打算で始めた婚活がいちばんの理解者に出会う結末に フィル スマイルオーナー 米山寛美さん#1
子育ても仕事もイキイキとこなしている素敵なワーキングママをご紹介するこの企画。今回はネイルサロン『フィル スマイル』のオーナー、米山寛美さんにお話を伺います。
高校を卒業後、レストランなどに勤務しましたが「美容業界で働きたい」という想いからネイリストの資格を取得。ご自身のサロンを持つようになってからは仕事が楽しくて、「このまま独身でもいいかも…」と考えていた時期もあったとか。
前編では、そんな米山さんが結婚を決意してお子さんを授かったことや、ご自宅にサロンを開設した経緯などをご紹介します。
お話を伺ったのは…
フィル スマイル オーナー
米山寛美さん
高校を卒業後、会員制レストランに勤務。25歳のとき美容業界で働く決意をしてネイリストを育成する学校へ。30歳で横浜市内にご自身のサロンを開設。結婚・出産を機に、サロンをご自宅に移設する。美容師免許を取得するために通信で勉強を始め、39歳で無事に合格。パートナーと現在8歳の女の子の3人で暮らしている。
女性が1人で生きる大変さを実感して婚活をスタート
――25歳でネイリストの勉強を始めるきっかけは何だったのですか?
高校を卒業してから勤めていたのが会員制のレストランで、いわゆるセレブの方たちがお客さまでした。接客をしているうちに、こうしたお客さまがいらっしゃるようなネイルサロンを開業したら、喜ばれるかも…と思い立ったのがきっかけです。
20年ほど前まで、ネイルサロンはまだ一般的ではなくて、限られたお金持ちの方が通うイメージでした。私がネイリストになったころからジェルネイルがブームになって、ようやく一般の方も通うようになったんですよ。
――ネイリストの資格を取って、サロン勤務も経験したんですか?
ネイリストの募集はありましたが、どこも「経験者」でないと採用してもらえないんです。ようやく「未経験者OK」という店があったのですが、そこがバーなんです(笑)。お酒を飲みにいらしたお客さまの爪をお手入れする、ちょっと変わったお店でした。環境がどうあれ、これで私も経験者になったので(笑)、本格的なサロンに転職することができました。
次に勤めたサロンでは、エステティックの施術もマツエクもやっていて、フェイシャルのことやまつ毛ケアのことをいろいろ勉強させてもらいました。
――サロン勤務を経て、独立なさったのが30歳ですね。
横浜市内の駅近くにいい物件があって、そこで開業しました。新興住宅地だったこともあり、お客さまにすごく恵まれたんですよ。私だけでは収拾が付かなくなって、ネイリストをもう一人雇って営業をしていました。その当時は仕事がすごく楽しくて、一人で生きていくのもいいんじゃないかな…と思っていました。
――それが変わったのですね。
女が一人で生きていくのは、ちょっと難しいものなんですね。私のサロンが入っていたビルにはいろいろな業種の店が入っていたのですが、サロンのオーナーが独身の女というだけで見下されるというか、なめられるというか。そこに信用問題も絡んでくるんです。
一人で生きていくのは大変なんだな…と思って、婚活を始めました。
――パートナーを決めた理由は何ですか?
私が個人事業主なので、まずは収入が安定していることですね。それまでにいろいろな男性と会いましたが、必ずイヤな部分が1つ2つ目についていました。ところが主人にはそのイヤな部分がひとつもなかったんです。それが決め手になりました。
「もう、いい出会いはないんだろうな」ってあきらめかけたときだったので、本当に幸運でしたね。
パートナーの転勤を機に、自宅サロンが実現!
――結婚なさったのは何歳のときですか?
私が35歳で主人が42歳でした。私は仕事が大好きだし、正直、子どもがあまり得意ではなかったので、子どもを作る予定はありませんでした。でも、一緒に生活をするうちに「この人の子どもなら産んでみたい」と思ったんですよね。
――お腹に赤ちゃんがいると仕事も大変だったのでは?
