金井亮 interview #1:高校時代に作った人生設計
フォロワー5,000人以上は無料、10,000人以上は、1フォロワーにつき1円がもらえる。(上限10万円)。ただし、条件がひとつ。それは、SNSで拡散すること。金井亮さんは、そんな個性的な『フォロワー数で値段が変わる美容室』を作りだした異色の美容師です。また、サロン以外にもケーキ屋やスポーツバーを経営するなど、幅広い分野の事業を手掛ける経営者でもあります。いったいどのようにして、金井さんは今のスタイルに行きついたのでしょうか?
前編では、美容師に興味を持ったいきさつや、高校時代に作った人生設計についてうかがいました。
無職でいたかった
――美容師に興味をもったきっかけを教えてください。
「どうしても美容師になりたかったというより、そもそも仕事にポジティブなイメージがなく、できるだけ働かずに生活したいと考えていたんです。それでも将来働かなければならないのであれば、好きな事をやりたいと考えていました。その延長線上に美容師という職があったんです。仕事に対して、積極的になれなかった理由は、両親がかたい仕事をしており、毎朝早く家を出て通勤ラッシュの電車に揺られ、仕事の付き合いでお酒を飲み終電で帰ってくる。毎日を送っていたからです。髪も染めれず、長さまで決められたスーツにネクタイを身に着ける。そんな両親を見て、つまらなそうだと感じていました。そこで、漠然と興味があった美容師がいいのではないかと。そのくらいの考えしかありませんでした」
“人生を2度生きる”をテーマに
――はっきりと美容師になろうと思った意識されたのはいつですか?
「高校生の時です。真剣に仕事について考えた時、20歳から定年の65歳まで45年間も働くという現実を知り呆然としました。“3年間という高校生活の15倍も労働をするなんてありえない”と思ったんです。そこで“働く時間を短くできないか?”と考えビジネス書などを読み勉強しました。読書を通して、サラリーマンの生涯給が平均2億円と知り、まず半分の労働時間で2億円稼げる方法はないかと考え、40歳までに2億円のキャッシュをつくり、その後の人生は自由に生きる。“人生を2回生きる”をテーマに決めました。当時、稼ぐ方法は雇われる側になるか雇う側になるかの2種類しかないと思っていたため、雇う側になれる仕事になろうと。その考えが、美容師につながっていきました」
大学に通いながら、通信の美容学校へ
――高校卒業後の進路を教えてください。
「高校卒業後は、美容学校に進学することも考えましたが、心配症な性格もあり美容師以外の道も作っておこうと考えました。そこで、大学に進学し建築学を学んだんです。しかし、美容師として働く気持ちはずっと持ち続けていたため、大学入学時にはすでに、同時に美容学校に通うダブルスクールをしようとを決めていました。そのために1年生の頃からアルバイトをし、コツコツと学費を貯める日々でした」
――なるほど。ちなみに、どんなアルバイトをしていましたか?
「1年生のときから、ヘアメイクのアシスタントをしていました。雑誌の一角にヘアメイクを掲載するコーナーがあり、そこを任されていたんです。初めて自分が作ったスタイルが世に出て、さらにお金がもらえたあの時の快感は、今でもはっきりと覚えています。順調に働いていましたが、働き始めて2年が経った頃、突然その雑誌が廃刊になったんです。いい時は10万円以上稼げるようになっていましたが、翌月から収入が一気にゼロになり、世のなかでは、こんなことが起きるのかと衝撃を受けました」
――大学卒業後に、建築の道か、美容の道かで迷いはありましたか?
「ありませんでした。ヘアメイクのアシスタントをしていたときに、先輩の美容師から“生きていれば、誰しも必ず髪を切る。だから髪を切ることさえできれば、飯は食っていける”と言われたんです。その言葉で、美容師になりたいという気持がさらに強くなりました」
金井さんは、学生の頃に決めた人生のルールが3つあるそうです。それは、「好きな仕事をすること」「社長になれる商売をすること」「電車に乗らないこと」。なるべく働きたくなかったと思っていた金井さんですが、「今は仕事以外にはなにも興味がないほど仕事を好きになってしまいました」と笑顔で語ってくれました。中編では、サロンで働き始めた当時の思い出や、美容師としてステップアップしていく過程を語っていただきました。
Profile
金井亮さん
大学卒業後、渋谷のサロンに勤務し、わずか1年半でスタイリストデビューを果たす。その後、ニューヨークへの美容留学などを通し、腕を磨く。27歳で独立し八王子に美容室『(R)』をオープン。翌年スポーツバーを開店するなど幅広く事業を展開。2017年、『フォロワー数で値段が変わる美容室』を作り話題に。
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