郊外美容室だからこそお客様との関係性に大きな可能性がある。行き着いた「ロイヤリティ戦略」と「地域のハブ」 【美容師 小河原正輝さん】♯2

埼玉県春日部市を中心に展開され、創業50年を迎える美容室「EMU international GROUP」。現在は2代目の小河原正輝さんが受け継ぎ、奇跡のV字回復を果たしたことで広く知られ、業界の熱い注目を集めています。

前編では、小河原さんが内部分裂を経て、若くして経営を任されるまでの経緯を伺いました。

後編では、その後の再建への道のりについてお話を伺います。経営に意識を向け始めた小河原さんを、さらに試練が襲いました。当時9店舗あったサロンは3店舗にまで減少。借入金は2億5,000万円に上り、さらに社会保険の未加入問題が発覚します。

その事実を離脱した専務・常務側が行政に通報したことで、「すぐに社会保険に加入しなければ会社の継続は認められない」という厳しい通告を受けることになったのです。

お話を伺ったのは…

小河原正輝さん

EMU international GROUP

代表取締役

ICD世界美容家協会会員/KOSE美容専門学校評議員/東萌ビューティカレッジ非常勤講師

1981年、埼玉県春日部市生まれ。2003年に城西大学経済学部卒業。住田美容専門学校通信課程を卒業し美容師免許を取得。2006年に単身渡英し「London VIDAL SASSOONディプロマコース」でカットの技術を学びながら「London Capa Hair Salon」にて勤務。2007年VIDAL SASSOONディプロマを取得。2008年ブラジル リオデジャネイロで行われたIntercoiffure世界大会のステージに日本代表として参加。2009年に帰国後、EMU international GROUP代表取締役に就任。現在に至る。

インスタグラム

スタッフを守るために苦渋の決断。救命ボートからの出直し

スタッフを守ると決めた小河原さんに、さらなる試練が襲う

――その後追い打ちをかけるように、社会保険の未加入問題が発生したのですね。

はい。今では考えられないかもしれませんが、当時は社会保険に加入できる美容室は少なく、しかも「EMU international GROUP」は内部分裂した直後で、従業員の給料を払っていくだけでもやっとの状態でした。

――どのように解決を?

父と親交のあったとある美容室グループの社長が、社会保険の件を聞きつけてわざわざ連絡をくださって、社会保険事務所の先生を紹介してくれました。その先生から、合法的に危機を脱する方法を提案されたんです。それが当時のスタッフを全員解雇し、私が個人事業主としてスタッフ全員を再雇用するというもの。法人ではなくなりますから、社会保険に加入する必要がなくなります。

スタッフにそのことを説明する前日は、緊張で眠れませんでした。当日は「『EMU』という船に穴が空いてしまった。このままではこの船は沈んでしまう。一時的に小河原という救命ボートに乗ってほしい。必ず船を直して戻す」と説得をしたところ、誰も辞めずに全員がその提案に同意してくれたんです。その瞬間、経営者としての覚悟が生まれました。

「スタッフが一生ここにいて良かったと思える会社を作りたい」と強く思い、経営塾に通い、福利厚生や働く環境を学ぶ日々が始まりました。

――具体的にはどのような改革が行われたのですか?

最初に取り組んだのは、女性が働きやすい環境づくりでした。当時8ヶ月の経営講座に通っていたのですが、ある社長から「美容室は、社会から見たら非常識だよね。お客様もスタッフも女性なのに、子どもを預けられる環境すらない。多くの美容室は『お客様やスタッフを幸せにしたい』というけど、矛盾しているよ」と。

その社長が「たとえばヤクルトという企業では従業員の子どもを預かる場所を自社で設けているだけでなく、子どもの教育までしている」と教えてくれました。一方の美容業界は、女性中心の職業でありながら、その視点がまったく欠けていた。「あなたのやりたい経営はエゴではないか」と指摘されたんです。

――深い気づきを得たんですね。

ええ。当時、会社には結婚している女性スタッフがひとりもいなかったため、女性のお客様にアンケートをとりました。「キッズルームがあったら使いたかったですか」と聞いたところ、全員が使いたかったと答えたんです。さらにあるお客さまからは「子どもが生まれたら女性はおしゃれをしてはいけないと思っていた」という言葉まで聞き、胸が痛みました。

そこでキッズルームをすぐに設置。保育士資格を持つスタッフも雇用し、お客様だけでなく、従業員も預けられる形にしました。

それから10数年、スタッフの声を聞き続けました。社会保険にも正式に加入できるようになり、売上も見事にV字回復。「スタッフが笑顔で働けるサロン」が、再建の起点となりました。

お客様との関係を深く、長く築く。ロイヤリティ戦略

2024年に創業50年を迎えた「EMU international GROUP」。お客様との関係性を築くことで、長く地域に愛されてきた

――V字回復はどのように実現されたのですか?

地道に顧客との関係性を深めることに着手しました。ほかの大手美容室がやらないことをやるという方針のもと、派手な施策ではなく、1人ひとりのお客様と真摯に向き合うことを徹底したんです。

またそうしてお客様との関係性が構築できることは、ほかのスタッフにもよい刺激になると考えました。美容室では、キャリアを積むと独立する人が多いですが、僕は「辞めていく理由」が会社側にあると思っています。ベテランが安い単価で月に200人、300人も担当して疲弊している姿を見れば、若手は「長くは働けない」と思ってしまう。だからこそ、長く働いた人ほどお客様と深い信頼で結ばれ、高単価を実現できる仕組みが必要だと感じました。

――なるほど。

現在「EMU international GROUP」は3つのサロン構成になっています。ひとつは若手サロン。若手スタッフが経験を積む場で、数多く施術に入ることとデザイン力を上げていくことを重視しています。次にロイヤリティ構築サロン。お客様との関係性を深め、自分についてきてくれるお客様を作る場です。

最後にマンツーマンサロン。このサロンではスタッフが1日に2~3名のお客様を担当し18,000円程度の高単価で施術するトップステージです。この段階的成長システムにより、結婚や出産後も安定した収入を得るママ美容師が増えています。なかには1日に3組を担当して年収500万円を実現するママスタッフも。この成功例を見せることは、若手スタッフのモチベーションアップにもつながっています。

――お客様との関係性はどのようにして築くのでしょうか?

