美容師の仕事は、誰かに必要とされる喜びを僕に教えてくれた 私の履歴書 【ヘアスタイリスト JOYさん】#1
住みやすい環境と交通の利便性などから、東京都心勤務の方々のベットタウンとして注目され続ける、千葉県・流山市の流山おおたかの森。今回お話を伺うJOYさんは、広めの駐車場がうれしい居心地の良いヘアサロン「idea(イデア) 流山おおたかの森」でサロンワークを行うヘアスタイリストです。
当初から美容師を志し、一度は美容師として働いたものの、その道を一直線に歩んで来られたわけではなかったというJOYさん。なんと、業界も業種もまったく違う仕事に就いていた時期があったそうです。
前編では、そんなちょっと変わったキャリアとなった紆余曲折についてお聞きしました。
JOY’S PROFILE
- お名前
- JOY
- 出身地
- 茨城県牛久市
- 年齢
- 31歳(2024年10月時点)
- 出身学校
- 東京文化美容専門学校 ヘアスタイリストコース
- 憧れの人
- 元男子プロテニス選手のロジャー・フェデラー
- プライベートの過ごし方
- お弁当用おかずの作り置き(自分と妻との2人分)、テニスの練習、カメラを持ってお出かけ
- 趣味・ハマっていること
- キャンプ、ダーツ、カメラ、最近再燃したテニス
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 「“見ていて、使っていてテンションが上がる道具選び“をすること。今はどこの製品も品質が高いので、ブランドにはそこまでこだわっていません。定番とはまたひと味違った、個性が光るデザインに惹かれることが多いです」
親の反対を押し切り、憧れだった美容師の道へ
――JOYさんが美容師を目指すこととなった、きっかけや経緯を教えてください。
中学生の頃、通っていたヘアサロンで担当してくれていたお兄さんに憧れたことがきっかけです。
無駄のない動きでサロン内を回りながらスマートに仕事をこなす姿はもちろんですが、話もとてもおもしろくて。毎回、夢中になって話しているうちに施術が終わっていました。
そんなお兄さんと同じ仕事がしたいと思い、美容師を目指すことにしました。
――高校卒業後は、美容の専門学校に?
はい。東京文化美容専門学校の、ヘアスタイリストコースに進学しました。
しかし、当時は両親の反対があって、説得するのに少々骨を折りました。父が堅実な大企業でサラリーマンをしていたこともあり、大学に進学して、父と同じように会社勤めをしてほしかったようです。
充実したカリキュラムももちろんですが、最も学費が安く両親を説得しやすかったというのも、この学校を選んだ決め手になりました。
――ご両親の反対を押し切って、美容師の道を目指されたのですね。美容専門学校での学生時代は、いかがでしたか?
実技は難なく習得できましたが、僕は座学で少し苦労しました。文系だったので、物理や化学といった理系科目がとても苦手だったんです。必死に勉強して、国家試験の受験間際になんとか及第点まで持っていけましたね。
学生時代の僕は一匹狼のような気質があって、友人と群れるようなタイプではなく一人でいることが多かったです。
それでも人が嫌いだったわけではなく、むしろ好きだったんだと思います。学校側が定期的に主催していた体験入学の運営を手伝うボランティアに参加するのが好きでした。体験に来た学生たちにいろいろと教えたり、話したりするのを楽しんでいました。
喜びも苦しみも味わった、美容師としてのファーストキャリア
――専門学校卒業後は、そのまま美容師に?
はい。千葉県に本社を持ち県内を中心に店舗を展開する、比較的大手のサロンへ入社しました。アシスタントからスタイリストになってからも、正社員としては4年ほど勤務していました。
――そちらでのキャリアは、いかがでしたか?
うれしいことや楽しいことも、一方で苦しいことや大変なことも、一通りいろいろと経験できたと思います。
僕はシャンプーやヘッドスパの施術が得意で、特にシャンプーは、時々指名をいただくほど定評がありました。アシスタント時代から僕のシャンプーを気に入ってくださったお客様の中には、「人生に必要」とまで表現してくださる方がいて、スタイリストになってからも施術を担当させていただいていました。
「ここまで人に必要としていただけるなんて」と驚きましたが、同時にとてもうれしかったです。美容師の仕事を選んで良かったと思った出来事でした。
――一方で、大変なこともありましたか?
はい。僕はあまり、先輩からかわいがられないタイプだったみたいで(笑)。もう一人の愛嬌があった同期の人となんとなく差をつけられたりして、上下関係に悩んだ時期もありました。
また、このサロンでは2店舗ほど経験しましたが、2店舗目は席数がとても少ないにもかかわらずお客様がよく入るサロンだったんです。少ない席数でもなるべくお客様をスムーズに回すため、オペレーションのマネジメントに苦労したこともありましたね。
それでもこの仕事が好きだったので、めげずに自分なりに技術を磨き、接客含め経験を積んでいきました。
親の熱意に折れ、某大手鉄道会社へ。しかし美容師は続けたくて…
――美容師としてのキャリアを、着実に重ねられていたんですね。
そのはずでしたが、突然、転機が訪れます。
僕の父は某大手鉄道会社の社員なんですが、「その会社の採用試験を受けてみないか」と強く勧められていたんです。こういったことはそれまでもよくあったので、「一度受けてみて落ちたら、親も諦めがつくだろう」と、とうとう入社試験を受けることにしました。実際、どうせ落ちるだろうなと思っていまたんですが…。試験に合格し、面接まで通過して、まさかの内定をいただいてしまったんです。
――ということは、そのまま美容師から鉄道会社の社員へ転職されたのでしょうか?
いいえ。それでも僕は美容師の仕事も諦めきれなかったんです。
内定の辞退も考えましたが、両親から強く説得されまして…。父が「せめて1年だけでいいからやってみてほしい」と言うので、終いには折れて鉄道会社へ入社することになりました。
しかし、当時勤めていた千葉のサロンに相談して、週に1日、アルバイトでサロンワークをさせてもらえないかと頼み込んだんです。ありがたいことに、了承していただけました。
――と、いうことは、鉄道会社の社員と美容師とのダブルワークですか?
そういうことになりますね。美容師の仕事が好きで、どうしても完全に辞めたくはなかったんです。こうして、平日は鉄道会社に勤務し、週末のうち1日は美容師としてサロンワークに勤しむという生活スタイルが始まりました。
学生時代からの憧れを叶えて美容師になり、その大変さも喜びも経験しながらサロンワークを楽しんでいたJOYさん。しかし、ご両親の強い勧めもあり、ひょんなことから某大手鉄道会社の社員として働くことになってしまいます。そのまま全くの異業種へ転職することになるかと思いきや、JOYさんは会社員生活の傍ら、週1でサロンワークも続ける道を選びました。後編では、会社員生活のお話やダブルワークを通じて見えた自らの願い、そして今後の展望や仕事観についてお伝えします。
撮影/内田 龍
取材・文/勝島春奈