夢を追いかけて進学した途端、目標を喪失…。起死回生の活路とは 私の履歴書 【スポーツ鍼灸師 三村さゆりさん】#1
コンマ1秒、その一瞬にすべてを懸けるアスリートたち。フィジカルパフォーマンスの限界に挑み続ける彼ら・彼女らの心身を支え続けているのが、コーチやトレーナーなどといったサポートメンバーの方々です。
今回お話を伺った三村さゆりさんもその一人。水泳を専門とするフリーランスのケアトレーナーとして活躍中の三村さんは、メディカル面を中心に、鍼灸治療などを通じて選手たちのコンディショニングに携わっています。
鍼灸師の資格を持つスポーツトレーナーは数あれど、“スイマー特化型”となると少し珍しいかもしれません。前編では、三村さんが水泳を専門とする鍼灸師兼トレーナーを目指した理由について、学生時代や鍼灸院での修行時代の思い出なども交えながら語っていただきます。
SAYURI’S PROFILE
- お名前
- 三村さゆり(新姓・市野)
- 出身地
- 東京都足立区
- 出身学校
- 国際メディカル専門学校 鍼灸学科 夜間部 卒業
新潟医療福祉大学 健康科学部 健康スポーツ学科 - 憧れの人
- 広橋ご夫妻(お世話になった整骨院の院長・副院長)
- プライベートの過ごし方
- 「近場ならお散歩や、遠出なら温泉巡りに国内外旅行など、体と心を休めることを心がけています」
- 趣味・ハマっていること
- 旅行、アニメ観賞
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 「試合会場などの現場に持ち込む出張用のトレーナーベッドがありますが、私は一般的に持ち運びしやすい細身のものより一回り大きいものを使っています。ベッドのサイズが小さいことで、選手が横になった時の手腕や肩、胸周りが窮屈になって施術に制限が出てしまうことがあるからです。担当させていただく選手たちがいつでも最高のパフォーマンスを出せるよう、私も施術のクオリティを最優先にしています」
最初に目指したのは鍼灸師ではなく、水泳のコーチでした

多くのアスリートたちが信頼を寄せるスポーツ鍼灸師・三村さんのルーツに迫る
――早速ですが、三村さんがスポーツ専門、ひいてはスイマー専門の鍼灸師やトレーナーを、志したきっかけや経緯を教えてください。
私、本来は水泳のコーチになりたかったんですよ。最初からスポーツトレーナーや鍼灸師を目指していたわけではなかったんです。水泳自体が好きだったこと、スイミングスクールなどで泳ぎを教えたりもしたことがあった時に、人に何かを教えるのも好きだと感じていたことが理由ですね。
――当初は、コーチを目指していたんですね!
子どもの頃は、自分もプレイヤーとして泳いでいました。しかし中学3年生の頃に肩を壊してしまい、長らく泳げなくなってしまって…。その際に、選手たちをサポートする側の楽しさややりがいを実感したのもきっかけの1つです。
――スポーツには、怪我もつきものですよね…。
実は、怪我とはまたちょっと違うんです。私が経験した肩の痛みは「スポーツ障害」と言って、身体の痛みの原因がスポーツ活動にある、という考え方に由来する身体的不調でした。しかし、当時の医療現場にはまだこのような考え方が浸透していなかったため、一般的な整形外科などへ行っても痛みの原因がわからないと言われ続けてしまい…。結果、痛みが慢性化してリハビリもうまくいかず、治るのにかなり時間がかかってしまいました。
実際に水泳選手たちの中には、明確な名前がある負傷をしたわけではなくとも肩をはじめとした身体の痛みを訴える人も多いんです。そういった選手たちの悩みを解決できるトレーナーもいいな、という考えも当時の自分にはあって、コーチとの二択で進路先を迷ったこともありました。
――スポーツ全般ではなく専門を水泳に絞ったのは、やはりご自身の経験があってのことですか?
もちろんそれもありますが、水泳自体に惹かれている部分があると思います。水中ってある意味特殊な、非日常な環境じゃないですか。感覚的な話になってしまうけれど、水中にいる心地よさやプールサイドの雰囲気って、そこにしかない特別な環境って感じがして、どうしようもなく好きなんですよね。だから水泳の、できれば競技の現場に携わる仕事がしたかったんです。
夢を追いかけ東京から新潟へ。しかし、いきなりまさかの挫折…

