社内受賞を逃した悔しい過去。対応できる幅を広げ、苛酷な新人時代を突破 「NORA HAIR SALON」石山百花さん
カミカリスマも受賞する美容師、広江一也さんが経営する「NORA HAIR SALON」。表参道の一等地に構えられた店内には、22席ものセット面があり、所属スタイリストも高い水準での売上をキープするなど、勢いのあるサロンとして注目を集めています。
そのサロンで、入社5年目ですでにトップスタイリストとなり、売上200万円を超える活躍をしているのが石山百花さんです。バスケの3×3の日本代表としてアジア大会にも出場。そこで培われた広い視野を武器に、お客さまやスタイリストが求めるものを提供することを心がけてきたといいます。なかでも、社内の受賞を逃がして、悔しい思いをしたことが、新人時代の飛躍のきっかけにつながったそうです。前編では、どのようにして新人時代を乗り越えたかを伺います。
今回、お話を伺ったのは…
石山百花さん
美容師/「NORA HAIR SALON」トップスタイリスト
大阪の美容専門学校を卒業後、新卒採用で「NORA HAIR SALON」に入社。現在入社5年目。メンズカット、韓国ヘアに特化した確かな技術と、お客さまファーストの接客で200万の売上を記録したことがある、注目のホープ。
韓国好きを活かせるだけでなく、幅広い技術を身につけられる環境へ
――就職先に「NORA HAIR SALON」を選んだ理由は?
専門学校時代から韓国のスタイルがすごく好きで、インスタでいろいろな美容師さんのスタイルを見ていたときに、今うちのサロンでトップのスタイリストであるYUMA ISHIKAWAのアカウントを見つけたんです。YUMAは韓国ヘアに特化しており、すごく格好いいスタイルだなと思ってNORAのことが印象に残っていました。その後サロン見学にも伺い、実際にお話も聞いて、採用試験を受けてみようと思ったんです。
ほかにも迷っていた韓国特化サロンもあったのですが、親とも相談して、韓国ブームがもし去ってしまったら、なかなか厳しいのではないかということになって。NORAは韓国ヘア特化の人もいましたが、幅広いスタイルを提供していたので、こちらの方がいいかなと思いました。
――採用試験は順調でしたか?
そうですね、意外とあっさり(笑)。面接では、はじめは緊張してあまりアピールができていませんでしたが、最後の数分で自分の思いの丈を話すことができました。
――どんなことを話したのですか?
私は大阪の美容学校に通っていたので、「東京で本当にできる?大阪にもサロンたくさんあるよね」という話をされて。NORAで韓国ヘアを磨きたい気持ちが強かったので、それをしっかり伝えたのと、あとは関西魂で気合いも伝えて(笑)。1次面接のときに、私がバスケの3×3の日本代表としてアジア大会に出ていた話をしたので、そこにも割と幹部が食いついてくれていたこともあるのか、2次面接の終わった日に電話があって入社が決まりました。
深夜の渋谷を走り回ったことも。「東京で成功する」がモチベーション
――入社してみて、いかがでしたか?
入社と同時に、学生時代とあまりにも生活が変わってしまって、最初は拘束時間が長いことが割と辛かったです。当時はアシスタントがすごく少なくて、営業前後の掃除や準備・片付けにかなり時間がかかっていたんです。
朝はレッスン、営業後には遅くまで自主練習をして、レッスンの内容でモデルさんが必要なときは、遅い時間でも渋谷に出て行って、モデルハントもしていました。当時は髪質や履歴をきちんと見てモデルハントをするように言われていたので、ネットは使うことができなかったんです。同期と深夜の渋谷に行って、終電を逃した人をつかまえてお話させてもらうことも多かったです。ときには、終電に間に合うように走る人と併走しながらお話させてもらったこともありました。当時のモデルハントのおかげで心が強くなりましたね。
――それは忙しい毎日でしたね。その生活を続けるモチベーションはどんなところにありましたか?
