トレンドを創る人Vol.12 ?at’LAV?by belle 冨山倫宏さん 美容界での挫折と光 #1
裏原宿を抜け、落ち着いた神宮エリアに佇む「♢at’LAV♢ by Bell」(アットラブ バイ ベル)は、豊かなグリーンに囲まれた一軒家スタイルのヘアサロン。
代表の冨山倫宏さんは、一般誌・業界誌でも活躍し読者が選ぶヘアデザインランキング等で、常に上位を誇る腕の持ち主です。
モテ髪からモード系まで幅広いデザイン力を持つ冨山さんですが、本人曰く美容学校~新人時代は、誰が見ても『ダメ人間』で、美容の仕事はなにひとつできていなかったとか。彼の作品に触れた人なら、にわかには信じがたい話です。でも「ダメ人間の逸話、いくらでもあります(笑)」と冨山さん。そんな彼が、業界人からも一目置かれるほどの美容技術を手に入れた方法について取材しました。
美容学校のクラスでは50人中49番の成績
腰が低く常にサービス精神旺盛の冨山さんが「僕は本当に不器用なんです」と話します。
――繊細な作品からはその言葉が謙遜に聞こえますが…
「いやいや、これは本当なんですよ。学生の頃はクラス50人中、ワインディングの試験が49位。いつだってそんな感じでしたよ。よく卒業できたなぁって思います。その後、原宿エリアの人気サロンに就職するんですけど、とにかくなにやってもダメだから毎日けちょんけちょんに怒られていて。でも仕方ないですよ。気が利かない、人より遅い、その上ヘマを毎日するわけだから、先輩からすると邪魔だったと思いますよ」
――全くそんな片鱗を感じませんが… 話、盛ってますね(笑)
「盛ってません!全然盛ってません!そんな毎日だから“もう辞めたいです”って5回ぐらい店長に言いました」
――5回? めちゃくちゃ多いですね(笑)
「そう。でも、当時の店長は本当に人を使うのが上手かったですね。話は聞いてくれるけどダメとも言わない。なんとなくズルズルといる状態が続いて。でも5回目の辞めたい病のとき、店長から“辞めてどうするの?”と聞かれて。で、僕は咄嗟に“佐川急便で働きます”って言ったんです」
――え~!美容と関係ないじゃないですか!(笑)
「ですね(笑)。僕は学生時代にずっと野球をやっていて、体力だけは自信があったんですよ。そしたら店長が“お前、佐川急便の人はただ荷物を運んでいると思ってんだろ”と。図星でしたね(笑)。続けて店長が
“あの人たちは荷物を運ぶだけじゃない。仕事自体も取ってきている。いつも走っているのは仕事が多く、それをさばくために急いでいるんだ。なのに、いつも笑顔で丁寧を心がけているだろ。そんなことがお前にできるのか?”
と…。このときは自分の想像力のなさに反省しましたね。目の前のサロンワークができないのに別の世界のプロフェッショナルの仕事を軽視したみたいで。この言葉は僕の内面をガラリとかえるきっかけになりました」
夜中2時まで自主練して、学芸大学まで走って帰る日々
店長の叱咤激励を受け、本気で気持ちをリセットした冨山さん。自分の不器用さを克服するため、営業後は毎日夜中の2時近くまで自主練をしたそうです。
「僕は鹿児島県出身で、学生時代は野球一色。大学の推薦もいただいていましたが、プロで長く活躍することはできないだろう… と考え、この道を選びました。美容学校卒業後は、運よく東京の有名店に就職ができました。だからやれるだけ自分を追い込んで、悔いが残らない人生にしないといけないって。そのためには練習しかないわけです。できないことや下手なことを人のせいにしても、成長できない。野球と一緒です。自分でとにかく練習し、その積み重ね以外、成長する手段なんてないんですよ。営業後の練習ですから、終電になんか乗れません。だから原宿から学芸大学まで毎夜、走って帰っていました」
――走って!? 凄いですね。ただものじゃない。自転車、買えばよかったのに…(笑)
「………(沈黙)ですね…。そうですね。今思えば自転車買えばよかった(笑)野球部でしたから、体力勝負だったんでしょうね(笑)もちろん今はできませんね。そんなこと」
22歳になるころ、少しずつ任されることが多くなる
19歳で有名サロンへ就職し、2年間はダメダメの人生だったと言う冨山さん。でも、夜中の自主練や営業中の意識改革により、22歳になったころやっと仕事を任されるようになります。
「それまでの僕は注意をされると、そのことに対してめちゃくちゃ考え込んでしまうタイプの人間だったんです。もう、そこから離れられなくなって眠れない日もあるほど追い込まれたり。
でも、結局それは、美容に対しての自信がなにもないから。これ以上やれないってぐらい練習していくと、周りの僕を見る目が変わるんですよ。まぁ、僕の場合は実家が鹿児島だったのもラッキーですね。辛くてもすぐには帰れない距離でしたから。
で、今までなにひとつ任せてもらえなかった僕に仕事がポツポツと与えられるようになって。そこからは、美容の世界がパッと開けていくのが感覚でわかるほど楽しい毎日でした」
スポ根魂で、社会人時代のピンチをどうにか潜り抜くことができた冨山さん。
「野球の経験があったから、迷いのあった時期も乗り越えられた。美容人生も野球人生にリンクしている。まさに、野球に支えられたと感謝しています」
次回は、スタイリストデビュー後~現在の活動についてお伺いします。
取材・文/小澤佐知子
撮影/田中大三
Salon data
♢at’LAV♢ by Bell(アットラブ バイ ベル)
海外の一軒家のような雰囲気の、二階建てのヘアサロン。
代表の冨山さんはサロンワークの傍ら、一般誌や業界誌、セミナー、ヘアーショーなどもこなすマルチなスタイリスト。骨格矯正を意識した小顔カットが得意なサロンで、その中にその人らしさのエッジを盛り込んでくれる。原宿系ヘアからフェミニンまでなんでもこなし、実はメンズカットにもかなりの定評があり。
トレンドを創る人Vol.12 ♢at’LAV♢by belle 冨山倫宏さん 不器用の這い上がり方 #2>>