「失敗はその日のうちに直す」を徹底。厳しい環境でハイトーン技術を習得した新人時代「ONYX」ハルトさん
ハイトーンカラーやデザインカラーを強みに、個性を生かしたスタイル提案で注目を集めるサロン「ONYX」。カリスマ美容師として知られるKOUSEIさんが代表を務め、表参道からトレンドを発信し続けています。
今回ご登場いただくのは、「ONYX」へ2025年に中途入社を果たしたスタイリストのハルトさん。複雑履歴のハイトーンを得意とし、注目を集めるスタイリストのひとりです。
ハルトさんは専門学校卒業後、関西のサロンに入社。年齢層の高いお客様を多く担当しながら、技術や接客の基礎を身につけてきました。
着実に経験を重ねる一方で、次第に「自分が提供したいスタイル」との違いを感じるようになり、転職を決意。東京のハイトーンカラーに定評のあるサロンへ移り、本格的に技術を磨いていきます。
厳しい先輩の元で、ときには泣くほど悔しい思いをしながらも、「その日のミスはその日のうちに直す」姿勢で練習を重ね、少しずつ技術を自分のものにしていきました。
今回、お話を伺ったのは…
ハルトさん
「ONYX」スタイリスト
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和歌山県出身。美容専門学校卒業後、関西の大型サロンに就職。技術・接客の基礎を磨いたのち、ハイトーン技術を極めるため東京のサロンへ転職し、スタイリストデビューを果たす。2025年に「ONYX」へ入社。複雑履歴に対応したハイトーンカラーや、クリエイティブなカラーデザインを強みに支持を集めている。
美容師一家に生まれて。幼いころから感じていた「髪が変える力」

――美容師になろうと思った理由は?
両親も祖父母も美容師として働いている、美容師一家に育ったんです。いつも忙しそうでしたが、お客様を笑顔にしている姿を見て、こんな楽しそうな仕事はほかにないと感じたのが大きなきっかけです。
もうひとつは、小学生のころから毎日スタイリングをして登校するような、いわゆるマセガキで(笑)。髪型ひとつで印象が大きく変わることに驚き、自然と美容師を目指すようになりました。
――小学生からスタイリング! 随分と早いですね。
自分でもそう思います(笑)。それと昔から何かを創作するのがとにかく好きだったことも、美容の道に進もうと思った理由のひとつですね。今でも絵を描くのが好きです。
――最初に入ったのは、大阪のサロンだと伺いました。
はい。配属されたのは大阪のサロンでしたが、関西だけでなく海外にも店舗展開をしている大型サロンでした。お客様は40代以上の方がほとんどという、落ち着いた雰囲気のお店でしたね。
――そのサロンを選んだ理由は?
正直に言うと、当時はかなり不純な動機で選んでしまいました(笑)。美容専門学校にそのサロンの方が説明に来ていて、パンフレットを見せてもらったら幹部の人たちが高級車に乗っている写真が掲載されていたんです。それを見て、こんなに稼げるなんて夢があると思ってしまって。
入社してから、そんなに簡単なことではないと知るんですけどね(笑)。
――そうだったのですね(笑)。入社してからはどんなことを感じましたか。
朝は早く、夜も遅くて、大変さはありました。でもいつも指導をしてくれる先輩がいましたし、練習をしてできることが増えていくのは楽しかったです。練習って自分との勝負だと思うんです。それに勝って、合格という結果がついてくるときにはやりがいを感じました。
あとは学生時代と違って、いろんなことに責任を持たなければいけないんだな、ということを強く感じましたね。
――1社目のサロンではどんなことを学びましたか。
ほとんどすべてといっていいと思います。当時の僕は本当にちゃらんぽらんな人間で、何もできなかったので。
白髪染めのお客様が多いサロンだったので、技術面も学びましたし、接客も鍛えられました。
――接客面も。
はい。年齢層が高めの落ち着いたサロンなのに、当時の自分は言葉遣いもほとんどわかっていなくて、「マジっすか」、「ヤバいっすね」なんて言葉も平気で使っていました。今から考えると恐ろしいですが……。
そういった言葉遣いをひとつずつ直してもらい、朝の鍵開け、先輩のワゴンの片付けといった礼儀作法も含めて、社会人としての基礎を厳しく叩き込まれました。
白髪染め中心の現場から一転。自分のやりたい美容を求めて東京へ

