有名店での女性スタイリスト1号を目指して。キャリアを積み、役職を得て感じたこと【ancrea Aoyama代表 金子 史さん】#1
誰もが知る超有名な大型店で、アシスタントから着々とキャリアを重ね、女性スタイリストとして長年第一線で活躍してきた金子 史さん。22年在籍し、役職も歴任した金子さんが、完全独立で自身のサロンをオープン。これからが楽しみな注目のお店でもあります。
前編では、そんな金子さんが美容師を志した頃から大手サロンでキャリアアップしていくまでのお話を伺いました。
お話を伺ったのは…
ancrea Aoyama代表 金子 史さん
地元・鹿児島県の美容室を経て上京、アフロートへ入社。多忙なサロンワークをこなしながら、雑誌やCM、ヘアショー、セミナー講習など幅広く活躍。頼れる女性スタイリストの一人としてお客様からはもちろん、業界からの支持も厚い。代表、COOなどの役職を経験し、2022年に退社。2023年3月に自身のサロン「ancrea Aoyama」を表参道にオープン。
KANEKO’S PROFILE
- お名前
- 金子 史
- 出身地
- 鹿児島県
- 年齢
- 48歳
- 出身学校
- 熊本ベルェベル美容専門学校
- プライベートの過ごし方
- 旅行が好き(落ち着いたらまた行きたい!)
- 趣味・ハマっていること
- 観葉植物を育てること
- 挑戦したいこと
- ボルダリング
女性スタイリスト1号を目指して、超有名店の門を叩いた
――美容師を目指したきっかけは?
最初はすごく大きな夢があったわけではありませんでした。美容学校へ行って、地元の鹿児島の美容室で働きながら免許を取って、そこで働いていました。地方は特にそうなのかもしれませんが、若いうちから後輩がどんどんできて、立場も上がって、下に教えなきゃいけなくなっていく。
自分としてはもっと美容を学びたいのに、それが難しくなってきて、私の思う働き方とは違うのかな? と感じて。それで東京のサロンへ行ってみようと決意しました。
――最初からアフロートと決めていたのですか?
せっかく東京へ行くのだったら、絶対に有名店だとは決めていました。直接お店に電話して、その時は募集していませんと言われたけど、「どうしても入りたいので面接だけでも!」と頼み込んで、それで採用が決まりました。
女性スタッフがけっこう辞めてしまった時期だったらしく、「私が女性スタイリスト1号になってやろう!」そんな気持ちで働き始めたのを覚えています。
緊張感と責任感が育っていったアシスタント時代
――アシスタントから再スタートを?
一応中途ではあったのですが、アシスタントから。最初はもうひたすらシャンプー、シャンプー、シャンプー。一日に150人とか来るので、ひたすら洗ってましたね(笑)。
ステップアップして、誰かスタイリストのメインのアシスタントになるとさらに大変で。その頃はスタイル撮影も多かったので、毎朝5時、6時起きでサロンに入り、担当スタイリストが来る前にモデルさんのシャンプーやメイクを準備。
休みの日も撮影があったり、地方に講習に行く時は一緒について行くので、自分の休みはなかなか取れませんでしたけど、やりがいはありました。
――まかせられることも増えていったのでは?
当時は、スタイリストが施術するのはほぼカットのみで、カラーやパーマのカウンセリング、ブローなどはアシスタントが主に担当していたんですね。
だから、お客様と接する時間はけっこう長くて、大事な部分もしっかり対応しなくてはならない。アシスタントと言えど失敗はできないし、まかされているわけですから緊張感が違いますよね。そういう日々だったからこそ、めちゃくちゃ鍛えられて、しっかり覚えることができたんだと思います。
――スタイリストデビュー後は?
自分のお客様もどんどん増えていき、毎日忙しく働いていましたね。昔は売上基準、数字基準みたいなところが強くて、稼ぐ人ほどどんどん上にいく。今は少し違いますよね、その美容師さんの中身だったり、得意分野にも注目される時代になったと思います。
いくら成績を残しても、じゃあ一年後はどうなっているか、ずっと継続していけるのか、本当はそこがすごく大事で。
女性美容師としてキャリアアップ。役職を務め、感じたことは
――ターニングポイントはありましたか?
アフロートシェルハがオープンするタイミングで、代表を務めさせていただきました。28歳の時です。大きなポジションだったのですが、正直乗り気ではなくて、重い気持ちだったんです。それまでに着々とキャリアを積んできたわけですけど、まわりには先輩もたくさんいたし、自分が上に立つなんて……。
――有名スタイリストがたくさんいて、人間関係も複雑そう(!)
人間関係大変問題(笑)、大型店ならではかもしれませんね。今でこそ昔の思い出として笑い話になったりしますが、当時はよくも悪くもみんながぶつかり合っていた。アシスタントの頃とはまた違う、揉まれて鍛えられた感が強かったです。
――金子さんは、ずっとプレーヤーなイメージだったかも。
代表になっても、撮影半分、サロン半分という感じでプレーヤー的に働いていました。お店の細かい部分は、当時の店長にまかせられたのも大きかったと思います。
役職をもらって、認められて、それはある意味安定なのかもしれないけど、そこに落ち着いてしまうのもどうなんだろう。私は、「常に勉強していたい」という気持ちがやっぱり根本的にあって、お客様一人一人を大切にしながらずっと美容師を続けていきたい、そんなことを考えていたと思います。
――役職あるポジションで感じたことは?
会社としては、若い世代に活躍して育ってほしくて役職をまかせるわけですよね。でも立場が上の方にあっても、意外といろいろ言いにくいんだなと。
毎日現場で感じることがあるからこそ、ああいう風にしたら、こういうのがいいんじゃない? と言いたいことはたくさん出てくる。でも立場があることで、上からどう伝えるかというのはけっこう難しくて、後輩なのに遠慮しながらアドバイスしていたり。若手のスタッフもまた、私に気をつかっているんだろうなと感じることも。
みんなで働いているのに、なんかモヤモヤが残る時がある。その辺のコミュニケーションの取り方は苦戦しましたね。長く働いていくうちに、そういう部分も独立する理由の一つになったのかもしれません。
取材・文/青木麻理(tokiwa)
撮影/生駒由美