サロン移籍と時短勤務、二度の働き方チェンジで自分らしい生き方に【美容師 佐野侑子さん】#1
原宿の美容室で10年の経験を積み、30歳のときに表参道のPATIONNへ活躍の場を移した佐野侑子さん。お客様からは「本音でなりたいヘアを相談できる美容師」として信頼を得ています。結婚後もトップスタイリストとして第一線で働く中、妊娠や育児とは異なる理由で時短勤務を選ぶことに。それは、働く大人の女性にとって共感できる、とあるお悩みでした。
お話を伺ったのは…
PATIONN(パティオン)
トップスタイリスト 佐野侑子さん
2003年に美容学校を卒業。都内1店舗を経て、2014年にPATIONN入社。スタイリスト歴17年の経験を活かし、一人ひとりのライフスタイルや髪質に合わせた“キレイ”を提案。20代に人気の華やかなウェーブロングから、30〜40代に人気のふんわりショートボブまで、幅広いスタイルを得意としている。この5月に3歳になる女の子のママ。
キャリアを積んだ30歳でサロンを移籍
――美容師になりたいと思ったきっかけは何ですか。
母のくせ毛が私にも遺伝したのを見かねたのか、あるとき「ストレートパーマをかけておいで」と言われたんです。まだ中学生だったのですが、美容室でひとりで過ごすうちに、すごく素敵な空間だなと感じました。美容師さんとお話ししたり、ドライヤーの音が聞こえたり、髪がきれいになって喜んでいるお客様を見たり…。そういう場所にずっといられたらいいなと思ったのがきっかけです。
昔はインターン制で働きながら学べる美容学校があったので、中学を出たらその道に進みたいと言ったら、親は驚いてしまって。「まずは高校に進学して、3年間いろんなことを視野に入れて勉強してみたら。気持ちが変わらなかったら、専門学校に行けばいい」と言われました。高校時代の友人とは今も仲が良いので、結果的には親の言う通りにして良かったと思います。
――最初に入ったサロンでは10年間勤めたそうですね。
原宿にある大型店で、スタイリストの人数もお客様も多く、とても忙しいサロンでした。自分の技術に自信を持てるようになりたくて、とにかくたくさん練習をしましたし、練習の成果が売上という形になって返ってくるのもやりがいを感じていましたね。20代でしたし独身だったので、23時まで働いた後は同僚と飲みに行き、仕事や恋愛の話をたくさんするのが日課でした。
――その頃は、将来的な結婚や出産について考えていましたか。
結婚願望はあまりなくて、いつかは子どもを生みたいな…という漠然とした感じでした。私は23歳でスタイリストデビューしたのですが、3年間でスタイリストになるのは、カリキュラムも多く結構大変だったんです。結婚や出産でキャリアをストップしたら、その3年がムダになってしまうのではないかという不安もありました。
あの頃、女性の先輩方は結婚や出産を機に退職する人が多くて、25歳のときには女性スタッフの中で一番年上だったんですよ。スタイリスト歴としてはまだ2、3年なのに!