それがまったく(笑)。つわりは私がお休みの日だけで、いたって順調でした。大事をとって仕事の量を減らしたら、退屈で退屈で。9か月目まで働いて、出産までの1か月間お休みをとりましたが、何もすることがなくて…。ずっと仕事をしてきたので何をしたらいいのか分かりませんでした(笑)
――出産後はいかがでしたか?
うちの子はとてもいい子で、夜泣きはしないし、離乳食も嫌がらずに食べるし、まったく手がかからない赤ちゃんだったんです。ずっとおとなしく寝てくれるので、助かりました。産前産後で3ヶ月間のお休みをとりましたが何もやることがなくて、退屈だったんです(笑)。
0歳児はすぐ保育園へ預けることができたので、予定通り2か月後に預けて復職しました。
――復職してからは順調でしたか?
週末は主人が見てくれたので、私は平日に2日間お休みをとって子どもと一緒に過ごすようにしました。それ以外の日は保育園に預けていたので、特に問題はなかったですね。
――駅から近い場所にサロンがあったのを、ご自宅に移したきっかけは何ですか?
結婚して10年ほど経ったころ、主人が埼玉に転勤することになったんです。家族が離ればなれになるのもイヤですが、自分の仕事を諦めるのも耐えられませんでした。それで主人に自分の気持ちを伝えたら、サロンの最寄り駅と同じエリアに家を買ってくれたんです。「自宅でやればいい」って、応援してくれたんですね。
――転勤先へはご自宅から通ったんですか?
単身赴任することなく、自宅から通ってくれました。しかも自転車で(笑)。4時くらいに家を出ていましたね。
――目に見える形で応援してくれると励みになりますよね。
主人の気持ちに応えたくて、がんばって働きました。でもそのシワ寄せが子どもにいってしまったのが心残りで…。あるとき子どもが熱を出してしまい、保育園に預けられなかったんです。急なことだったのでベビーシッターを呼べないまま、私は子どもを置いて仕事に出かけました。お客さまの予約が入っていれば、穴を空けるわけにいきませんから。病気の子どもを2時間、家に1人残さなくちゃいけない罪悪感といったら、もう言葉にできません。あのときの気持ちは忘れられないですね。申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
――お子さんを持ってから、仕事に対する考え方は変わりましたか?
仕事に対する気持ちは変わっていません。「自分のなりたいものには絶対になれる」と信じていれば、必ずかなうものです。言い方は悪いですが、「仕事は人生の暇つぶし」だと思っているので、結婚や子育てをきっかけに「仕事をしない」という選択肢は私にはありませんでした。
ただ、母親としての考え方は変わりましたね。子どもを産んでもバリバリ仕事をするのは当たり前だと思っていました。それが実際に子育てをしているうちに、子どもが笑ったり泣いたり感情で訴えかける姿を見て、母としての自覚が芽生えてきた気がします。子どもと一緒に成長しているんですね。
お店の宣伝をいっさいしてこなかったので、お客さまの数が少しずつ減っていました。でもそのタイミングで子どもも成長して、親子で過ごすことが楽しくなってきたんです。キャリアや売上を必死になってつくるより、今は子どもを優先したいですね。
米山さんが子育てとキャリアを両立させた3つのポイント
1.パートナーと自分の夢や将来設計を共有しておく
2.自宅にサロンをつくって子育てしやすい環境を整える
3.キャリアを優先させる時期と育児を優先させる時期とのバランスを考える
最初は「1人で生きていく」と考えていた米山さん。それが最良のパートナーと出会って、キャリアもプライベートも充実することができました。それもご自身の中に、きちんとした目標が描かれているからこそ。
後編ではさらなる高みを目指して、米山さんが描いているキャリアアップのことや、これからのご家族のことなどを伺います。
撮影/古谷利幸(F-REXon)