――その後、転職をされたそうですね。
はい。ハイトーンカラーや、クリエイティブなデザインを作れるようになりたい気持ちが強くなり、入社から半年ほどでハイトーンを得意とする東京のサロンに転職しました。
元々美容師を目指した時点では、「こういう美容師になりたい」という明確なビジョンがあったわけではありません。だから1社目のサロンも、今振り返ると「なんとなく」で選んでしまっていたと思います。
――少しずつ、やりたいことが明確になっていった?
はい。白髪染めを提供する毎日は、最初は楽しかったんです。ただ続けるうちに、「自分がやりたいこととは少し違うのかもしれない」と感じるようになりました。そんなときにSNSで、東京の美容師さんたちが発信するハイトーンの個性的なデザインを見て。「自分もこういうデザインを作れるようになりたい」と思い、転職を決めたんです。
退職して1週間ほどでそのサロンに連絡し、まずはサロン見学も兼ねてカラーをしてもらいに行きました。そのタイミングで履歴書を渡して、すぐに面接をしてもらい、無事に内定をもらって。翌週には東京の物件を決めて上京するというバタバタのスケジュールでしたね。
厳しい先輩の元で決めた覚悟。「今日のミスは今日中に直す」

――2社目のサロンに入社後、壁だと感じたことはありましたか?
大きくふたつあります。ひとつはハイトーンやブリーチの技術、もうひとつは接客です。
まず技術面でいうと、ハイトーンは髪の毛が切れてしまう「断毛」と常に隣り合わせです。カラーモデルさんを担当していたころ、断毛を何度か経験して、どうすれば切れないのかを必死に学んでいきました。
――具体的にはどんな風に学んだのですか?
当時所属していたサロンは、アシスタントがひとりのスタイリストの元で学ぶ「専属制度」でした。なので自分を担当してくれていた先輩スタイリストの施術を間近で見ながら、技術を身につけていったんです。
その先輩は元々、大手サロンでディレクターをされていた、かなり厳しい方でした。
営業中はその先輩の施術を見ながら、「この髪質にはこの薬剤」というようにメモを取り続けていました。そして自分のモデルさんを担当するときに、「先輩が前に担当していた、あのお客様に似ているな」と思ったら、そのメモをもとに実践していく。そうやって少しずつ、技術を自分のものにしていきました。
――順調に成長されていたのですね。
とはいえ、お客様の髪質や履歴は千差万別なので、うまくいかないときももちろんありました。でも自分には、教科書的に決まったことを覚えるよりも、経験値を積み重ねていくその学び方のほうが合っていたんだと思います。段々と自分の引き出しが増えていくことに、喜びを感じていました。
先輩から教わってとくに印象に残っているのは、「今日ミスしたことは、今日中に直せ」という言葉です。たとえばモデルさんの髪が切れてしまった日は、その日のうちにウィッグで何度も練習して原因をひとつずつ潰していきました。だから同じミスが続く時期は、あまりなかったと思います。
「落ち込んでいる暇があったら練習しろ」とも言われていたので、気持ちが沈むことはあっても切り替えるようにしていました。ただ、一度だけ泣いてしまったことがあって……。
――どんなときだったのですか?
大きなミスをしてしまった日に、一緒に東京に出てきた美容専門学校時代の友人と会ったときです。
その日はミスをしてしまったことでかなり落ち込んでしまい、気持ち的に余裕がなかったんですが、そんなときに友人がインスタグラムのストーリーに楽しそうな様子をアップしているのを見てしまって。自分は必死にもがいているのに、相手は楽しそうに見えたんです。
お店では絶対に泣かないと決めていたのですが、仕事が終わって外に出て、その友人に会った瞬間、張り詰めていたものが一気に切れてしまって……。思わず泣いてしまいました。
辛い時期もありましたが、今振り返ってみると、あの厳しい環境があったから技術力も精神面も大きく成長できたのだと思います。本当に感謝しかないです。
後編では、2社目のサロンで直面した、もうひとつの大きな壁「接客」について伺います。
「お客様に笑顔になってもらいたい」という思いから、積極的にコミュニケーションを取っていたハルトさん。しかしその姿勢が裏目に出て、「静かに過ごしたかった」という口コミを受けてしまった経験もあったといいます。
その出来事をきっかけに、自分らしさを大切にしつつも、お客様1人ひとりの気持ちや距離感を意識する接客スタイルへと変化していきました。
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ONYX
住所:東京都渋谷区神宮前4丁目11-15 シナモンオーク1F
TEL:03-6434-0043
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