表参道で研鑽を積み、地域密着の吉祥寺で本領を発揮【Kiitos by Garland 和久井克哉さん】#1
商店街や緑豊かな公園が充実し、都心へのアクセスも良いことから、住みたい街ランキング上位に挙げられることが多い吉祥寺。駅周辺は言わずと知れた美容室激戦区でもあります。
そんな街に2013年にオープンした「Kiitos by Garland」(キートス バイ ガーランド)は、ファミリー層を中心に幅広い世代から支持される人気サロン。代表の和久井克哉さんは、おしゃれで持ちの良いカットと、ずば抜けた毛髪知識で多くのお客様から信頼を集めています。
前編では、挫折しそうになったアシスタント時代のエピソードや、スタイリストデビュー後の撮影経験、表参道から吉祥寺へ移った頃のお話などをお聞きしました。
お話を伺ったのは…
Kiitos by Garland
代表・美容師 和久井克哉さん
2005年4月「reve(レーヴ)」入社。2007年、ブランド統合により「Bivo PHASE(ビーヴォ フェイズ)」へ異動。2011年1月に「Garland」のオープニングメンバーとなり、スタイリストデビュー。2013年10月にオープンした「Kiitos by Garland」で店長を務めたのち、同店の代表に就任。現在はヘッドスパサロン「SOKI」や、まつ毛サロン「Garland eyelash」の代表も兼任している。
WAKUI’S PROFILE
お名前 |
和久井克哉 |
|---|---|
出身地 |
新潟県 |
年齢 |
40歳(2025年7月時点) |
出身学校 |
東京文化美容専門学校 |
憧れの人 |
建築家の隈研吾さん。20代の頃の作品が酷評され、勉強のため30代でアメリカに留学し帰国してからより有名になった彼の記事を読むたびに、アシスタント時代の僕は「20代のうちはいくら悩んでもいいんだ!」と自分を奮い立たせていました。 |
プライベートの過ごし方 |
映画、旅行、建築を見に行く |
趣味・ハマっていること |
インテリア、建築、不動産屋、投資 |
仕事道具へのこだわりがあれば |
定期的にメンテナンスする |
先輩のおかげで飲み込んだ「辞めたい」の言葉

――美容師に興味を持ったのはいつ頃でしたか。
小学生の頃、無理やり連れて行かれた床屋で切ってもらった髪型が嫌すぎて、自分で髪を切るようになったんですよ。中学生くらいからは漠然と、将来は美容師になるんだろうなと思っていました。
――小学生からセルフカットなんてすごいですね!美容師以外の職業が気になったことは?
インテリアや建築が好きなので、高校生の頃はそちらの道も少し頭にありました。でも進路を決める段階では7:3くらいで美容師の道を考えていて、先生にも「お前は美容師だろう。インテリア系は趣味で楽しめばいい」と言われて、美容専門学校に進学しました。
――美容学生時代、理想の美容師像はありましたか。
初めは特に何か高い志を持っていたわけではありませんでした。上京したのも、地元のヤンキー友達とは別の学校に行こうと思ったからで(笑)。いざ入学したら、出会った友達はみんな意識が高くて、大手サロンに就職したいとか、すでにいろいろ考えていたんです。周りにつられて、僕自身の考えや心構えも変わっていきました。
その頃に憧れたのは、当時人気を博していた雑誌『CHOKi CHOKi』でおしゃれキングに選ばれた美容師です。ミーハーな気持ちでその人が所属するサロンに髪を切りに行ったら、アシスタントが偶然同じ専門学校出身で仲良くなって。専門学校の2年間ずっと通い、卒業後はそのサロンに入社しました。
――アシスタント時代の印象的なできごとは何かありますか。
僕が22歳の頃に母親ががんになりました。父親はすでに亡くなっていたし、弟妹はまだ育ち盛り。家族のことで大変だったのと同時に、仕事でも悩んでいるタイミングだったので、もう辞めたいと思ったんです。
すごく仲良くしていた先輩に話そうと思って一緒に飲みに行ったのですが、僕が言いたいことがわかっていたんでしょうね。開口一番に「もしお前が辞めたいと言ったとするじゃん?そうしたらもう、明日からお前の先輩じゃない。それだけはわかっておいてね」と言われたんです。
当時は「辞めたい」という言葉を簡単には吐けない時代。もし口にしたら即、居場所がなくなっていたはず。先輩のひとことで思いとどまれたから、今があると思います。
ハントで月50人の新規客を集めた、がむしゃら期
――Garland所属と同時くらいにスタイリストデビューされたそうですが、その頃、特に力を入れたことは何ですか。
集客サイトのようなサービスはまだ始まったばかりでしたし、SNSもほぼなかったので、集客の肝のひとつがモデルハントでした。休日はいろいろな街へ出て、朝から晩までずっと、狂ったようにハントしましたね。自分で声をかけたお客様だけでも月に50人くらいは店に来てくれたと思います。
その時以来、今もリピートし続けてくれているお客様もいらっしゃいます。とはいえ、当時はまだ技術が大したことないので、たくさん失客もしていたと思います。
――月50人の新規客ってすごいですね。
スタイリストデビュー前後の2年間は、必死でお客様を呼んでいただけです。とにかくがむしゃらで、勢いだけ。同期ともよく「人生80年のうち2年くらい、死ぬ気でやれば何とかなる」なんて言って、睡眠時間も休日も返上していました。これは完全に“時代”ゆえです!
