美容師への一途な思いと共に歩んだ、青春時代と下積み時代 私の履歴書 【美容師 フクシマリョウタさん】#1
ファッションやアートなど、文化の発信地の1つ、東京・原宿。この街の一角にある「CODE +LIM(コード プラスリム)」は、斬新かつフレッシュな感性で美容感度の高い人たちを魅了し続けるヘアサロンです。
今回ご登場いただくのは、流行の最先端を駆け抜ける街で腕をふるう美容師・フクシマリョウタさん。4年間のアシスタント期間を経て、2021年春にスタイリストデビュー。スタイリストとしても今年で5年目を迎え、トレードマークのカーリーヘアと親しみやすいキャラクターで、老若男女問わず多くのお客様たちに愛されています。また、最近結婚して娘が生まれ、新米パパになったばかりでもあるとか。
前編では、そんなフクシマさんが青春時代から一途に美容師の夢を追いかけ続け、LIMに出会い、一人前の美容師となるまでのストーリーをお話しいただきます。
RYOTA’S PROFILE
お名前 |
フクシマリョウタ |
|---|---|
出身地 |
福島県福島市 |
年齢 |
28歳(2025年4月現在) |
出身学校 |
仙台ビューティーアート専門学校 美容科 ヘアスタイリストコース |
憧れの人 |
「故人ですが、自分の祖母です。スナックのママをやっていて、その接客術を尊敬していました。コミュニケーションの取り方をはじめ、お客様の一歩先を行く言動は今でも学ぶべきところが多いです」 |
プライベートの過ごし方 |
生まれたばかりの娘と一緒に遊ぶこと |
趣味・ハマっていること |
「動画のアテレコです! というのも、最近Vlog(ブイログ)用のカメラを購入しまして、主にInstagramのリール動画投稿用のコンテンツを作っています。どんどん精度が上がっていくのが楽しいです」 |
仕事道具へのこだわり |
「より繊細な仕上がりを追求するため、デザインするヘアスタイルやお客様の髪質などによって、4つのコームを使い分けています」 |
自分の「好き」を考えた中2の僕が導き出した答えは「美容師」
――早速ですが、フクシマさんが美容師を目指したきっかけや経緯を聞かせてください!
僕が美容師を志すことを明確に考え出したのは、中学2年生の時です。
実はその前の、小学校6年生くらいの頃にはウエディングプランナーになりたかったんですよ。昔から人と話すことが好きで、積極的に関わっていくタイプだったのもあったと思います。
しかし、こちらは女性が主役の職業という印象が強いということを子どもながらに知っていく中で「なんか違うかも」と思い、考え直していました。
――人と話したり関わったりすることが好きだと自覚したのは、何かきっかけがあったのですか?
幼少期から、いわゆる「女子トーク」みたいな場に触れる機会が多くて、それを面白いと思っていたからかな。
というのも、母が女性比率多めの5人兄妹で、当時は父が単身赴任でほとんど家にいなかったこともあり、週末は親戚や祖母の家に行く機会が多かったんです。
その先で、母と祖母、伯母・叔母たちと繰り広げられる女性同士特有の会話を、僕は楽しんで聞いたり、時に参加したりしていました。僕が人と話すことが好きになったのは、このような背景があったと思います。
――家庭環境が影響していたのですね。
そうですね。また、僕は小学校から高校まで野球一筋でヘアスタイルは基本的に丸坊主でしたが、その分眉のお手入れなど、身なりを整えることも好きだったんです。
「人と話すことが好き」と「身なりを整えることが好き」というどちらの好きも叶えられる職業とは? と考えた時に、中学2年生の僕が出した答えが「美容師」でした。
――そういうロジックだったのですね! 高校まで野球部とのことでしたが、髪型を自由にできない環境で、モチベーションを保ち続けたのはすごいですね。
そうですね。美容師という将来の夢への気持ちが冷めなかった明確な理由と聞かれると難しいですが、これはもう自分の性格かな。こう! と一度決めたらブレたくないタイプなんです、きっと。
――根が一途なのですね。高校卒業後は、美容師になるための専門学校へ?
はい。「仙台ビューティーアート専門学校」の美容科へ進学し、ヘアスタイリストコースを選択しました。当時はまだ東京へ出ることに興味がなかったので、地元か学校のある仙台のヘアサロンに就職するものだと漠然と考えていましたね。
――学生時代は、いかがでしたか?
とても楽しかったです! 青春していました(笑)。あ、基本的な技術や知識の習得には真面目に取り組み、きちんと国家試験にも合格して美容師免許も取得しましたよ!
