壁にぶつかったときは、いつも誰かが引っ張り上げてくれた【美容師 「ulu.」大久保伸哉さん】♯1

2023年6月、神奈川県の大倉山駅の駅前に夫婦で「ulu.」をオープンさせた大久保伸哉さん。2024年には法人化も果たし、確かな技術力でお客様に愛されるサロンとして成長しています。

前編では大久保さんが独立するまでにどのような経験を積んだのかを伺います。新卒で入社したのは、横浜近隣に20店舗ほどを展開する美容室。アシスタントからスタイリストデビューをするまでには、グラデーションボブの技術試験になかなか合格できずに、9ヶ月ほど停滞することになったそうです。

しかし、大好きだった先輩が一緒に練習してくれる時間が何より楽しく、まったく苦にはならなかったといいます。これまでの美容師人生を「何か壁にぶつかったときは、いつも誰かが引っ張り上げてくれました」と振り返ります。

お話を伺ったのは…
大久保伸哉さん

宮城理容美容専門学校(現在は廃校)を卒業後、横浜や川崎に店舗を展開する「シーループユナイテッド」に入社。当初はFC店での勤務だったが、26歳のときにベーシックカットの教育技術をかわれ、直営店へ移動。その後、複数店の店長を経て2023年6月に独立。美容師の妻とともに「ulu.」を開業。2024年には法人化を果たすなど、順調に業績を伸ばしている。

インスタグラム

Ookubo’S PROFILE

お名前

大久保伸哉

出身地

宮城県

出身学校

宮城理容美容専門学校(現在は廃校)

プライベートの過ごし方

家族旅行、ゴルフ、フットサル

趣味・ハマっていること

ゴルフ

仕事道具へのこだわりがあれば

ハサミは変形シザーを使って、スタイルや質感によって複数のシザーを使い分ける

 きっかけは初めての美容室。中学2年生で感じた美容への興味

ご夫婦で美容室「ulu.」を経営している大久保さん。美容師になろうと思ったきっかけは中学生のときの体験が大きかったという

――美容師になろうと思ったきっかけを教えてください。

中学2年生のときに初めて美容室に髪を切りに行き、とても格好いい女性美容師の方に担当してもらった経験が大きかったと思います。それまでは近所の理容室でおばあさんに近いくらいの高齢の女性に切ってもらっていたんですね。こんな髪型にしてくださいと写真を持っていっても、毎回同じ髪型になってしまうという(笑)。

ところが初めて行った美容室では、髪型も大きく変化しましたし、何より気持ちがウキウキしたのを覚えています。それ以来、姉が市販のカラー剤で髪の毛を染めるのを手伝ったり、自分の眉毛をいじってみたり、美容に対しての興味も強くなっていきました。

実家が宮城県の農家で、田舎暮らしをしていたので、ちょっと変わった職業についてみたいという気持ちもあり、美容師を目指すことにしました。

合格できなくても楽しい。技術習得の面白さを教えてくれた先輩の存在

技術力を磨くことは大変なことではなく、むしろ楽しいことだということを、前職時代の先輩に教わったという

――美容専門学校を経て就職したあと、スタイリストデビューまでは順調でしたか?

デビューするまでに3年ほどかかったと思います。2年くらいでデビューする人が多いサロンだったので、そんなに早い方ではなかったです。

ウィッグを使ったカットのテスト項目が6種ほどあったのですが、とくに苦戦したのがグラデーションボブというスタイルでした。1ヶ月に1回テストを受けられる仕組みでしたが、なかなか合格することができず9回ほどテストに落ちたと思います。つまり9ヶ月間ほど、カリキュラムが進められず止まってしまっていたんです。

――それは大変でしたね。

ところが僕はあまり大変だと思っていなくて、むしろ技術の習得をしていくのが楽しいという感覚しかなかったです

――合格できないのに楽しい…。なぜそのように思えたのでしょうか。

一番大きかったのが当時の副店長だった先輩の存在です。当時の時代性もあったと思いますが、その先輩が「朝までカットしよう!」というようなノリで練習に誘ってくれたんです。

