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コラム・特集 2020-01-15

努力し続け叶えた1位。私の履歴書Vol.20【ネイリスト 黒崎えり子さん】#1

ネイルサロン「erikonail」の主宰者であり、自身が経営する「黒崎えり子ネイルビューティカレッジ」の学院長である黒崎えり子さん。ネイル業界のパイオニア的存在として、業界を牽引してきました。前編では、黒崎さんのネイリストになるまでのきっかけや国際大会で優勝した秘話などを伺いました。恩師の先生のすすめを断れず出場することになったコンテストで初出場にして1位に!?

KUROSAKI’S PROFILE

幼少期時代

実は管理栄養士になろうと思っていたんです

——幼少期はどのように過ごされたのでしょうか?

小学生時代は、部屋で何か作業をするとかそういう感じではなく、とても活発でした。今も変わらずアクティブに過ごしています。中学時代はダンス部に入ったのですが、あんまり体を動かすことが好きではなかった記憶があります。

当時思い出されるのが、上履きの色がみんな一緒でつまらないなと思い、中敷を自分で縫ってチェック柄に変えたり、ゴムの部分にイラストを描いたり、そんなようなことをしているのが楽しかったです。

——ご両親はどのような方だったのでしょうか。

父が働き者で、母も子どものこと一番で全部やってくれたので、父の仕事をする姿勢や母の無償の愛というのは今でも感じています。私もそういう風になりたいと思います。今でも「尊敬する人は誰?」と聞かれたら「両親」と答えます。父は小料理屋を営んでいて、魚を誰よりもきれいにさばいていました。母は洋裁をやっていて、帯を洋服に変えたり、子どもの洋服を直してもらうこともあるので、そういった手先の器用さという面では受け継いだのかなといます。

——美容に興味を持ったきっかけなどはあったのでしょうか?

小学生の頃、母がよくスーパーで薄い赤色のマニキュアをよく買っていたことを思い出したんです。私もスーパーへ行ったときに、ハロウィンで仮装をするときにつけるようなとても長いつけ爪があって、それをつけて遊んでいる時期もありました。それが爪との出会いでした。このころから少しずつ『おしゃれ』が好きになっていったと思います。学校の身だしなみとして爪を伸ばしちゃいけないなど色々あったので、週末だけ楽しめるつけ爪をつけて楽しんでいました。

——そこからご自身でネイルへの興味が湧いたのでしょうか?

いや。実はそんなこともないんです。実家が魚屋や小料理屋をやっていたこともあって、食物科に入っていたんです。親の影響もあって、管理栄養士になろうかなと思っていたくらい。高校3年間同じ担任の先生だったのですが、先生と折り合いが悪くて……。進路面談のときに「高校卒業したらどうするの?」と聞かれたのですが、その先生への反抗心で「何もしません」と答えました(笑)。内心は調理師免許を取ろうかなと思っていたのですが、実際何もしない期間が3ヶ月間くらい続きました。中学生の頃はよい先生に恵まれ、教えてくれる先生のために勉強を頑張ろう!と思っていたので、人からかなり影響を受けやすいのだと思います。

——管理栄養士は意外です!卒業後はどうされたのでしょうか?

何もしないままじゃいけないと思って、漠然的に美容に関わりたいなと。そのときに雑誌のネイル特集の記事を見て、ネイルをやりたいなということを思い出したんです。老舗のネイルサロンに電話して聞くと、入会金と合わせて6万円と。当時は高額でアルバイトもしていなかったので、金額に驚きました。そこで、「ネイルができるようになるにはどうしたらいいですか?」と聞き直すと、スクールがあることを教えてくれました。その後、お稽古ごとの情報誌を調べて、スクールに通いました。当時はネイルサロンも今のようにたくさんの店舗がなく、数店舗しかなかったんですよ。母親にきちんと話して、スクール代は出してもらいました。

ネイルスクール時代

初めて出場した大会で1位を頂いたことで人生が変わりました

——スクール生活はどうでしたか?

