スタイリスト2年目で起業。「お店に関わるすべての人々に愛を」という思いでlogをスタート【log 代表 馬橋達佳さん】#1
代官山の「log(ラグ)」は、アンティークのインテリアとグリーンがアトリエ風の雰囲気を醸し出す居心地のよいヘアサロン。オーナースタイリストの馬橋さんは、巧みなカット技術とおしゃれなカラーデザインに定評があり、ファッション誌をはじめさまざまな媒体でヘアメイクとしても活躍を続けています。
前編では、ダブルスクールで美容を学んだ経験、思わぬきっかけで独立を決めたお話、logのコンセプトなどをお聞きしました。
お話を伺ったのは…
log 代表 馬橋達佳さん
2003年HEAVENS入社。2007年にフリーランスになり、2008年にlogを設立。サロンワークをベースに、ファッション誌やヘアカタログ、業界誌の撮影やセミナーなど幅広く活動。
MABASHI’S PROFILE
- お名前
- 馬橋達佳
- 出身地
- 埼玉県
- 出身学校
- 大阪ベルェベル美容専門学校
- 憧れの人
- たくさんいます!
- 趣味・ハマっていること
- 食、酒、旅
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 毎日ハサミを磨くこと
高校に通いながら美容を学び、大学時代に美容師資格を取得
――美容師になろうと思ったきっかけは何ですか。
ありがちですが、実家が美容室というパターンです。祖母と父が美容師で、母は着付けの仕事などをしていました。それで、中学生の時に漠然と思い描いた自分の将来が美容業だったんですね。最初は、好きな服を着て好きな髪型で働けそうだなという、結構チャラい動機もありました(笑)。
中学卒業後は高校に進学したのですが、父親のアドバイスで、高校に通いながら通信制の美容専門学校で学びました。
――ダブルスクールだったのですね。
高校と専門学校を同時に卒業するような感じでした。当時はインターン制だったので、1年間働いてから国家資格を取得という流れだったんですけど、僕は大学に進学したんです。高校までがっつりやっていたバスケットボールと、美容のことしか知らない人間にはなりたくないなと思ったし、親の勧めもあったので。大学に行きながら、地元の美容室でインターンも兼ねてアルバイトをしました。
――大学では何を勉強されたのですか。
経済学部経営学科でした。将来的に自分のお店を持ちたいという思いがあったので、経済とか経営とか少しでも知っていた方がいいかなという理由で選んだんですけど、今、まったく役に立っていないです(笑)。学生時代は本当に、試験のための勉強しかしなかったですからね。
――早い段階から、自分の店を持ちたいと思っていたのですね。
そうなんです。今思えば、それもやっぱり実家が自営業だからこそかもしれません。自分で事業を営むということが刷り込まれていたというか。
――大学卒業後、都内のサロンに就職を?
はい。自分の思い描く美容師像に近づくためには、やっぱり都内に出た方がいいなという判断をしました。就職するにあたりこだわったポイントは、「技術がしっかりしている」ことと「感度が高い」こと。このふたつを兼ね備えているのはどういうサロンだろうと考えた時、美容業界誌で技術の連載を担当していて、ファッション誌でも活躍しているところだと思ったんです。その頃はインターネットが普及していたとはいえ、まだまだ雑誌の力が強い時代でしたから。
そういう基準でサロン見学に行ったり、髪を切りに行ったりして、「ここで働くイメージができる」と感じたサロンを受けたら運よく内定をいただきました。
スタイリストデビュー目前で退社。フリーランス美容師に
――お勤めしたサロンで印象に残っていることや、影響を受けたことはありますか。
すごい先輩方がたくさんいたのですが、特に影響を受けたのは師匠の小松敦さん(HEVENS設立者)です。メインアシスタントとして育てていただき、雑誌の撮影やヘアショーなど外部の仕事に携わる機会も多かったことが強く印象に残っていますし、その後の自分の道を決めたのかなと思います。
――アシスタント時代に特に頑張ったことは何ですか。
当時、そのサロンのアシスタントの評価基準のひとつが、雑誌やヘアショーのモデルをいかにハントできるかだったんです。しかもモデルを見つけたスタッフが現場に同行できるシステムでした。僕はもともと撮影の仕事に憧れて東京に出てきたので、とにかくモデルハントを頑張りました。朝から晩まで街に出てモデルを探して、見つからないときは終電後まで続けたことも。
――サロンワークもやりながらですから、かなりハードだったのでは。
土日は基本的にサロンワークで、平日はモデルハントに出ることが多く、終電後や早朝のお店で技術練習…。全然寝てなかったですね。家に帰って靴を脱ぎながら、電池切れのように寝落ちしたこともあります。今同じことをやれと言われたら絶対できないくらいのパッションを持って取り組んでいましたし、めちゃめちゃメンタルを鍛えられました。
お店を経営するようになってからいろいろな困難もありますけど、あの頃の経験が今の自分を助けてくれていると思います。「あれができたんだから、これも全然クリアできる」って。
――スタイリストデビューはいつ頃?