私は実家が大阪ですが、父が川崎に単身赴任しているので、私が東京に出ることによって、母が実家にひとりになってしまうので、多分さびしさもあったと思うのですが、最初は親からも東京に出ることを反対されていたんです。その反対を押し切って東京に出てきたので、「大阪でやればよかったじゃない」と言われるのが一番悔しいと思っていて、なんとか東京で成果をあげたいと思っていました。あとは同期に負けたくない気持ちも強かったです。私はすごく負けず嫌いの性格なんです。
目指していた賞を同期が受賞。先輩のアドバイスを元に、3年目にリベンジ
――アシスタント時代に心がけていたことはありますか?
スタイリストがどういうことを求めているか、どういう風に動いてほしいのかを察知して動くようにしていました。自分で言うのも何ですが、割とそつなくこなすことができたアシスタント時代だったと思います。バスケをやっていたことで視野を広く捉える力が、培われていたのかもしれません。
――新人時代の失敗や挫折は何かありますか?
大きな失敗はありませんでしたが、入社2年目に社内のある賞を同期に取られたことがすごく悔しくて、それが一番の挫折だったと思います。うちの会社には「NORAアワード」という社内イベントがあるんです。数字では推し量れない、スタッフのがんばりに光をあてる目的で開かれているもので、その中でアシスタントが対象になるベストスタッフ賞というのがあるんですね。スタッフが投票して、一番がんばっているアシスタントを選ぶ賞です。
入社1年目のときは、まだ半年くらいしか働いていなかったので、目指してはいなかったですが、入社2年目は取れたらいいなと思ってがんばっていたので、同期がとったことがかなり悔しくて。そこから努力を重ねて、入社3年目では賞をとることができました。
――具体的にはどんな努力を?
3年目にあがるタイミングで、副店長の小杉拓馬のメインアシスタントになることができたのですが、小杉のアシスタントとして働いた9ヶ月で自分の心境が大きく変わって。技術面もそうなのですが、特に接客面で自分はこう動けばいいという指標のようなものができたんです。
――指標のようなもの。
私はとにかくお客さま第一で動きたいという思いが強くて、そのように行動をしていたのですが、ほかのスタイリストについたときは「今はお客さまより、一旦こちらが動けることを優先して」と言われることもあったんです。私としてはお客さま優先で動いていたのに、と心の中では思っていてモヤモヤすることもあって。悔しくて泣いたこともありました。
でも小杉についたときは「なんであのタイミングで、こういう行動をしたの?」と責めるわけではなくて、きちんと理由を聞いてくれたんです。そこで私が「あのときは、こういう状況だったので、お客さま主体で動きました」と伝えると「ああ、そうだったんだね。じゃあいいよ」と話してくれて、まずは自分の考え方は間違っていなかったと自信につながりました。
――それはうれしいですね。
はい。さらに小杉は私の思いを尊重した上で、ときには「その考え方はいいんだけど、あのときはこうしてほしかった」と優先順位を変えてほしいときは細かく説明してくれたんです。すると、新しい動きの選択肢がどんどん増えていき、お客さまもスタイリストも大切にする動きができるようになりました。それが結果的には3年目の「NORAアワード」受賞につながったと思っています。
石山さんが苛酷な新人時代を突破した3つのポイント
1.負けず嫌いな性格を活かし、東京で成功するというモチベーションを持ち続けた
2.バスケで培われた広い視野を武器に、お客さまとスタイリストが求めているものを提供した
3.同期に負けた悔しい気持ちをバネに、接客技術に磨きをかけた
後編では、どのようにして入社5年目で200万円の売上を記録することができたのかを伺います。韓国スタイルが好きだったにも関わらず、人気スタイリストが同じ路線だったため、最初は特化しようとは思っていなかったという石山さん。しかし社長からのアドバイスにより、ゼロイチではないペルソナ設定をすることに決め、二番手の集客だとしても自分にしかできない接客をすることで、結果を残すことができたといいます。後編もお楽しみに!