦いの際に、カブトと頭の間の緩衝材として衝撃から身を守る目的があったのではないか、とも言われています。また、自分の古墳が作れるような、より身分の高い男性は、これに加えて冠やアクセサリーなどの装飾具を身につけることもありました。

卑弥呼の垂れ髪
卑弥呼の垂れ髪

古墳時代の女性は、弥生後期~古墳時代にかけて邪馬台国を治めたとされる“卑弥呼”に代表されるように「すべしもとどり」「すべらかし」と言われる垂れ髪、もしくは弥生時代からの「古墳島田」に、草花や葉を飾りとしてつけていたました。女性たちの間でも巫女や貴族、民衆など、身分によって装いに差ができ、男性と同様、高級品である金のアクセサリーや冠を使ったヘアアレンジは、身分の高い人たちのみに許されたヘアスタイルであったとされています。

まとめ

以上、縄文~古墳時代までの日本人のヘアスタイルの歴史を追ってきました。ときおり、大陸や南方から異国の文化が渡ってくることはあれど、かなり早い時期から島国ならではの固有の文化が育っていた日本。そんな独自の文化から生まれた古代人のヘアスタイルやファッションをみていると、なんだか誇らしく思えると同時に、もっと自分たちのルーツを知ってみたいという気持ちを強く感じます。同じように個性豊かな古代人の装いに興味を持ったという方、全国にはさまざまな遺跡や博物館、体験施設があります。ぜひ、より深く古代人のことを知り、見て、触れて、クリエイティブな発想のヒントにしてみてくださいね。

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