「50歳になったとき何をしてる?」の言葉でトレーナーに【YUMICOREトレーナー Naoさん】#1
新たな道を切り開くとき、先輩たちはどうやって壁を乗り越えたのかを紹介するこの企画。今回はYUMICOREのトレーナー、Naoさんにお話を伺います。
前編ではキャビンアテンダントを経て結婚し、出産。運動とは無縁な日々を送る中でママ友に誘われてフィットネスに出合ったこと。そのママ友にスカウトされ、43歳にしてトレーナーの道に進んだこと、トレーナーとしてどうすれば充実したレッスンになるのか模索したことについてインタビューしました。
お話を伺ったのは…
YUMICORE
トレーナー Naoさん
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大学を卒業後、JALのキャビンアテンダントとして12年間勤務し、結婚を機に退職。長男のママ友、Yumico氏が主宰するスタジオでフィットネスに出合う。YUMICOREのトレーナーとなり、9年目を迎える。
夢をアナウンサーからCAに切り替え、JALに12年間勤める

――Naoさんはもともと身体を動かすことがお好きだったんですか?
まったく興味が無くて、運動とは無縁の生活を送っていました(笑)。
――将来はどんな職業に就きたいと思っていたんですか?
学生時代はアナウンサーを目指していましたが、すべて落ちてしまって。一緒に就活をしていた知り合いから、「キャビンアテンダントの募集があるから一緒に受けない?」と誘われて、受験することにしました。
――CAも狭き門ですよね。
それが受かったんです。CAは勤務時間が変則的で立っている時間も長いし、時差もあるので体調を崩す方が多いんですが、私は何ごともなく(笑)。天職だと思っていました。
――そうだったんですね!
12年間勤めましたが、結婚を機に退職しました。夫のアメリカ転勤が決まって、付いてきてほしいと言われたんです。私自身も長年勤めて、「少し休んでも良いかな」と思えたので、何の迷いもなく専業主婦になることを選びました。
――Naoさんのパートナーは専業主婦を望んでいたんですか?
結婚するときに「子どもが小さいうちは、できれば専業主婦でいてほしいけど、Naoちゃんにやりたいことがあるなら反対はしないよ」という感じでした。でも、このときの私は一生、専業主婦がいいと思っていました。
――アメリカに渡って、こちらに戻ってきたのは?
2年後です。日本に住むようになって37歳のときに長男、42歳で次男を出産しました。
――フィットネスとの出合いはどんなタイミングですか?
次男を出産してから、なかなか体型が元に戻らなかったんです。当時、長男のママ友だったYumico先生がご自宅でスタジオを主宰しているのを聞いて、通うようになったのがきっかけです。
――Yumicoさんがきっかけだったんですね。
その当時は「身体を動かすのが楽しい」ではなくて、ママ友や通っている仲間たちに会っておしゃべりするのが目的でした(笑)。
「50歳のとき何をしていると思う?」と聞かれて、トレーナーになることを決意

――トレーナーになったのはどんなきっかけで?
Yumico先生に「やってみない?」と誘われたのがきっかけです。結婚前に12年間もCAをやって「働くのはもう十分だ」と思っていました。それに、子どもが産まれたばかりで手がかかる時期だったので、お断りしたんです。
――確かに、時間的に難しいですね。
Yumico先生が諦めずに何度も誘ってくださったんですよ。「50歳になったとき、何をしていると思う?」って聞かれました。子どもに手がかからなくなったとき、「これから自分がやりたいことをやろう」と思っても年齢や体力的に難しくなるものだって。「やるなら今しかないでしょう」って。
――グッと心に刺さりますね。
夫に相談したら、「Naoちゃんがやりたいならやってみれば。応援するよ」って言ってくれたので、トレーナーの研修を受けることにしました。
Yumico先生とは家族ぐるみでおつきあいしているので、夫も「Yumicoさんとなら」と安心していたようです。
――どのような研修があったんですか?
最初に11月に5日間の研修があって、12月にテストを受けて、1月には自分のクラスを受け持つようになりました。
まだ下の子は0歳だったので授乳が必要だったんです。研修期間に夫の会社が休みの時は、昼休憩に合わせてスタジオまで子どもを連れてきてくれて、車の中で授乳したこともありました(笑)。
――研修を受けたのは何人くらい?
10人弱でしょうか。最初のテストに合格して1月にデビューした3人が、今の「膣戦隊」と呼ばれるメンバーです。
――最初のレッスンは緊張しませんでしたか?
もともと人前で話すのが苦手だったので、緊張どころではなく、とにかくこなすのに必死でしたね。同期の3人でお互いのレッスンに参加してサポートし合ったり、アドバイスし合ったり。一緒に勉強して、分からないことはYumico先生に聞いていました。3人で毎日のように電話やLINEをして、お互いに励まし合っていました。
――結束が強くなりそうですね。
Yumico先生を含めた4人は戦友ですね。
Yumico先生はトレーナー歴もあるし、いろいろ勉強している。だから先生を慕って生徒さんが集まってくるんです。でもトレーナーになったばかりの私たちは、何をすればいいのか戸惑うことばかりでした。
――それは辛いですね。
そのときに、私の性格を活かそう!と思い立ったんです。私のレッスンに参加してくださった方を笑顔で帰そうって。
YUMICOREは身体を変えるのが目的ですが、それだけじゃなくて、「また来たいな」とか「楽しいな」って思ってもらえるように、積極的にコミュニケーションを取るようにしました。
――例えばこんな風に?
初めての方だと、トレーナーに声をかけにくいじゃないですか。なのでこちらから、お声がけをしたり、たくさん褒めたりします。
日本人って、自分の悪い所ならいくつでも挙げられるのに、良い所は分からないという方が多いですよね。だからその方の良い所を見つけて、伝えています。
――生徒さんにとって、それは嬉しいことですね。
「また来たい」と思っていただくには、レッスンの質を上げなくてはいけません。そのために、レッスンが終わるたびに家に帰ってから勉強をするのが大変でした。まだ子どもが小さかったし、家事もやらなければいけない。もっと勉強したいけれど、家事や育児があって時間がありません。やらなければならないことばかりで、ストレスが溜まっていきました。
ママ友だったYumicoさんと出会ったのを機に専業主婦からトレーナーとなり、二人の男の子の子育てをしながら悪戦苦闘の日々を送ることになりました。
後編では、家事と育児と仕事のバランスを取るのが難しくなったときに救われた言葉について、仕事に行き詰まって投げ出したくなったときにYumicoさんからかけられた言葉のこと、死ぬまで現役トレーナーを続けたいと語る真意について伺います。
撮影/森 浩司
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