私の知らない技術ばかりを教えていただいたので、行くだけで楽しいし、授業もとても楽しかったですね。「甘皮って何?」というところから始まったので、アートするのもお手入れするのもとても楽しかったです。毎日のように通い、半年から1年くらいでカリキュラムを終えたと思います。

——その後、コンテストに出られたということですが、何かきっかけはあったのでしょうか?

インストラクターになるコースがあるからと先生に誘って頂いて受講していました。先生から「あなたコンテストに出なさい」と言われて断ることができずに出場することに。そのときは特に出たいと思っていなくて。グランドチャンピオンになりたいとかそういう目的で出場したわけではありませんでした。結果的に1位を頂いてしまったのですが自分としてはそのときの技術は自分でも全く納得できるものではなく……。ただ、先生からは「1位を獲ったからってすごいわけじゃないし、このままおごらずにやっていきなさい」とは言われましたね。当時、1位の副賞がアメリカで行われる国際大会の出場権でした。

——副賞が豪華ですね!国際大会はどうでしたか?

海外に行くこと自体がそのとき初めてで。パスポートを取得することも初めてだったので、ワクワクしながら行きました。いざ出場して周りを見渡してみると、使っている道具も材料も全然違うし、同じ技術をやっているとは思えないくらいレベルの高い技術を持っていました。自分の競技はそっちのけで周りのことを見ていました。こんな技術を習得すれば、国際大会でも1位になれるということもわかって、帰ってきてからとにかく練習をたくさんしました。

——アメリカとの繋がりができた後も交流はあったのでしょうか?

そこから技術を習得するために、レクチャーを受けにアメリカへ何回か渡航しました。2日間くらいみっちり練習して、また日本に戻ってきて練習するというのを繰り返していた感じです。最初は通訳さんを介して会話をしていましたが、だんだんと耳が「聞こう聞こう」と思うので、話せなくても何を言っているか分かるようになりました。最終的には通訳を介さずに話せるようになりました。

——すごいですね!何か自分の中での変化もあったのでしょうか?

アメリカへ習いに行って、日本ではサロンワークが終わった後に練習するというのをひたすら繰り返していました。だんだんと繰り返しているうちに、こんなに教えてもらっている恩返しとして入賞という結果で上手になった姿を見せなきゃと思うようになりました。いつも習っていたメーカーの社長から「僕の手には負えなくなってきたから、すごい世界のチャンピオンを紹介するよ」と言われ、紹介されたのが世界チャンピオンのトム・ホルコムという人でした。

WINBAという大会に行く前に2日間みっちりトムに教えてもらったことで、トムが1位、私が2位を頂くことができたんです!本当に彼との出会いが技術者として成長する上で大きな存在でした。トムも「えり子は世界チャンピオンにならなければならない」と言ってくれたので、トムのためにも1位になりたいと思って頑張っていたのが2000年のコンテスト(※)。トムの練習量を見せて、せめて練習量だけはトムを超えるくらい練習しようと思ってやっていました。その甲斐もあって1位を頂くことができたんです!

※…アメリカのネイル専門誌「NAILS MAGAZINE」が発表するTOP25コンペティターズにて全米ランキング1位を獲得

——黒崎さんにとって人との関わりは転機となっていますね。

人生のポイント、ポイントで良い人に出会えるっていうのは今でもそうですね。高校時代の先生と折り合いが悪くなければ、管理栄養士になっていたかもしれないし。トム氏と出会えたのもそうですし、人との出会いは自分にとって大きいですね。

日本の大会で1位を頂き、アメリカの国際大会を経験したことで徐々に変わっていった黒崎さん。次回は、自身の認知度が高まったきっかけや転機についてお届けします。

▽後編はこちら▽
ネイルの認知度を高めるために奔走しました。私の履歴書Vol.20【ネイリスト 黒崎えり子さん】#2>>

取材・文/梅澤 暁
撮影/中村 早

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URL:https://www.erikonail.com/

School Data

黒崎えり子ネイルビューティカレッジ(表参道校)

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黒崎えり子ネイルビューティカレッジ(名古屋校)

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TEL:052-587-2131
営業時間:月・水・木・金・日(受付10:30~19:00)

URL:https://www.erikonail.com/school/

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