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特集・コラム 2019-11-04

介護の扉 No.2 株式会社舛添政治経済研究所 所長・舛添要一(前編)

2001年に参議院議員通常選挙(参院選)で当選。2007年8月から2009年9月までの間、3つの内閣で厚生労働大臣を務め、年金問題や医師不足問題、介護問題などの解決に取り組まれてきた舛添要一さん。2014年2月に東京都知事に就任すると、「東京を世界一の福祉都市にする」と宣言し、さまざまな福祉政策に力を注ぎました。

元厚生労働大臣、都知事の目に現在の日本の介護事情、介護の未来予想図はどのように映っているのでしょうか?

株式会社舛添政治経済研究所・所長 
舛添要一(ますぞえ・よういち)

東京大学法学部政治学科卒業、国際政治学者。第一次安倍内閣、福田内閣、麻生内閣で厚生労働大臣を務めた後、東京都知事に就任。『東京を変える、日本が変わる』(実業之日本社)、『親が子に望んでいること 子が親にできること』(中経出版)、『母と子は必ず、わかり合える-遠距離介護5年間の真実』(ともに講談社)など、著書も多数。ブログTwitterでも積極的に情報を発信している。

要介護度1、2の保険給付を外すことの是非

——厚生労働省の社会保障審議会(介護保険部会)で、「要介護1、2(軽度者)の保険給付外し」など、介護保険制度の見直しの議論がスタートしました。元厚生労働大臣の視点から、率直なご意見を聞かせてください。

介護保険法は1997年に国会で制定され、2000年4月1日から施行された社会保険制度です。今から約20年前の出来事ですね。

それまでの福祉サービス(以下、サービス)は自治体などの行政が判断していたので、利用者本人がサービスを選択する自由はありませんでした。さらに、全額自己負担。だから、1割負担でさまざまなサービスが受けられる現在は、昔と比べたら天国だなと思います。

ただ、行政側と介護を必要としている側とでは「見方」が違います。100人認知症の人がいたら100通りの症状がありますし、家族状況もそれぞれ違うでしょう。要介護認定の基準はあるものの、各症状や家族環境によって必要なサービスは異なります。なので、要介護度に応じて保険給付を外すとなると、理解を得るのは厳しいでしょうね。

——「100人認知症の人がいたら100通りの症状がある」。その通りだと思います。それでも要介護1、2が保険対象外になってしまうかもしれない……。これは致し方ないのでしょうか?

ドイツでは、介護保険の被保険者は年齢による区別はなく、公的医療保険に加入している全国民が対象になります。オランダでも同様ですね。一方、日本の被保険者は40歳以上からです。私が厚生労働大臣を務めていたときに年齢を40歳から20歳にまで引き下げる話が出たのですが、社保庁(社会保険庁。今は存在しない)の年金保険料の着服問題が明るみに出た時期と重なり、進展しませんでした。

「年金がもらえるかわからない。それなのに、なぜ負担ばかり大きくなるのか?」といった声が特に若い世代から上がるのも、無理はありません。20歳から40歳という若い年齢で介護が必要になる可能性は低いので、高齢世代に社会保障費(社会保障関係費)が多く使われていると感じてしまうのはしょうがないでしょう。

ただ、若い人たちには自分が歳をとり介護が必要になったときのことを想像してほしいですね。今の社会保障の仕組みだと全世代を満足させるのは基本的に難しいので、その上でどう制度のバランスをとっていくのか、自分事化して考える必要があると思います。

国民が安心な生活を送るために政治が担わなければならない、2つの役割

——厚生労働大臣になる前から福祉や介護に尽力されてきた舛添さんですが、そのきっかけを教えてください。

もうかれこれ20年以上前の出来事になりますが、母親が認知症になったのがきっかけです。実家が福岡なので、介護のための移動が非常に大変でした。

あの頃は今のように介護にまつわる情報が多くなかったので、区役所まで足を運んでどうすればいいか直接相談したり、認知症のお年寄りがいる隣近所まで話を伺いに行ったりしていました。他にも介護老人保健施設を見学して、「特養(特別養護老人ホーム)はなかなか入れない」「老健(介護老人保健施設)は3カ月経つと一度出なくてはならない」などといった情報を集めていましたね。こういった介護にまつわるいろいろな経験が福祉・介護に注力する政治家を志した原点です。

——より良い福祉の提供のために政治に課される役割とは何でしょうか?

私たちの生活に絶えず訪れる不安は2つあります。それは「失業問題」と「健康問題」です。一家の大黒柱がケガや病気で働けなくなり失業してしまったら、生活が一気に困難になりますよね。失業問題は「経済」、健康問題は「社会保障」として政治が役割を果たさなければ、国民は安心な生活が送れません。

この2つの役割を見事に成し遂げ、国民の生活を向上させたのが、アドルフ・ヒトラーです。当時のドイツ経済はめちゃくちゃなインフレで、大量の失業者が街に溢れていました。民主的な選挙によって首相になったヒトラーは、すぐに国策(公共事業)としてアウトバーン(自動車高速道路)の建設を始め、家族のいる中高年の雇用を推進し、費用の多くを労働者への賃金に充てることに注力します。その結果、およそ600万人の失業者が3年間でほぼいなくなり、インフレも止まって、社会心理が安定しました。

一方、社会保障の政策としてヒトラーが推進したのは、国民の健康維持のための禁煙運動や託児所の運営、医療保険、老齢年金、障がい者への支援などです。その頃は認知症と認識されていなかったかもしれませんが、病人や孤児などの困っている人を集めて助けるシステムもつくりましたね。

ヒトラーは国民の知らないところでユダヤ人を虐殺し、世界的な批判を浴びました。ただ、経済が良くなり健康で過ごせる社会制度が整っていったことで国民の生活が向上し、国民が政権に対してとても良い印象を持っていたことも真実です。つまり、政治の要諦(ようてい)とは、経済を良くして失業をなくし、国民が健康で過ごせる環境を整えることに尽きると思います。

より良い福祉を実現するための政治が担う役割として「経済」と「社会保障」を挙げた舛添さん。続く中編では、社会福祉制度を今以上に充実させる方法、日本の介護職の社会的地位の向上について、掘り下げます。

介護の扉 No.2 株式会社舛添政治経済研究所 所長・舛添要一(中編)>>

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