地域に愛される店の2代目として、順風満帆な日々から倒産危機の「地獄」へ 【美容師 小河原正輝さん】♯1

埼玉県春日部市を中心に展開され、創業50年を迎える美容室「EMU international GROUP」。現在は2代目の小河原正輝さんが受け継ぎ、奇跡のV字回復を果たしたことで広く知られ、業界の熱い注目を集めています。

今回は小河原さんにこれまでを振り返っていただきます。小河原さんが美容師になった当時、「EMU international GROUP」は地域に愛されるサロンとして拡大を続けており、イギリスにも留学しヴィダルサスーンのディプロマも習得。

「当時は天狗になっていた」と笑う小河原さんですが、帰国後に待っていたのは、宗教騒動を発端とした「地獄」の日々でした。

お話を伺ったのは…

小河原正輝さん

EMU international GROUP

代表取締役

ICD世界美容家協会会員/KOSE美容専門学校評議員/東萌ビューティカレッジ非常勤講師

1981年、埼玉県春日部市生まれ。2003年に城西大学経済学部卒業。住田美容専門学校通信課程を卒業し美容師免許を取得。2006年に単身渡英し「London VIDAL SASSOONディプロマコース」でカットの技術を学びながら「London Capa Hair Salon」にて勤務。2007年VIDAL SASSOONディプロマを取得。2008年ブラジル リオデジャネイロで行われたIntercoiffure世界大会のステージに日本代表として参加。2009年に帰国後、EMU international GROUP代表取締役に就任。現在に至る。

Ogahara’S PROFILE

お名前

小河原正輝

出身地

埼玉県春日部市

出身校

城西大学経済学部/住田美容専門学校

趣味や休みの過ごし方

趣味は模索中。休日はショッピング

憧れの人

両親

道具へのこだわり

常にお客様にベストな道具を揃える

インスタグラム

美容室の2代目として渡英。順風満帆な日々

小河原さんの両親が立ち上げた「EMU international 春日部本店」

――美容師一家の長男として生まれたとのことですが、美容師になったのは「跡を継ぐ」意識が強かったからですか?

「自然な流れ」だったと思います。「EMU international GROUP」は父と母が立ち上げたサロンで、私が子どものころは本店の上の階に家族で暮らしていました。美容師という職業が常に身近にあり、自分もいずれは下の階でハサミを握るんだろうなとごく自然に考えていました。そして何より父と母が楽しそうに働く姿を見て育ったことが、美容師の道を志す大きなきっかけになりましたね。

高校卒業後は大学に通いながら通信制の美容専門学校で美容師免許を取得。大学に進学したのは親から「大学に行っておいたほうがいい」と言われたのが表向きの理由で、本当のところは大学で遊びたい気持ちの方が強かったです(笑)。

――その後、「EMU international GROUP」に入社されたのですね。

はい。僕としては免許取得後すぐにでもイギリスにあるヴィダルサスーンの学校に行きたかったんです。姉がイギリスで働いていましたし、当時は美容室の2代目がヴィダルサスーンに留学するケースも多く、僕も箔をつけたかった。また当時の自分には突出したものが何もなかったので、イギリスに行けば何かが変わるかもしれないという淡い期待もありました。

ところが父から「お前はこの店の跡を継ぐんだから、イギリスで癖をつける前に日本でスタイリストデビューをしろ」と言われて。結局3年かけてデビューし、その後に念願の渡英を果たしました。

――渡英の準備は大変でしたか?

いえ、特別なことはしませんでした。英語もほとんど話せなかったです。ただヴィダルサスーンの学校というのは、最長でも8ヶ月のコース。親からは2年間の猶予をもらっていたので、1年目は語学学校、2年目にヴィダルサスーンへ入学しました。

その学校には日本人クラスもありましたが、僕はあえて現地のクラスを選びました。日本人クラスには通訳がひとりつきますが、現地クラスに入った場合、言葉の壁があると自分で通訳をつけなくてはいけない仕組み。通訳代が恐ろしく高額になります。自分でできるといった手前、何とか乗り切りましたね。

実際に入ってみると専門用語は日本とほぼ同じなので理解できましたが、カウンセリングでは少し苦労しました。ただそこも定型文で対応することができたので、大きな支障はありませんでした。

8ヶ月間、モデルをひたすらカット。帰国後は「天狗」に

学校に入ったあとは、ひたすらにカットの実践をしていたという小河原さん

――学校ではどんなことを学ばれたのですか。

基本的にすべて実践です。ウィッグ練習は最初の1回だけ。ヴィダルサスーンでは新聞でモデルさんを募集していて、毎朝校舎前にモデル希望者がずらっと並ぶんです。そういった方たちを1,000円ほどでカットするのが決まりでした。

日本でスタイリストデビューまでのカリキュラムを終えていたとはいえ、そこまで技術が高かったわけではありませんでしたから、ワンレングスを切るのに3時間ほどかかったことも。そんなときは、モデルさんも疲弊しきっていました(笑)。8ヶ月間で徹底的に技術を学び、卒業時には先生たちから「世界一の技術を学んだのだから、自信を持って日本に帰れ」と言われて、天狗になって帰国しました。しかしその鼻はすぐへし折られるのですが。

――なぜですか?

まず、イギリスのカットが日本人の髪質には合いません。セニングを使わないので、日本人の重い髪質に不向きです。僕がカットを担当したお客様が後日「直してほしい」と何度かクレームが入り、この技術だけでは日本では通用しないと悟りました。

日本の美容室は、それぞれのお客様の髪質や骨格に髪型を合わせる「似合わせ」技術が抜きんでているので、イギリスで学んだ技術をベースに、日本の感性に合わせたカットを模索し、なんとか軌道に乗り始めました。

そんなとき、会社が倒産危機に陥ったんです。

宗教騒動から倒産の危機へ

スタイリストとしてこれから経験を積んでいくはずの時期に、「EMU international GROUP」が思わぬ危険にさらされたという

――倒産危機とは、どのような状況だったのでしょうか?

ひと言でいえば宗教騒動を発端にした内部分裂です。一部の従業員がとある宗教にはまったことがきっかけで、スタッフの退職が相次ぎ、会社は事実上の分裂状態に。さらには宗教にはまった従業員だけでなく、当時の店長陣がごっそりと退職し、新たな会社を立ち上げました。ほんの数週間で会社は3つに分裂してしまったんです。

――そうだったのですね…。

僕はその当時、スタイリスト3年目で、店長経験すらもありませんでしたが、とにかくスタッフがいないので経営を行わざるを得ない状況でした。残ったスタッフは、僕の同期など、スタイリスト歴3〜4年目程度の経験の浅い若手スタッフばかり。

「これから一緒にがんばろう」と伝えた場では、同期のスタッフたちは不安から、僕の胸で泣いていました。その瞬間、僕の意識が大きく変わりました。プライドは消えて、このスタッフを守るにはどうしたらいいかを考えるようになったんです。


後編では、その後の再建への道のりについてお話を伺います。

当時9店舗あったサロンはわずか3店舗にまで減少。借入金は2億5,000万円にものぼりましたが、それでも小河原さんは前を向き続けました。

しかしそんな小河原さんに追い打ちをかけるように、さらなる試練が襲います。約15年前の当時、美容業界では社会保険未加入の企業もほとんどだったなか、社会保険事務所より強制加入から強制加入の通達が。「すぐに社会保険に加入しなければ会社の継続は認められない」という厳しい通告を突き付けられたのです。


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EMU international 春日部本店
住所:埼玉県春日部市粕壁東1-9-9
TEL:048-761-8943

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