「好き」を仕事にすることに憧れて。両親の反対を押し切っても進んだ美容師への道【美容師 島崎祐介さん】♯1
髪質改善を看板メニューに掲げ、都内を中心に美容室7店舗を展開する「terrace」。
そのグループを率いるのが、代表取締役の島崎祐介さんです。
今から16年前、1,800万円の借金を抱えた状態で経営を引き継ぎ、わずか4ヶ月後で黒字化に成功。そこから着実にサロンを成長させてきました。
前編では、アルバイトで生活費をまかないながら通った美容専門学校での経験、新人時代のエピソード、イギリスでの学びや気づきなど、美容師としての原点を伺います。
お話を伺ったのは…
島崎祐介さん
terrace
代表取締役
兵庫県出身。都内美容専門学校で美容師免許を取得後、大型店に就職。23歳で技術を磨くために渡英し、現地サロンで経験を積む。帰国後、26歳で前オーナーから経営を引き継ぐ形で独立。「terrace」を設立し、1,800万円の借金を背負いながらも4ヶ月で黒字化に成功。現在は7店舗を展開しながら、YouTubeチャンネルの運営など発信活動にも力を入れる。
インスタグラム:@yusuke_shimasaki
YouTube
Shimazaki’S PROFILE
お名前 |
島崎祐介 |
|---|---|
出身地 |
兵庫県 |
出身校 |
日本美容専門学校 |
趣味や休みの過ごし方 |
旅行、ゴルフ |
憧れの人 |
大谷翔平 |
道具へのこだわり |
カットが好きなので、ハサミ |
「好きなこと」で生きていきたい。美容師という選択

――美容師を目指したきっかけは?
中学生のころから美容室で髪を切ってもらうことが好きで、髪型ひとつで人の気持ちを変えたり、自信をつけることができる美容師という仕事に惹かれました。
また美容師は、お客様に喜んでもらえればその場で「ありがとう」と感謝されます。こういう仕事は、ほかにはなかなかなく、お金以上の価値を届けられる点にも魅力を感じました。
自分の「好き」を仕事にしたいと思っていたこともあり、美容師の道を選ぶことを決めて、美容専門学校に進んだんです。
――どんな美容学生時代を過ごしましたか?
兵庫県出身ですが、一流の技術を学ぶなら東京の方がいいだろうと思って、上京しました。
奨学金を利用し、夜間部に通いながらアルバイトで生活費をまかなっていたんです。実は美容師を目指すことを、当初両親からは反対されていました。高校は進学校に通っていたので、周りは大学に進学する人ばかりだったこともあり。
「大学なら学費や生活費を出してあげるけれど、専門学校なら自分で」と言われ、自力で進学する道を選びました。
夜間のアルバイトのほうが時給が高かったので、深夜0時から朝7時くらいまでコンビニで働く日々でしたね。
――大変な生活でしたね。
覚悟を持って入学していたので、それほどつらいとは感じませんでした。どちらがいい、悪いという話ではありませんが、自分で生活費をまかないながら学校に通う覚悟を決めていた自分と、そうでない同級生との間には、少しギャップを感じることもあって。それでも自分選んだ道なので、心が揺れ動くことはなかったです。
早期デビューを目指して選んだのは、アカデミー制度のあるサロン

