たった一回の施術で顎関節症から解放。これに大きな衝撃を受けセラピストに 私の履歴書【アンリュミエール オーナーセラピスト保戸塚優美さん】#1
麹町駅から少し歩いた閑静な場所にある「アンリュミエール」は、南フランスのゲストハウスを思わせるエステサロン。こちらのオーナーセラピストが保戸塚優美さんです。
前編では、保戸塚さんがOL時代、ふと訪れた美容サロンのたった一回の施術で長年悩んできた顎関節症から解放され、それを機に美容の道を志したことをお伺いしました。ネイティブのフランス語に手こずったフランスのエステ専門学校への留学時代、アンリュミエール開業までのお話も。
YUMI’S PROFILE
- お名前
- 保戸塚優美
- 出身地
- 熊本県
- 出身学校
- 立教大学観光学部
Ecole d’Esthétique Internationale Catherine Lorène(キャトリーヌ・ロレーヌ)
(フランスのエステティック専門学校) - 憧れの人
- 服部みれいさん(憧れというより実際お話してファンになり、尊敬している方です)
- プライベートの過ごし方
- 家事と育児、家族とお出かけ、英会話レッスン
- 趣味・ハマっていること
- インテリアの研究、模様替え、旅行
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 施術用のオイルや化粧品は天然由来の最高品質のものを使用しています。
美容サロンのたった一回の施術で顎関節症から解放
――保戸塚さんは大学卒業後まずOLをされたそうですね。
はい。大学卒業する時点ではまだやりたいことが定まらず、就職氷河期だったこともあり、どこかに受かればいいかなくらいの気持ちでした。
あまり深く考えずに最初に内定をいただいたマンションのデベロッパーに就職し、配属されたのは住宅ローン課。住宅ローンの審査書類を作る事務仕事をしていたのですが、数字を扱うパソコン仕事だったので肩こりやむくみなど体のあちこちに不調が…。いろんなエステや整体に通うようになり、あるサロンに行ったときに衝撃的なことが起こったんです。
――なにが起きたのですか。
顔の歪みを矯正するサロンのたった一回の施術で顎関節症がよくなったんです。中学~大学までクラリネットを吹いていた影響で顎が硬くなってしまっていたんですよね。ハンバーガーを食べようとすると顎は激痛、肩や首もいつもカチカチでした。
そのサロンではたぶん顔の筋肉のコリをほぐしてくれたんだと思うんですが、たった一回の施術で口が開くようになり、10年来の悩みから解放されたんです。美容でアプローチしていたサロンで顎関節症なんてどこにも書いてないのに、こんな効果があるんだと大きな衝撃を受けた出来事でした。
フランスでは大学時代と比べ物にならないくらいの勉強を
――それをきっかけに美容の仕事に興味を持つことになったのですか。
当時入社2年目で、これからがんばるぞと気合を入れ直していたところでした。でも会社が民事再生法の適用になってしまって。仕事が激減する中、早期退職者の波に乗って自分も退職することにしました。再就職するにしてもこれといったスキルがないし、日本の専門学校へ行くことも考えましたが、以前から海外に住んでみたかったので、卒業旅行で訪れたフランスへ渡ることにしたんです。
――渡仏を決断したのですね。その後はどんな動きを?
