「見返してやる!」ために柔道整復師になるべく上京【いそはた接骨院 院長 磯畑 翔さん】#1
「環境を変えたい」と思うことは誰にでもあるでしょう。そのために住み慣れた場所を離れる人もいれば、仕事を変える人もいます。
今回ご紹介する、いそはた接骨院 院長の磯畑 翔さんもそのお一人。高校卒業後、環境を変えるために単身で上京し、柔道整復師の資格を取得しました。
前編では、柔道整復師を目指した理由、専門学校での学びについて、接骨院で職を得ても学びを止めなかったことについて伺いました。
ISOHATA'S PROFILE
お名前 |
磯畑 翔 |
|---|---|
出身地 |
鹿児島県 |
出身学校 |
新宿医療専門学校(旧・新宿鍼灸柔整専門学校) |
プライベートの過ごし方 |
仕事に必要なことのインプットとアウトプット |
仕事または道具へのこだわり |
手を育てること(詳しくは文中を) |
自信のあったサッカーも何もかも思い通りにならなかった子供時代

――磯畑さんのご出身は鹿児島ですが、なぜ新宿の専門学校に進学を?
僕のことを知っている人がいない場所に行きたかったからです。
――それはどうして?
小学2年生の頃からサッカーをやっていて、特待生として高校にも進学しました。ずっとサッカー中心の生活で、僕にとって唯一、誇れるものだったんです。でもケガをしてからレギュラーに選ばれなくなって、しかも人間関係にも失敗したのでメンタル的にもかなり落ちていました。
当時は「みんなを見返してやる!」という想いが強くて、まずは知り合いのいない場所へ行きたかったんです。
――柔道整復師の道を選んだのはどうして?
高校で落ち込んでいた僕を支えてくれたのが、学校に併設されていた接骨院の先生だったんです。顔が合えば「どうした?」って声を掛けてくれて、友だちにも親にも言えなかった想いを聞いてくれました。こんな風に寄り添える職業に就きたいと思うようになりました。
もう選手としてサッカーはできないけれど、柔道整復師になればスポーツに携われることも大きかったですね。
――いい大人に恵まれましたね。
うちはシングルマザーで、母に頼りたくてもちょっと難しい。「進学したい」って相談したら「家にお金はない」のひと言。
それでいろいろ調べて、新聞奨学生制度を利用すれば寮もあるし、働きながら学校に通うことにしました。
――学校はどうやって選びましたか?
資料をいろいろ取り寄せて、いちばん厳しそうなカリキュラムの学校を選びました。高校を選ぶときもそうでしたけど、自分が成長するには厳しい環境がいいと常に思っています。
尊敬できる師匠と出会い、柔道整復師の道をスタート

――学校生活はいかがでしたか?
中学高校と「授業は寝る時間」だったので(笑)、最初の頃は慣れるまで大変でしたね。
――それは大変でしたね(笑)。
新聞配達があったので、夜間部に入学しました。クラスメイトは僕よりうんと年上の方たちばかりで、僕が赤点を取ると「どうした?どうした?」って、分からないところを教えてくれたり、ノートを見せてくれたり。
――優しい方たちだったんですね。
クラスメイトだけではなく、尊敬できる師匠にも出会えました。
経験や知識を積み重ねて自分の「手」を育てるんだと教わりました。最初の頃は「この先生は何を言ってるんだ?」って思いましたけど、自分で治療するようになってから腑に落ちるようになりました。
――いい先生ですね。
「医学的な知識をもって治療をしていれば、柔道整復師は日本になくてはならない職業になっていたはず。君たちがそれを担って欲しい」ともおっしゃっていました。医療に従事する者として、努力し続けなければいけないと思っています。
最初の接骨院は三か月で退職。自由に勉強できる接骨院で再スタート。

――卒業してからは?
いくつか接骨院を経営しているところに入社しました。「君は優秀だから、すぐ店を持たせてあげる」という甘い言葉に乗せられて(笑)。
――すごいですね。
でもそこの院長が、「黙ってオレの言うとおりにやれば良いんだ」というタイプだったんです。「こうした方がいいと思う」と言っても聞いてもらえないし、「どうして院長のやり方が良いのか?」って聞いても答えてくれない。
「自分が納得できないことは患者さんにもできません」と言って、三か月で退職しました。
――次の接骨院はどんなところだったんですか?
院長がご自身の接骨院を開院して4年目くらいのタイミングで、僕は入りました。僕が初めての弟子だったと思います。
院長は当時25~6歳で僕と年齢も近くて、「こいつは教え込むより、放っておいた方が伸びるだろう」と思ってくれたんでしょうね。
――最初の頃はどんなことを?
院長の施術をずっと見ていました。患者さんが来たら最初に僕が問診をして、それを院長に伝えるのも仕事でした。
1年くらいして、いつものように問診の結果を院長に伝えたら、「じゃあ、治療して」って言われたんです。「えっ!? 僕が?」って、驚きでした。院長から「もうできるでしょう?」って言われて。自信はあるんですよ。ずっと勉強してきましたから。でも、それを自分の範疇でやっていいものか、迷いがありました。
――院長先生は、磯畑さんのことを観察していたんですね。
どうなんでしょう。
当時まだ僕は20代で、誰に対しても「倒してやる! 打ち負かしてやる!」という気持ちだったんです。そんなのが近くにいたら嫌ですよね(笑)。
――院長に対しても?
そうです(笑)。もちろん「倒してやる」というのは技術的なことですよ。
まだ治療に入らせてもらえない下積みの間は、月曜日はアレをする、火曜日はコレをするって時間割を組んで勉強していました。週末とか休みの日はセミナーに行って、ひたすら知識を入れていました。
柔道整復師になると決めてから、道を究めるために必要な知識を貪欲に吸収していた磯畑さん。
後編では、五年間勤めた接骨院を辞めて雇われ院長として就職したこと、常に自分を大きく見せようとしていたことに気づいたこと、「シェア治療院」という新しい形に救われたこと、接骨院に縛られずさまざまなことにチャレンジしていることをご紹介します。
撮影/森 浩司
Check it
いそはた接骨院
住所:千葉県浦安市入船4-7-23
%20(1).jpg?q=1)
.jpg?q=1)
.jpg?q=1)
%20(34).jpg?q=1)
%20(33).jpg?q=1)
.jpg?q=1)