――最初に入ったサロンは?
1社目に入ったのは約40店舗を構える大型サロンでした。当時としては珍しくアカデミー制度のある会社で、早期デビューができることを魅力に感じて入社を決めたんです。
同期が30名ほどいたので、誰よりも早くデビューしたいという気持ちで努力を重ねました。結果、約10ヶ月でカリキュラムを修了し、一番早くスタイリストデビューを果たすことができたんです。
――早期デビューのためにどのようなことを意識していたのですか?
同期のなかに何でも器用にこなす女の子がひとりいて、途中までその子の進みが一番早かったので、1つひとつの課題を彼女より先にクリアすることを目標にしていたんです。
また途中からはチェックを通るコツもつかめました。アカデミーの先生によって、評価のポイントがあるということに気づいて。カットが切れていてもブローが甘いと合格させてくれない先生が多いと気づいてからは、ブロー技術も磨いて、スムーズにカリキュラムを進められるようになりました。
――順調だったのですね。
はい。ただ、スタイリストになったあとは自分の技術に自信が持てず、「足りていない」と感じることが多くて。お客様の要望を聞いても、それを形にする技術がなかったんです。
別のサロンに入って学び直すとなると、もう一度アシスタントからスタートすることになる。せっかくお客様に施術ができるようになったのにと抵抗があって、答えが出せずにいたとき、「美容技術の本場であるイギリスで学びたい」という思いが芽生え、ロンドンへの留学を決意したんです。
当時はイギリスのヴィダルサスーンが最先端とされていたので、そこで学ぶことを目標に設定。資金を貯めるために、給与の高い業務委託サロンに転職し、約1年で留学費用を準備して渡英しました。
――渡英後、ヴィダルサスーンの学校に入ったのですか?
いいえ。資金を貯めて留学はしたのですが、当時の為替レートの影響で日本円の価値が下がってしまい、学校の費用である約300万円には到底足りなくなってしまいました。
そこでまずは、イギリスの日系サロンで働き始めたんです。当初はそこでお金を貯めて学校に入ることも考えていましたが、職場にヴィダルサスーン出身の方がいて、「学校ではクリエイティブ寄りの内容が多く、サロンワークと異なる技術を学ぶ場だ」と教えてもらったんです。そこで、現地のサロンでお客様を担当しながら技術を磨く道を選びました。
――イギリスで得た学びは?
さまざまな価値観に触れて、視野が大きく広がったと思います。イギリスではお客様が自分に似合うオンリーワンのスタイルを求め、一方の日本人は「他者からどう見られるか」という基準を重視する傾向があると気づきました。
またイギリスではコミュニケーションがストレートで、自分の意思をしっかり伝え合うのが当たり前で、それも新鮮でしたね。
ほかにもアジア人として差別を受ける経験もしました。多様な文化や宗教が共存する環境に身を置いたことで、日本がどれほど安全で、やりたいことを実現しやすい国なのかも痛感。いつかは独立をしたいと考えていたので、1年間の滞在を経て、「独立するなら日本で」と心に決めて帰国しました。
24歳で店長に抜擢。反発を受けながらも、チームをまとめあげる

――帰国後のキャリアを教えてください。
帰国前に約2ヶ月間、ヨーロッパを旅行していたので資金が尽きてしまい、渡英前に働いていた業務委託サロンに戻って7~8ヶ月ほど働きました。しばらく経って、先輩から「新店舗の立ち上げを手伝ってほしい」と声をかけてもらい、転職して店長に就任。それが24歳のときのことです。
――若くして管理職に就かれたのですね。
そうですね。当時はスタッフ全員が年上で、自分は最年少だったんです。マネージメント経験も浅かったので、反発を受けることもよくありました。最初のころはなかなか店をまとめることができなかったんです。
――どうやって乗り越えたのですか?
技術もマネジメントもスキルはなかったのですが、情熱と熱意はあったので、自分ができることに全力で取り組むことを心がけました。お店には一番に出社して、夜も最後まで残って、美容師として働きながらお店の管理にも全力を注いでいました。
またイギリスで学んだ「思ったことは率直に伝える姿勢」で、思いを伝え続けた結果、少しずつ信頼を得ることができて。4~5ヶ月ほどでお店がまとまり始めたんです。
後編ではその後の島崎さんのキャリアについて伺います。
やっとサロンの運営が軌道に乗り、黒字化にも成功した矢先、オーナーの不正が発覚。一緒にサロンを盛り上げてきた仲間が次々と辞めていくのを、島崎さんは見ていられなかったといいます。
サロンと仲間を守りたいという思いと同時に、以前から抱えていた「美容師の働き方を改善していきたい」という強い思いで、会社の経営を引き継ぐ決意をしたそうです。
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terrace銀座店
住所:東京都中央区銀座3-4-6 正隆銀座ビル3F
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