まずは日本の語学学校に半年間通い、その後日本のエージェントでフランスの語学学校の入学手続きをしました。パリから1時間くらいのところにある語学学校で4ヶ月間フランス語を学びました。
たまたま、その語学学校の同期に、卒業後はルーアンにあるエステの専門学校に行くことを決めていた日本の方がいたんですね。その方にいろいろと情報をもらいながら、いくつかエステの専門学校を見学して、結局その方と同じエステティック&コスメティックスクール「Ecole d’Esthétique Internationale Catherine Lorène(キャトリーヌ・ロレーヌ)」に入学することに。
――フランスでエステの専門学校に行く方と知り合えたなんて運命的な出会いですね。専門学校のときのことをお聞かせください。
専門学校では座学と実技があり、実技は分かりやすかったのですが、座学の中の一般教養に手こずりました。フランス人は一般教養が免除になる人が多かったのですが、わたしはフランスの学校を出ていなかったのでフランス史を学ぶことに。日本人はわたしと紹介者だけでそれほど気を遣われることもなく、授業は完全にネイティブ向け。現地の人には簡単な内容らしいんですが、外国人向けに話す語学学校の先生のフランス語とはまったくの別物。スピードが速くて最初は全然分からなかったです(笑)。
――フランス語習得の洗礼を受けたのですね。
はい。骨格や筋肉の部位の名前もフランス語で覚えないといけないので、大学時代とは比べ物にならないくらい勉強しました。授業は朝8時~5時までですが、授業についていくために帰宅後も深夜1時くらいまで復習していました。
週末や少しまとまった休みには語学学校時代のホストファミリーに紹介してもらったCentre de Beauté Carla(サントル・ド・ボーテ・カーラ)でインターンシップも。頭も体も疲れきっているのに、フランスにはお風呂に入る習慣がないんですよね。体が温まらないまま、まだ真っ暗なうちに家を出ないといけない冬の朝の寒さは辛かったですね。
――フランス留学時代はかなりハードだったのですね。
そうですね。でも1年間ネイティブ向けの授業を受けたおかげで耳はめちゃくちゃ鍛えられました。正直、語学学校より上達したと思います。話す練習ができればもっとよかったんですけどね。
――エステ学校卒業後はディプロマがもらえるのですか。
わたしは国際資格のCIDESCO(シデスコ:世界水準の理論・技術を兼ね備えたエステティシャンを育成する国際的な教育機関)を取得しました。通っていたのがCIDESCO認定校で、卒業後に規定の時間数を働いた証明を提出すると取得できるという形でした。
ホテルスパでは無料で学べることが本当にありがたかった
――留学を終えて帰国後は?
2005年~2007年ホテルオークラ東京「リラクゼーションネイチャーコート」に勤務しました。ここでの仕事はすごく楽しかったですね。自分の好きな仕事でお金を稼げるのは本当にいいなと喜びを感じました。
――ホテルスパの手技を覚えるのは大変だったのでは?
まあ大変ではありましたが、それよりも無料で学べることが本当にありがたいなと思いました。まず自分でやりたいことだったので、親にお金を出してもらって卒業できればいいかなと軽い気持ちだった大学時代とは意気込みがまるで違ったんですよね。
それに専門学校では先生1人に対して生徒30人でしたが、サロンに就職したら先輩がマンツーマンでこと細かにチェックしてくれるじゃないですか。それがすごくありがたかったですね。
――ホテルスパ時代に学んだことは?
VIPのお客様も多いので接客の仕方も細かく教えていただきました。教えてもらうというより、指名の多い先輩はどんな接客をしているのか、それを見て学ぶという感じでしたね。
――アンリュミエール開業のきっかけは?
大学でホテルやホスピタリティ産業のマーケティングを勉強していたので、いつか独立したいとは思っていたんです。ホテルスパ時代、たまたま市ヶ谷で不動産会社を経営している方を紹介していただき、物件を探すなら手伝ってあげるよと。
いろいろと物件情報を出してくれたのですが、そこまで本気ではなかったのでしばらくコンタクトをとらずにいたら「こんなに情報を出してあげているのに君は一つも見に行かない。バイトを雇って200件チェックして君に渡せるのはそのうちの1つ。見に行くうちにいい物件が分かるようになるからとにかく見に行きなさい」と叱られてしまって。
――不動産屋さんの熱量すごいですね。
そうなんですよ。この方は私に本気で物件を探してくれているんだと思って、仕事が休みの日に物件を見に行くようになったんです。そうしているうちにやってみようかなという気持ちになってきたんですよね。この物件が出たときは「この条件で借りられるところは他にないから絶対ここがいい」とイチ押しで。ひとりでやろうと思っていたので、ここは3部屋あって広すぎるくらい。最初はマンションの一室でいいかなと思っていたんですが、不動産会社の方に押されるままに物件決定。となればどういう店にするか、人をどうするか、一気に走り出し、独立という形になりました。
後編ではアンリュミエールのコンセプト、メインメニューの顔深筋マッサージについて、セラピストってどんな仕事?など伺います。
撮影/大崎聡
取材・文/永瀬紀子