実は、スタイリストデビューせずにサロンを辞めたんですよ。丸4年のアシスタント時代を経てスタイリストデビューが決定し、同時に雑誌のデビューもいくつか決まっていたのですが…。
当時、どちらかというと青文字系テイストだったサロンが、ブーム全盛期の赤文字系に方向転換をするという話が出ていました。でも僕はそういうヘアスタイルをサロンワークでも撮影でもやりたいと思えなかったんですよね。お店側とたくさん話し合いをしましたが、結局辞めることになりました。
――辞めて、別のサロンを探したのでしょうか。
退社した時に、お世話になった先輩方に挨拶に行ったんです。すでに独立して自分のお店をやっている方達なのですが、その中の一人の先輩に「面貸しするから、うちでやれば」と言っていただいて。違うサロンに再就職するというのも若干考えていたんですが、せっかくお声がけいただいたので、フリーランスとして働くことにしました。
――フリーランスになってから、どのように集客しましたか。
自分のカットモデルさんに片っ端から連絡しました。手が空いた時は街に出て、モデルハントならぬ「お客様ハント」です。カットは無料でするから、カラーやパーマをしに来てくださいっていう切り口で、とにかく声をかけまくりました。ラーメン屋で隣に座った人や、買い物した店の人に名刺を渡すっていうのは、もう呼吸をするようにやっていましたね。
フリーランスのリスクに直面し、起業を決意
――自分のお店を構えることになった経緯を教えてください。
フリーランスとして半年ほど働いた頃に、交通事故にあってしまい、3ヶ月間サロンワークができなかったんですよ。フォローしてくれるスタッフもいないし、もちろん収入もゼロになるし、フリーランスの限界を悟ったんです。そこから、自分でちゃんと組織をつくった方がいいなと考えるようになり、スタイリスト2年目の27歳の時にlogをオープンしました。
――お店を出そうと決めてから、どのように行動に移しましたか。
まずはお金ですよね。フリーランス期間中に多少は貯金をしていましたが、微々たるもの。融資先を探しつつ、アシスタント時代のツテでヘアメイクの仕事もして、物件探しも同時進行しました。
会社をつくるにはどうすればいいかというのは、幸い、親がノウハウを知っていました。父親は銀行員から美容師になって実家の美容室を継いだので、お金の流れとかに強く、全部教えてもらいました。本当にありがたかったです。
物件はいくつか候補があったのですが、どこも借りられず大苦戦。でも不動産屋さんにしつこく食い下がったら、テナントのオーナーさんにプレゼンする機会を設けてくれたんです。
――プレゼンの機会なんて、今までそんなになかったのでは?
ないです、ないです。パワポの使い方を覚えて、いろいろ準備しました。ただ、アシスタントの頃に師匠のセミナーについて行って手伝ったり、人前で話す機会をいただいたりしていたので、その時の経験が生きました。緊張はしたけどわりとすんなり通り、今のこの場所を借りられることになりました。
――logを始める時、どんなサロンにしたいと考えましたか。
口に出すと恥ずかしいですけど、当時は「やっぱり愛でしょ」という考えがマイブームだったんですね。ラブとラグという響きが似ているのと、「love and good」の意味を込めて店名をlogにしました。お客様やスタッフ、お店に関わるすべての人々に最高の愛を提供しようというコンセプトです。
――なるほど。店内の雰囲気も、落ち着きと温かみがあって素敵ですね。
古着やアンティーク家具がすごく好きだったので、お店のインテリアもガチのアンティークで揃えました。今は新しいモノやコトがどんどん出てくる時代ですが、アンティーク家具は古くなればなるほど価値が高まりますよね。お店としても美容師としても、そうありたいなと思います。年月を重ねるほどに魅力や深みを増していけるように。
フリーランスという働き方でスタイリストとしての一歩を踏み出し、予期せぬアクシデントからサロン設立を決意した馬橋さん。「愛」を大切にスタートしたlogは、今年で16年目を迎えました。
後編ではlogの歴史を振り返るとともに、今後の展望や夢、活躍したい美容師さんへのメッセージなどをお聞きします
撮影/長谷川梓
取材・文/井上菜々子