独立1年後にガンを経験。美容師の仕事が和らげてくれた闘病の不安【美容師 コーノヒロノリさん】♯2
ご自身の地元である大阪府八尾市に美容室「hair terrace sooH」を構える、コーノヒロノリさん。ボブ、ショートヘアなどカットを得意とし、お客様のライフスタイルに合わせたヘアスタイルを提案することで、幅広い年齢層から支持を集めています。
前編ではコーノさんが美容師になったきっかけや、1社目のサロンでの経験についてお話しを伺いました。
後編では、コーノさんが美容師人生最大の壁だったと話す出来事について伺います。コーノさんは2019年に32歳で独立しますが、1年ほど経ったときに脳のがんである「グリオーマ」にかかっていることが分かったそうです。
闘病生活を経て病気は寛解しますが、その出来事によって考え方が大きく変わったといいます。
お話を伺ったのは…
コーノヒロノリさん
大阪府出身。工業高校を経て、美容師になることを決意。2社のサロンを経て、2019年に独立し、地元である大阪府八尾市に「hair terrace sooH」を立ち上げる。その1年後に脳腫瘍の1種である「グリオーマ」を発症し、1年間の治療を経て寛解。現在は八尾市の商店街で青空カットを行うなどイベントにも積極的に参加し、地域とのつながりを強めている。
カット技術を自分のものにできるまでは、絶対に辞めないと決意
――次に入ったサロンではどんなことを感じましたか。
このサロンが割と体育会系の雰囲気だったので、その点では厳しいと感じることはありました。ただ、オーナーのカット技術が本当に高くて。そのサロンではグラデーションボブ、レイヤー、ワンレンという3つのスタイルだけは、オーナーから直接教えてもらうことができる仕組みになっていたんです。
オーナー直伝のカット技術を身につけることができたら間違いなく自分の武器になると思い、どんなに辛いことがあっても技術を習得するまでは辞めないと決めていました。
大変なこともありましたが、今どんなお客様がきても対応をできるのは間違いなく、このオーナーが技術を叩き込んでくれたからだと思っています。
――その後、独立をされた理由は。
さまざまなタイミングが重なったためです。自分でも理由はよく分からないのですが、32歳で独立をしたいとずっと考えてきました。働いていたサロンが解散することになったとき年齢がちょうど32歳だったため、直感的に今だと思い、独立することを決めたんです。
――独立されたのは地元の大阪府八尾市とのことでしたね。
はい。ずっと大阪の都心部で働いてきましたが、2社目で働いたサロンが八尾にも店舗を構えていたんです。都心部と八尾の2ヶ所で働くなかで、場所にこだわらなくても、魅力的なスタイリストであればお客様はついてくださると感じました。
さらに八尾で開業をすれば、自分が長く暮らしてきた街に少しは恩返しもできるのではないかという想いもあったんです。実際、商店街のイベントがある際に、一画のスペースをお借りして髪を切る「青空カット」をさせていただくこともあり、少しずつ地域のなかで活動をすることもできています。
突然のがん宣告。病気の不安を和らげてくれたのは、仕事の存在
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――独立後は順調でしたか。
独立直後にコロナ禍になったため、最初は焦ることもありましたが、地元での開業ということで友人もたくさん来てくれて、滑り出しとしては順調でした。
しかし、これが僕の美容師人生のもっとも高い壁だったと思うのですが、開業から1年ほど経ったときにがんが発覚したんです。友人と遊んでいたときに急に倒れてしまい、救急車で病院に運ばれました。さまざまな検査を経て、脳にステージ3のガンが見つかり、「グリオーマ」という病気だということが分かりました。
先生から説明を受けたとき同席していた妻も母も泣いていて、僕も率直に死ぬかも知れないと感じました。そしてこれからどうしたらいいんだろう、どうなっていくんだろう、というような、なんともいえない気持ちが渦巻いていましたね。
――そこから治療が始まったわけですか。
はい。まずは手術を受けて脳の腫瘍をある程度取ったあとに、抗がん剤治療が始まりました。ただでさえ、独立がコロナ禍と重なったために経済的な打撃を受けていたのですが、1ヶ月半は完全にお店を休んで治療に専念しなければならず、日々不安と戦っていました。
その後、退院をして抗がん剤治療に入ったのですが、割と治療がうまくいって、抗がん剤の副作用もほとんど出なかったんです。抗がん剤治療は定休日に受けていたのでお店を休むこともありませんでしたし、それ以外の時間は本当に元気の過ごすことができ、ほとんど仕事に支障をきたすことはありませんでした。1年ほど抗がん剤治療を続けて寛解し、今でも定期的に検査にはいっていますが、今のところ異常はなく過ごせています。
――闘病中はどんなことを感じていましたか。
もちろん不安もありましたが、仕事をすることでその気持ちを和らげることができたと思っています。僕にとってお客様と話しながら髪を切っている仕事の時間はとても幸せな時間で。楽しい時間を過ごせているから、治療もうまくいったのではないかと考えています。
あとはたくさんの人に支えられていることを実感する日々でした。僕はSNSを通じて知り合いになった美容師の仲間が全国にいるのですが、手術の際や治療中など多くの仲間たちが連絡をくれたり、実際にこのサロンまで足を運んでくれたこともありました。
滞在時間が数十分ほどしかないにもかかわらず新幹線に乗ってここまで励ましにきてくれた仲間もいて、本当に感謝しかありませんでしたね。もちろん自分の近くにいていつも支えてくれた家族にも、感謝の気持ちが大きいです。
闘病で気づかされた、たくさんの「当たり前ではない」こと

――美容師として心がけてきたことを教えてください。
シンプルですが楽しく過ごしてもらうことです。お客様が帰られるときに、このお店に来てよかったと少しでも思ってもらえるように、接し方は心がけています。
1店舗目に働いていたサロンのオーナーに「美容師の仕事はとてもシンプルで、目の前のお客様をきれいにすることだけなんだ」と言われたことがありました。お越しいただいたお客様をきれいにしたり、かっこよくしたりするのが美容師の核の部分になるのかなと。
そして今の時代はどの美容室もレベルが上がっていて、どこのサロンに行ってもだいたいは素敵なスタイルを創ってくれます。そこで付加価値として提供できるものは何かと考えたときに、僕の場合は楽しく過ごしてもらうことだと思っているんです。
――コーノさんにとって働くこととは?
僕は大病を経験したことによって働くことに対する考え方が大きく変わり、働くことは楽しいことであり、そして当たり前ではないことだと強く感じるようになりました。健康で仕事ができることは、本当に奇跡的なことなんだと思ったんです。
朝目が覚めただけで、感謝の気持ちが湧くようになりましたし、働くことがもっと楽しくなりました。
病気を経験したことでこれまでの人生を振り返る機会も増えたのですが、自分を求めてくれるお客様がいらっしゃることで、自分が存在できているということも分かり、感謝しかないと思いましたし、過去の自分は周りから何を求められているかを感じ取る力が弱くて、独りよがりな自己満足の仕事をしていたことも多かったなと。お客様に求められている形で仕事を返していくことの重要性をより感じるようになったと思います。
これからもひとりでも多くのお客様にかかわり、幸せを届けられたらと思っています。
病気を経たことで、さまざまな気づきがあったというコーノさん。仕事で自分を求めてもらえることがどれだけ奇跡的なことが、日々感じているといいます。時間に追われて仕事をしていると忘れてしまう大切な気持ちを教えてもらった気がします。
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hair terrace sooH
住所:大阪府八尾市北本町2-12-30
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