嘘をつかず本気で向き合う。お客様はもちろん、すべてに対してその姿勢を貫きたい【KURAKU 藤島裕幸さん】#1
笹塚駅から徒歩数分の住宅街に位置し、ブルーの扉が目を引く一軒家サロン「KURAKU(クラク)」。オーナーであり美容師の藤島裕幸さんを筆頭に、大人の髪の悩みに特化したスタッフが在籍し、地域のお客様から厚い信頼を寄せられています。
前編では、最初に就職したサロンで学んだことや渡英経験、伸び悩んだ時期から独立するまでのお話をご紹介。KURAKUのコンセプトや、藤島さんが美容師としても経営者としても大切にしている思いもお聞きしました。
お話を伺ったのは…
KURAKU
代表・美容師 藤島裕幸さん
1998年、有限会社ku-ja入社。美容室に勤めながら通信制で美容師免許を取得し、2000年にスタイリストデビュー。2003年に渡英し、美容師として約1年働き帰国。都内1店舗を経て2005年にARCHに入社し、約7年勤務。2011年、独立して笹塚にKURAKUをオープン。現在はKURAKU羽根木店(クラク ハネギ店)、MIRUCO by KURAKU(ミルコ バイ クラク)も加わり3店舗に。
FUJISHIMA’S PROFILE
お名前 |
藤島裕幸 |
|---|---|
出身地 |
宮城県多賀城市 |
出身学校 |
日本美容専門学校(通信制) |
憧れの人 |
高田純次さん |
プライベートの過ごし方 |
安くて美味しいもの探し、旅行、ゴルフ、キャンプ |
仕事道具へのこだわり |
気に入ったものは長く使う |
働きながら美容師免許を取得。1年の渡英も経験

――藤島さんが美容師になりたいと思ったきっかけは何ですか。
最初から強い夢や憧れを持っていたわけではなく、美容師になってからどんどん好きになっていったというのが正直なところです。高校卒業後に仙台から上京して、いきなり美容室に就職したんですよ。なんとなく、手に職がほしいな…くらいのイメージで働き始めました。
――その美容室はどのように見つけたのですか。
当時は求人サイトやホームページがまだ充実していなかったので、街をふらっと歩いている時に出会いましたね。住宅地にポツンとある、スタッフ6名くらいの小規模美容室に一目惚れしました。
そこで働きながら通信制で資格を取ってスタイリストデビューし、トータル5年くらい在籍しました。
――その5年で印象的だったことや、学んだことは?
本当にすごく素敵なお店だったので、学んだことも思い出もいっぱいあります。そこで出会った師匠はとても徳のある人で、後々気づくんですけど「美容師たる前にまず人たれ」と人間性の大切さを説いてくれたと思います。それが僕の根っこになっていますね。
美容師はたくさんの人の人生に関わり、喜んでもらえる仕事。そのやりがいや幸せも感じるようになりました。
――その後、渡英されたとか。
23、4歳の頃ですね。研修旅行で初めてイギリスに訪れたのがきっかけで、興味を持ちました。何の伝手もなく自分の足で美容室を探したのですが、突然来た日本人を雇ってくれるところはなかなかなくて。
なんとか勤め先を見つけて働いてみると、やっぱり美容師っておもしろいなと思ったし、外国の美容師と日本の美容師の違いもすごく感じました。
――例えばどんなところが違うのでしょう。
僕自身そうだったのですが、日本では「お客様は神様」みたいな感覚がありました。でもイギリスでは、例えば美容師がコーヒーを飲みながらやって、お客さんはじっとしている。髪型も美容師がしたいように作るという文化で、最終的にはお客さんが満足して帰っていく。美容師としての働き方や価値観の違いを目の当たりにしました。
――まさにカルチャーショックですね。帰国を決めた理由は何ですか。
美容を続けるかどうかも含め、いろいろ迷っている時期にイギリスに行ったのですが、結局変わらず美容をやっている。それならやっぱり日本で続けたいと思いました。
欧米人と比べて、アジア人のほうが「緻密な細工」が必要だと思ったのもひとつです。イギリス人の骨格やバランスだと、どんな髪型でも可愛くなるんですよ。ワカメちゃんカットもスーパーモデル風になる。だから、日本のほうがもっと繊細な技術や薬剤、知識などが欠かせない。それをもっと追求したいと思ったんです。
仲間を笑顔にできない歯がゆさが、独立のきっかけに

