分院長だった院を引き継ぎ開業へ 川口元郷名倉堂接骨院 院長 森永悠介さん#1
空手部のケガでお世話になった接骨院の先生に誘われ、柔道整復師の道へ進んだ川口元郷名倉堂接骨院 森永悠介さん。森永さんは、高校卒業と同時に接骨院で働きながら専門学校に通うハードな生活を送ります。覚えることが山積みで時間に追われる生活でしたが、目的が同じだった専門学校の仲間との絆は深まり、見事国家試験に一発合格。その後10年間修行を積み、師匠に見守られながら開業にこぎつけます。
YUSUKE’S PROFILE
お名前 |
森永悠介 |
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出身地 |
東京 |
出身学校 |
両国柔整鍼灸専門学校(2022年スポーツ健康医療専門学校に改名) |
憧れの人 |
師匠である川口名倉堂 小見山佳典氏 育ててくれたことへの感謝しかありません。第二の父親だと思っています。 |
プライベートの過ごし方 |
妻と一緒に喫茶店で過ごしたり、愛犬と自然の中で遊んだり。息子との格闘技観戦も楽しみのひとつです。 |
仕事道具へのこだわりがあれば |
仕事道具はわたし自身。治療はもちろんすべてのパフォーマンスの質が落ちてしまわないように、心身のコンディションを整えることを心がけています。ストレスが多い状態だと口調が強くなったり、接し方も雑になるのでまずは自分を満たすことが大事。 |
空手部でのケガをきっかけに柔道整復師の道へ

――まずは柔道整復師を目指すきっかけを教えてください。
高校で空手部だったんですが、1年生のときに足を骨折して近所の接骨院に行ったのがきっかけです。引退するまでにいろいろなケガを繰り返し、そのたびに部活帰りに接骨院に寄って包帯を巻き直してもらううちに先生とだんだん距離が近くなっていきました。
高2の進路選択のときに、自分は警察官になるんだと決めていたんですが、接骨院の院長先生に「この仕事向いてそうだからやってみるか」と声をかけていただいたんです。どうすればなれるのか、どんな仕事内容なのかを聞くうちにだんだん興味がわいてきてやってみることにしました。
――先生から声をかけてもらったんですね。高校卒業後はどんな進路に?
まわりはまだ春休みでしたが、すぐに接骨院で働き始め、同時に専門学校にも通いました。朝8時半~11時半まで接骨院で働き、13時~16時まで専門学校。その足でまた接骨院に戻って20時まで勤務。帰宅は21時を過ぎることが多かったですね。
――接骨院ではまずどんなことから始めるのですか。
とりあえず白衣を着てまずは掃除や雑用からスタートします。当時はまだ湿布を手作りしていたので、和紙に石膏を挟んで湿布を作ったり、包帯を巻く練習をしながら、ちょっとずつ患者さんに触れる機会をつくっていただきました。
――仕事と専門学校で結構ハードな生活でしたよね。当時まだ19才で遊びたいとか心折れたりしなかったですか(笑)
休みは日曜と盆と正月だけだったので、大学に行った友達とはなかなか都合が合わないんですよ。飲みに行こうぜとちょいちょい誘われるんですが、断ることが多かったことを覚えています。でも専門学校でできた仲間は、目的が同じなので結びつきがかなり深くなって一緒にいるのが楽しかったです。
――専門学校での学びはいかがでしたか。
専門的なことしか学ばないので最初はちょっと戸惑うこともありましたが、2年生、3年生と進んでいくうちに、現場でやっていることと専門学校で教わることがだんだんリンクしてくるんですよね。あーそういうことだったのかと、点と点が結びつく感覚がすごく楽しかったです。
業務の幅が広がった分院長時代

――専門学校卒業後はどうされたのですか。
同じ接骨院で10年間働きました。
――10年間で一番大変だったことは?
僕の師匠は、「自分の元で働くからには、ゆくゆくは腕一本で生活できるように」と育ててくれる方でした。その準備という意味合いもあり、分院長を経験させてもらったのですが、仕事の幅がかなり広がって、そのときが大変でしたね。
治療だけでなく保険業務なども全部自分でやるので、そのへんの判断が難しかったです。でも仲間の話では、保険業務に関しては一切スタッフには触らせない院長先生が多かったみたいで、現場で治療しながら学べるのはすごい貴重だよなと言われました。
――独立するなら全部分かっていたほうがいいですもんね。集客については言われなかったのでしょうか。
規制緩和で専門学校が一気に増え、それに比例して接骨院の数も増え始めた時期ではありますが、当時はまだ集客とかっていうことを言われる業界ではなかったのかもしれないですね。
分院長だった院を引き継ぎ、開業へ

――開業のきっかけは何かあったのでしょうか。
当時28才。2人目の子どもがお腹にいた時期なんですが、10年やったら独立しようと決めていたので院長に直談判しました。
――院長先生はなんと?
以前から院長は「準備はしてやるから自分が開業したいところでやってみろ。それで数年したら買い取るなり何なりしていいよ」と言ってくれていたんです。当時分院長をしていた院は兄弟子や弟弟子が引き継ぐ予定だったんですが、いろいろありまして、分院長をやっていた場所を僕が買い取らせてもらうことになりました。
――すごく面倒見のいい師匠ですね。同じ場所とはいえ、開業してそれまでと違ったこともあったのでは?
そうですね。実際に独立してみて、分院長時代は甘えていたんだなということを思い知らされました。雇われ気分だったというか…。
――そんなに違うものなのですね。困ったことがあると院長先生に相談されてきたのですか。
院長に聞いた方がいいなと思う内容に関しては、電話で聞いたりしていました。でも自分がこの先10年、20年、院長よりも長く続けていくことを考えたときに、それまでのやり方では時代に合わなくなることもあると肌で感じていたので、まったく別のことをやろうという思いがありました。それまでの接骨院は健康保険の範囲内で治療するのが一般的でしたが、僕は自費診療にウェイトをおこうと考えたんです。
後編では、川口元郷名倉堂のコンセプトや自費診療の内容についてお聞きします。
撮影/佐藤克己
取材・文/永瀬紀子
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川口元郷名倉堂接骨院
住所:埼玉県川口市元郷1-23-2
TEL:048-226-6688