――PATIONNに入社されたのは何歳のときですか。
30歳になっていましたね。PATIONNのオーナーの石川とは交流があったので、サロンを移ることを考えたときに、知っている人のお店がいいかなと思ったのがきっかけです。
実は、フリーランスという選択肢もありました。フリーの美容師が集まるサロンを見学してみたら、やはり個人個人で席を借りているだけなので、お互いにフォローや気配りはなかった。私には、ほかのスタッフと足並みを揃えて営業する方が向いていそうだと思ってPATIONNに入社しました。
――10年勤めたサロンを辞めるという決断は、難しかったのでは。
むしろ、長くいすぎたのかも(笑)。大所帯のサロンだったので同期が6、7人いたのですが、だんだん辞めていって最後に残ったのは私ひとりでした。なかなか踏ん切りがつかず、ほかのお店に移っても自分はやっていけると思えるまでに10年かかってしまったんです。
時短勤務に切り替えて、生活と心を整える
――妊娠や出産よりも前に、フルタイムから時短勤務にしたそうですね。
PATIONNに移って2年ほどで結婚しましたが、子どもはいなかったので独身時代と変わらずフルタイムで23時頃まで働いていました。でも、年齢を重ねるにつれ体力が落ちてくるし、仕事が忙しくて家事もままならないし…。ちょっと働き方を変えてみたいとオーナーに相談したら、「全然いいよ!好きなように働いてよ!もっと早く言えばいいのに〜」と快諾されました。20時くらいまでの時短で働くようになり、だんだんと生活も気持ちも楽に。それが、35歳の頃です。
――時短勤務を決めたとき、お客様にはどのように伝えたのですか。
初めはどう言おうかと悩んだのですが、それまでのお客様との関係性や接し方を考えたら、いつも通り、素直にお伝えするのが一番だなと。「家事もちゃんとしたいし、辛くなっちゃって」という感じで、本当に軽く伝えました。そうしたら、既婚・未婚に関わらず、皆さん同じ女性として共感してくださったんです。「“あるある”よねぇ」「仕事はバリバリで家はぐちゃぐちゃ、わかる〜!」って。
もちろん、夜遅くしか来店できないお客様は失客しています。でも自分で選んだことなので仕方ない。お客様には、もし日中に来れるときは担当させていただきたいし、夜はほかの信頼できるスタッフを紹介することもできるとお伝えしました。カルテも共有できるので、担当者が私ともう一人のスタッフの2名体制になっているお客様もわりといらっしゃるんですよ。
以前の私はもっと頭が固かったので、こんなことを言ったらお客様はもう来てくれないと考えていました。でも全然そんなことはなくて、その考えは逆にお客様に対して失礼だったなと思います。柔軟なオーナーと、理解してくださるお客様のおかげで、私の頭も柔らかくなったかもしれません。
パートナーは、大変な時期を支え合った仲間
――パートナーとはどこで知り合ったのですか。
前の職場の後輩美容師であり飲み仲間でした。当時は、同じ悩みを抱える同僚や後輩、先輩と一緒に終業後に飲みに行って、いろいろな思いを吐き出すことでハードな日々を乗り切っていました。
はじめはまったく恋愛対象ではなく、何でも話せる先輩後輩の間柄が長く続きました。私が前の職場を辞める頃におつきあいすることになり、交際3年目でプロポーズ。相手はまだ20代だったので、結婚は考えていないだろうと思っていたのに。私の年齢を考えてくれたのかな(笑)。
――妊娠がわかったときはどんな気持ちでしたか。
36歳のときに授かり、もう単純にうれしかったですね。それまで、「授かる」という言葉を簡単に使っていたけど、その重さも実感しました。生物を自分が生み出すなんて、未知の世界。おなかの中に命ができて、生まれて、ひとりの人として成長していく。すごいなぁって。
――妊娠中はどのように働いていましたか。
もともと時短で働いていたので、そんなに大きくは変わりませんでした。幸い、つわりも「食べづわり」くらいだったので、おなかがすく前にバックヤードでりんごをバクバク食べて、何事もなかったかのように接客に戻っていました。
オーナーが本当に柔軟な人なので、「辛かったら休めば良いし、好きなようにやっていいよ」と言ってくれるのが本当にありがたかったです。
――妊娠・出産後の働き方について、パートナーとはどんな話を?
夫が働いているサロンに私も移るという提案をされました。復帰するなら子どもを保育園に預けるのは必須。でも急に熱が出たら迎えにいかなければいけない。そのとき同じ店にいれば対応しやすいのではという考えでした。私と夫は出身サロンが同じなので、身につけている技術の基礎が同じだし、お互いのやり方もよくわかっている。だから、緊急のときは私のお客様を夫にバトンタッチもできるからです。
確かに、とは思ったものの、あまりピンと来なくて、PATIONNで働き続けることにしました。あとから知ったことですが、認可保育園に預ける場合、産休前の職場に復帰することや、働く日数や時間が産休前と大きく変わらないことが審査基準のひとつになっていたので、移らなくて良かったです(笑)。
自分の技術を磨くこととサロンワークに奮闘した20代を経て、柔軟なオーナーが率いるPATIONNで自分らしい働き方にシフトした佐野さん。現在は、ともに努力と経験を重ねてきた美容師であるパートナーとともに、仕事と子育てを両立中です。
後編では、仕事に復帰して感じたことや、佐野さんが考える「働きやすい環境」などをお聞きします。
取材・文/井上菜々子
撮影/喜多二三雄