――スタイリストとしての成長を感じたのはいつ頃ですか。
Garlandオープンからまもなくして、ありがたいことに雑誌の撮影の仕事をもらえるようになりました。いろいろな撮影をやらせてもらううち、がむしゃら一辺倒ではなく「見られる側としての意識」が生まれました。作るヘアデザインや自分自身の見せ方を深く考えるようになり、そういうところが強みになっていった気がします。
――印象に残っている撮影はありますか。
たくさんありますが、パッと思いつくのは『ViVi』の撮影です。デビュー数ヶ月後くらいで、初めて若手スタイリスト企画に呼ばれたんです。当日は社長も現場に来て、あれやこれや言われながら作ったのがたまたまうまくいき、そこから何度か続けて呼んでいただきました。でもある時、現場でヘアの手直しが全然うまくいかないことがあって。その次は呼ばれなかった…というのがすごく記憶に残っています。
――撮影経験を重ねて得たことや、大切に感じたことは何でしょうか。
最初は「前から見た状態を完璧にしよう」としていたのですが、「360度きれいに写るように作らなきゃいけない」と気づいてから、ステップアップできたと思います。もともと建築とか立体的なものが好きなので、ヘアスタイルをちゃんと立体で形作っていくことがわかってきたら、どんどん面白くなりましたね。
吉祥寺の新店舗で店長、代表を歴任

――Garlandが吉祥寺に2店舗目を出すことになり、異動と言われた時はどんな思いでしたか。
美容師の友達には、「表参道にいれば雑誌の仕事がたくさんできるのに、吉祥寺に行くのはもったいない」と言われたんですよ。でも僕はもともと、最先端のデザインを作るよりもケアの方が好きで。吉祥寺の方が地域密着で、僕のやりたいことに合っているというイメージでした。だからあまり不安はありませんでしたね。
――オープニングから店長を任されたんですよね。
正直、自分には店やスタッフのマネジメントができるとは思っていなかったので、一度断った記憶があります。当時すでに27、8歳になっていたんですけど、スタイリストデビューからまだ2年だったので、自分には早いという感覚でしたね。でも新しい店に携わるのはワクワクする気持ちもあったので、引き受けることにしました。
――Kiitos by Garlandの滑り出しはいかがでしたか。
オープン直後から本当にたくさんのお客様が来てくれました。表参道時代のお客様もいらっしゃったし、近隣エリアのお客様も多くて、嬉しかったですね。
――その後、代表に就任されて、どんな変化がありましたか。
店舗のことは次の店長にまかせて、会社全体のことに頭を使うので、視点が変わりましたね。サロンワークでやることは、きっと変わらないと思うんですけど。
――Kiitosのこれまでの歴史の中で、浮き沈みの波はあったのでしょうか。
新規数だと最初はドカンと増えて徐々に落ち着いていきましたが、売上自体はそこまで波はありませんでした。スタッフの入れ替わりはそれなりにありましたが、店としては安定しています。コロナ禍の時も、都心ではないからこそなのか、客数は減らなかったのが幸いでした。
続く後編では、新たなブランドとしてヘッドスパサロンを出店した経緯や、「Kiitos by Garland」と和久井さんのこれからについて、お話を伺いました。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子
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Kiitos by Garland
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-22-7
TEL:0422-27-2163
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