――日本に戻ってからは、また東京のサロンに?
そうですね。次はいわゆる中心地を経験したいと思い、青山のサロンで3ヶ月ほど働きました。そこの店長が独立する際に誘ってもらい、オープニングメンバーとして高円寺のサロンに移籍したんです。その人が僕にとって第二の師匠のような存在ですね。
――第二の師匠のもとで、どのような経験をされたのでしょうか。
技術にこだわりを持っていて、厳しく教えてくださる人でした。おかげで僕自身も成長できたと思うし、感謝している部分が大きいです。
指名が伸び悩んでいた時期に、もっとお客様に寄り添うことが必要だとすごく感じました。師匠はそういう僕の思いを理解しながらも、技術とスピードを強化してくれたんです。相対する事柄ですけど、寄り添う接客と技術力がバランスよく整って、売上や評価がどんどん上がっていきました。
――美容師として一皮むけたと感じたのは、いつ頃でしたか。
27、8歳の頃です。この仕事が大好きでしたが、「これが天職だ!」みたいな稲妻は落ちてこないなと思っていました(笑)。そんな話をたまたまお客様としていたら、「10年やっていて、今も楽しいと思っているんでしょ。それってもう天職じゃないの」と言われて。ぐうの音も出ませんでした。それ以来、美容師が天職だと思うようになりました。一皮むけたというか、意識が変わった瞬間でしたね。
――美容師として脂が乗ってきた感じでしょうか。
ただ、自分の評価が上がっていけばいくほど、周りで働くスタッフやアシスタントの笑顔が少ないことが気になり始めました。せっかく好きで選んだ仕事なのに、楽しくなさそうだったり、すぐに辞めてしまったり。悩みを相談してくれる子もいましたが、僕だけの力では解決できないこともあり、歯がゆい思いをしていました。それが独立のきっかけにもなったと思います。
――もともと、いずれは独立…という思いはあったのですか。
いや、全然なかったんですよ。ずーっとNo.2の立場でいたいと思っていました。それでもやはり、周りの人たちが「笑顔で美容師を続けられる場所」を自分自身で作りたいという気持ちが強くなり、30歳の時に決意しました。
「苦楽をともに」の思いを胸に、地域密着型サロンをオープン

――KURAKU立ち上げ時のメンバーと、笹塚という街を選んだ理由をお聞かせください。
僕と妻、スタッフ1名の3人でスタートしました。笹塚はそれまで訪れたことがない街でしたが、僕が作りたい「人に寄り添う地域密着型の店」に合っていそうだと思ったんです。駅前すぎない落ち着いた場所を探して、ここに決めました。
2階建てなので上下を行ったり来たりが大変だとは思ったのですが、すごく雰囲気がよかったんですよね。一軒家で暮らす家族みたいな感じがして。いざオープンしてみると、家族づれのお客様や成人式の準備などで2階を使えるというメリットもありました。
――サロン名の由来やコンセプトは何でしょうか。
「苦楽をともに」が名前の由来でもありコンセプトです。お客様、スタッフ、地域の皆さんと、楽しいことも苦しいことも共有できる場所でありたいなと思っています。
――ホームページで「大人の髪の悩みを解決」と謳われています。そこに着目したのはなぜですか。
30代以降、仕事やプライベートの状況も、体調や価値観もどんどん変わってきます。先が不安な気持ちもあると思うんですよね。そこに寄り添いたいと思ったからです。大人のお客様が「今の自分を好きになる」ためのお手伝いができるように、いろいろなことを取り入れています。
――具体的にはどういうことを取り入れたのでしょうか。
「くせ毛、白髪、薄毛」の三本柱に寄り添うというのは決めていて、そのための施術にこだわっています。例えばくせ毛を活かせた時に、お客様は自分の髪を好きになれたり、自信を持てたりします。美容師にとってそれは、すごくやりがいを感じる部分でもあります。
――白髪や薄毛の場合はどんなアプローチをされているのですか。
白髪の原因のひとつに頭皮の老化があると考えられるので、ケアやカラーの際に活性酸素を除去する水素を取り入れるとか。おしゃれとして白髪を楽しむためのカラーデザインも提案しています。
薄毛は男女問わずナイーブな悩みですよね。ケア云々の前に、まずは「この人なら何でも相談できる」と感じられる関係を築くのが大事かなと思っています。
――そういう関係を築くために大切にしていることはありますか。
本気で向き合うこと、そして嘘をつかないこと。できないことはできない、間違った時は間違ったと正直に言う。お客様やスタッフ、すべてに対して正直に向き合うことを大事にしています。
美容師になってからこの仕事がどんどん好きになり、お客様のひとことで「天職」だと気づいた藤島さん。お客様やスタッフと真摯に向き合い、自身もサロンも成長させてきました。続く後編では、KURAKUの歩みや今後の目標などをお聞きしています。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子
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KURAKU
住所:東京都渋谷区笹塚1-44-4
TEL:03-6407-4969
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