朝までカット練習をするのはさすがに次の日が休みの日だけでしたが、営業時間後にまずふたりでご飯を食べに行って、そのあとお店に戻って朝の4時ぐらいまでひたすら先輩と切り続ける。そこから飲みに行って、家に帰って寝るというのがいつものパターンでした。

この先輩が、真面目に厳しく練習をするというより、一緒に楽しく練習をする感覚を教えてくれたんです。またとても尊敬している先輩だったというのも大きかったと思いますね。苦手な先輩だったら、ちょっと嫌だったかもしれない(笑)。

ベーシックのカット技術の習得にはとても厳しいお店でしたが、比較的楽しく技術を学ぶことができたことには本当に感謝しています

スタッフ教育の難しさは、一緒に技術習得の時間を作ることで乗り越える

前職時代は、人材育成の難しさを感じることが多かったと振り返る大久保さん

――前職で壁だと感じたことや苦労をしたことはありしたか?

店長になってから、スタッフ教育の難しさをとくに感じました。私は27歳のときに、当時勤めていたFC店から直営店に移り、副店長、店長、ベーシックカットの技術を教える「ベーシック統括」などさまざまな経験を積ませてもらいました。

もともと私は美容師になったときから、30歳で宮城に帰って仙台にお店を出そうと考えていました。それまでに店長の経験を積みたいと思っていたのですが、当時はポジションが空かずになかなか店長職に就くことができなかったんです。そこで少し早いけれど、宮城に帰って独立しようと退職の意向を伝えたところ、社長が「絶対にこっちで店長職まで経験してから、独立したほうがいい。箔がつくから」と、当時は異例だったFC店から直営店に異動をさせてくださったんです

――そこまで考えてくださる会社なのはありがたいですね。スタッフ教育の難しさは、どんな点から感じられていたのですか?

これまでに所属していた店舗ではなく、別のお店で店長となったので、技術の感覚にもちょっとした違いがあって、その状態で教えていくことがまずは難しかったです。

あとは、スタッフがどんなことを考えながら働いているかという思いはそれぞれ異なると思うのですが、個人の思いに寄り添うことと、お店として大切にしないといけない部分のすり合わせをする難しさも感じていました。

――どのようにして乗り越えたのですか?

とにかくコミュニケーションを取ることが大切だと考え、スタッフ1人ひとりとの時間をなるべく取るようにしました。当時は夜遅くまで働くことが多かったのですが、そんなときでもスタッフとの時間を取るにはどうしたらいいか考えた結果、スタッフと一緒に技術の練習をする方法を思いついたんです。そうすればスタッフの技術力も向上しますし、スタッフとのコミュニケーションもスムーズになるのではないかと考えました。

たとえばその日の営業時間中に、スタッフが技術的に改善できるポイントを発見したら、営業時間終了後そのスタッフに、「ここを直して」と伝えるのではなくて、「じゃあ今、一緒にやってみよう」と伝えて一緒に練習するようにするんです。

――なるほど。

何か問題が起きると人間関係を修復するのは時間がかかりますから、その前に信頼関係を作ることを心掛けていました。細かくコミュニケーションがとれますし、スタッフの技術力も上がり、一石二鳥だったと思います。忙しいときでも、1分でもいいからスタッフとの時間を作ることを意識していましたね。


後編では大久保さんの独立後について伺います。大久保さんが夫婦で立ち上げたサロン、「ulu.」は関わった人すべてを豊かにしたいというコンセプトを掲げており、お客様やスタッフはもちろん、近隣のお店、業者の方など人とのつながりを大切にしています。

独立をしたことでお客様との関係性がより濃くなり、これまで以上に周囲の人への感謝が生まれたと大久保さんはいいます。

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