夢を追いかけ、東京から新潟の大学へ進学した三村さん。そんな彼女は、進学先でまさかの事態を経験することに…?!
――進路先について迷った時期があったということですが…?
初志貫徹して、当時の私はコーチを選択しました。私の出身は東京ですが、新潟の大学に憧れていた水泳のコーチがいたこともあり、その先生を追いかけて新潟へ行き、目的の大学に進学したんです。
――行動力がありますね! では、その憧れのコーチの下で、水泳のコーチになるための勉強を?
進学先で、その憧れのコーチにはお会いすることはできました。しかし、その先生に「女性で、水泳のコーチを目指すのはおすすめできない」と、反対されてしまったんです…!
――ええ?! なぜですか?
体力的にも精神的にも、きつい仕事だからとお話しいただきました。スイミングコーチはそもそもの拘束時間が長く、立っている時間や水中にいる時間も長いため体も冷えやすい。さらに競技コーチとなると、担当するアスリートのことを四六時中考えるため心も休まらないから、女性がなるには難しいと。今考えるとやや前時代的かもしれませんが、当時の時代背景的なものもあったと思います。
その先生を追いかけて新潟までやってきたのに、いきなり将来の目標を失ってしまったわけです。まるで、路頭に迷ってしまったかのような気持ちでした。
――まさかの展開ですね…。その後、どうされましたか?
将来について思い悩む日々がしばらく続きました。周囲の人たちに相談したり、いろいろアドバイスもいただいたりしましたが、なかなかこれといった道が見出せなくて…。
夏くらいだったかな、やっと光明が見えたのは。
――詳しく聞かせてください!
当時、私は大学内の水泳部にマネジャーとして所属していました。そこで出会った水泳部のアドバイザーの方に将来のことを相談した時、「トレーナーとして、鍼灸などを通じたメディカルの面からアスリートたちをサポートする道はどうか?」とお話しいただいたんです。
以前に自身が経験したスポーツ障害を通じてトレーナーの道も考えたこともあったことから、それもいいかもしれないと思えて。思い切って、メディカル面で選手たちを支えるスポーツトレーナーへと、方針転換することにしました。
――ここでスポーツトレーナーに行き着くのですね! 方針転換するにあたり、具体的にどのように動きましたか?
在籍していた大学に、提携しているメディカル分野の専門学校があったんです。そちらにある鍼灸学科の夜間部を選択し、大学2年生から4年生までの3年間通うことにしました。いわゆるWスクールです。
いざ始まってみたらカリキュラムのスケジュールがかなりタイトで、常に時間が足りないと感じていました。水泳部のマネジャーとしての活動も、できる時にサポートさせてもらう形に変えてもらうなどして、何とか時間を作る日々。今振り返っても、めちゃくちゃ勉強した時期でしたね。
アスリートを支える力をつけるため、修行先の鍼灸院で腕を磨く日々

夢を追いかけ、東京から新潟の大学へ進学した三村さん。そんな彼女は、進学先でまさかの事態を経験することに…?!
――大学と専門学校とのWスクールを、無事ご卒業された後は?
東京に戻り、水泳をはじめ様々な競技のアスリートたちからの信頼が厚い整骨院に就職しました。
そこの副院長は、トレーナーとして五輪への帯同実績などもお持ちの方でした。単に不調を回復させるだけではない「パフォーマンスを向上させる技術」を学びたかったんです。
フリーランスとなった今でも、鍼灸やマッサージ技術の基礎はここで学んだことがベースになっています。
26歳までの4年間、その技術をみっちり学ばせていただきました。その後、実は独立しようとしたのですが…。
――何かあったのですか?
信頼できる恩師や仲間から、独立を猛反対されてしまったんです。自分の中では独立にあたっての準備ができているつもりだったので、私としてもかなり驚きましたね。あまりにも反対されたので「自覚していない、自分に欠けている何か」がまだあるのではないかと思い、独立は一旦諦め、さらなる修行を積むため転職することにしました。
その後は都内の接骨院や鍼灸マッサージ院に転職し、合わせて3年ほど経験を積みました。いずれもさらなる施術力や技術力の向上を望める環境で、且つ保険業務を含むバックヤードの業務、マネジメントや人材育成についても学ぶことができたので、転職に切り替えてよかったと思っています。
――様々な医院でスキルアップに注力される中でされた、自分ならではの取り組みなどはありますか?
基礎となる鍼の技術を徹底的に磨くことです。アスリートに対するパフォーマンス向上のための施術はいわば応用の分野で、一般の方々の治療をまずきちんとこなせることが基本となります。アスリートの身体って、そもそもが健康なんです。健康にも関わらず、スポーツに由来する痛みや障害を抱えているのがアスリートたちなわけで。
特に重視したのは、鍼治療時における所作。これは、施術時の痛みにつながるからです。道具で痛みを軽減することはできますが、それに頼らず、そもそもの技術力で痛みをなくしたかった。痛みは患者様にとってシンプルにストレスになるため、身体の反応も変わってしまうんですよ。
――ストイックですね!
そんなことないですよ(笑)。まだ初めての修行先の整骨院にいた頃のことですが、自分の中で戒めになるような出来事があったんです。
まだ見習いだった時期、新人の育成にご理解のある患者様を任せていただいたことがありました。時間は大体60分くらいでしたが、その患者様がお持ちの頑固なコリに対して、当時の私のスキルでは全く歯が立たなかったんです。
どうアプローチしてもほぐれてくれない。貴重なお時間とお身体を預けていただいておきながら、何もできなかった申し訳なさと無力感で、悔しくて仕方がなかったことを今でも覚えています。あんな思いは、もう二度と味わいたくないですね。

東京・北参道にある、三村さんの鍼灸サロン。こちらを拠点にしつつ、担当している選手たちの合宿や試合などにも帯同する、フレキシブルな働き方をしている
水泳のコーチを志すも、進学先でその夢を喪失するというまさかの展開に陥った三村さん。そこでめげることなく再度将来を見据え、スポーツトレーナー兼鍼灸師を目指すことになります。水泳が好きという一途な気持ちをモチベーションにWスクールをこなし、就職先でも技術の習得に勤しむ様子をお話しいただいた、前編。後編では、独立にあたっての話を中心に、スポーツ鍼灸師や三村さんの仕事観についてお伝えします。
撮影/内田 龍
取材・文/勝島春奈