徹底したカウンセリングと潜在ニーズの引き出しです。新規のお客様には最大30分間かけて、過去の履歴、悩み、ライフスタイル、理想像を丁寧に伺います。そのうえで、プロの視点から潜在的なニーズを提案する。「言われた通りに切る」ではなく「お客様の魅力を引き出す」提案を大切にしています。

父から教わった「明日1,000円上げられる接客をしなさい」という言葉も、常にスタッフに伝えてきました。そうやって、徐々にスタッフに力をつけてもらったんです。

――その後は順調に?

50周年を目前に控えたタイミングで、ブランドとして次のステップに踏み出す決断をしました。先輩たちが40年ほど築き上げてきた文化と信頼によって「EMU international GROUP」というブランドは成り立っていますが、それは自分が築いたものではないとずっと感じていたんです。だからこそスタッフに頭を下げて、「数年かけて技術、接客、サービスを磨き、単価を3,000円上げよう」と呼びかけました。ところが準備が整ったのはちょうど2020年。タイミングはまさかのコロナ禍真っ只中でした。

税理士の先生からも「今はやめた方がいい」と止められましたが、何年もかけて積み上げてきた努力を無駄にしたくなかった。コロナ禍であっても行きたいと思ってもらえるような、お店を作ってきた自負もあったため、ここで逃げたら何も築けないと覚悟を決めて値上げを実行したんです。結果、客数の減少どころか、お客様との信頼がより強まり、売上は順調に推移しました。

――素晴らしいですね。

今はこの取り組みを「ロイヤリティ戦略」と名付けて、さまざまなセミナーでお話ししていますが、決して大それたことをしてきたわけではありません。銀行からお金を借りることもできなかったので、資金をかけずに、ただ目の前のことに真摯に取り組んできただけ。答えはいつもお客様のなかにある、そう信じて歩んできました。

美容室で野菜を売る。地域のハブとしての美容室

美容師の可能性について語る、小河原さん

――長く美容業界に携わってきた小河原さんだからこそ感じる美容師の可能性とは?

僕は「地域のハブ」としての美容師の可能性を強く感じています。美容師は単に美容サービスを提供するだけでなく、地域社会の生活インフラとして機能できる存在だと思うんです。

たとえばお客様はおいしいお店、いい病院、引っ越し先など地域のさまざまな情報を美容師に尋ねる傾向があり、美容師はお客様にとって地域のインフルエンサーのような存在です。また美容室にはお客様のご家族や、日常の悩みなど、プライベートな情報も自然と集まります。さらに丁寧なカウンセリングを通して、顧客の潜在的なニーズやライフスタイルまで把握できる。

こうした情報が集まるからこそ、美容室には「人と地域をつなぐ力」があると感じています。実際に「EMU international GROUP」ではサロン内で地元の野菜販売を試験的に開始しました。お客様の生活情報をもとに、地元農家と消費者をつなぐ小さな取り組みですが、これが好評で、地域の活性化にもつながっています。

美容室は全国にコンビニの約5倍も存在しています。さらにお客様との関係性がこれほど強い業種はほかにない。これは地域のお客様が来店される郊外美容室だからこそ大きな可能性を秘めているともいえます。美容室は地域資本を生み出す拠点になれると思っています。

――面白い仕組みですね。

今後は地域のお店を紹介するウェブプラットフォームを構築する計画です。お客様がそのサイトを通じて商品やサービスを購入した場合、紹介した美容師にインセンティブが入る仕組みを考えています。

これは美容師が地域とお客様を結びつけることで、美容以外の収入源を確保し、美容師の価値を多様化する試みです。そして、髪型だけでなく「ライフスタイル全体を提案できる存在」になれたとき、美容師の価値はさらに上がるはずです。

つまり、地域のハブとしての美容室とは、髪を切る場所にとどまらず、地域住民の生活情報を媒介し、人と人とをつなぐコミュニティの中心地。その結果として、地域社会の活性化と美容師自身の価値向上を両立できる場所だと考えています。

――最後に、小河原さんにとって働くこととは?

難しい質問ですね。でも単なる生計を立てる手段ではなく、自分の価値の実現や他者からの承認を得られるものだと思っています。誰かに喜ばれなければ働く意味はない。その喜びのなかでこそ、人は「もっと自分を成長させたい、もっと自分をよくしたい」という自己実現の欲求が生まれると思うんです。そして認められることが、次の挑戦の原動力になります。それが、「働く」ということの本質だと思っています。

今の僕にとっての挑戦はスタッフ1人ひとりの人生と美容師という職業の価値を高めること。これからさらにさまざまな挑戦を続けていくつもりです。


美容師になったきっかけを「自然な流れだった」と語っていた小河原さん。しかし数々の挫折と試練を経たことで、美容師として、そして経営者としての情熱を燃やすようになっていったことが伺えました。挫折こそ、人を本気にさせ、強くさせてくれるのかもしれません。


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EMU international 春日部本店
住所:埼玉県春日部市粕壁東1-9-9
TEL:048-761-8943

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