また、僕がファッションに強い関心を持ち始めたのもこの頃からです。仙台に、同じ専門学校の友人たちと一緒によく遊びに行っていた古着屋さんがありまして。そちらに通い詰めるうちに、どんどん好きになっていきました。
専門学校卒業後は、上京して東京のヘアサロンに就職しました。慣れ親しんだ地元や仙台を離れて東京へ行くことにも抵抗がなくなっていたのは、ファッションへの興味が高まっていたのも理由の1つだったかもしれません。

家族の移住先・イギリスへの憧れが、LIMとの出会いに繋がった
――卒業後は東京のヘアサロンへ、とのことですが、就職活動の様子はいかがでしたか?
実は、当初は海外のヘアサロンに就職しようと考えていたんです。
――海外ですか?! 何か理由が?
僕が18歳の頃に家族がイギリスのスコットランドへ移住して、長期休みの際は僕もそちらで過ごすことが多くなったのがきっかけです。イギリスで過ごす中で「いつか海外で活躍したいな」「自分もここに住みたいな」と思うようになっていきました。
――ご家族の海外移住が背景にあったのですね。
そこで海外で美容師をやろうと考え、現地の日本人美容師に弟子入りしようとSNSなどを活用してコンタクトを取っていたのですが、こちらは断られてしまいまして…。
その後は、外資系のヘアサロンや海外に店舗を展開しているヘアサロンを中心に就職先を探していました。そんな時に、学校から現在の職場であるLIMを教えてもらったんです。
――数あるヘアサロンの中で、LIMに決められた理由は?
今は無くなってしまったのですが、当時はロンドンにも支店があったことです。これを知り「いつかロンドンに行ける可能性があるかもしれない」と思い、ここへの入社を決めました。
LIMの店舗展開は日本が中心ですが、今でも海外に支店を持っていて、実はグローバルにも事業展開している会社なんですよ。
アイデンティティを模索しつつ、着実に力をつけていったアシスタント時代
――専門学校卒業後、LIMに入社されてからのキャリアを教えてください。
上京して、まずはアシスタントからスタートです。東京都内にあるLIMの店舗をいくつか巡りながらアシスタントとしてのサロンワークに勤しんだり、同期たちとの新人研修をこなしたりする日々でした。
――アシスタント時代に大変だったことなどはありましたか?
ブリーチ技術の習得ですね。アシスタント時代、青山にある「Dot +LIM(ドット プラスリム)」から原宿のCODE +LIMに移った時期がありました。
Dot +LIMのお客様は年齢層が高めだったこともあり、ブリーチのオーダー自体が少なく技術的な経験を積む機会が少なかったんです。その後、原宿のCode+LIMに移ったら若年層のお客様が多く、ブリーチありきのオーダーばかり! 体感ですが8割前後はブリーチ希望だったんじゃないかな。
ということで、オーダーに対して自分のブリーチ技術が全然追いついてなかったんです。しかしそんなことはお客様には関係なく、僕もそのサロンに勤務するプロフェッショナルの一員なわけで。毎日、毎回、毎お客様不安といった状態でした。
――どうやって乗り越えましたか?
もう、とにかく練習あるのみでしたね。オンジョブで経験値を上げながら、先輩が作ってくださった特別カリキュラムをこなしたり、自分でモデルハントして練習しまくったり。ブリーチは個々人の髪質や施術の履歴でも反応が左右されるので、人で経験を積むことが何よりも重要でした。
――技術面以外で、アシスタント時代に印象的だったことはありますか?
アシスタント時代にやって良かったなと思ったのは「アシスタントヘアショー」です。渋谷にある大型ライブスペースを貸し切り、アシスタントだけが出演するヘアショーがありました。僕がアシスタント3年目の時に発足したイベントで、初回と2回目に出場しています。
――面白そうですね! 詳しく聞かせてください。
ざっくりいうと、アシスタントとモデルが1対1で作品作りをするといったものです。イベント当日、舞台上でカットからスタイリングまでをして、衣装を着たモデルさんたちを通じて、表現したい世界観をヘアスタイル含めた作品に落とし込んでお披露目するといったような。
コンテストではないので順位などはつきませんでしたが、作品の制作に加えて舞台上での演出面なども自分たちに裁量権があるイベントだったので、大変だったこともたくさんありました。
――どんな苦労があったのですか?
制作面ではモデルさん選びや仕込みのスケジュール調整、さらには表現したい世界観やオリジナリティを追求するため衣装も手作りしたことかな。普段のサロンワークと並行してこなしていたこともあり、時間がいくらあっても足りませんでした。また、演出面では同期と衝突したこともありました。
準備期間はトータルで3カ月くらいでしたが、ラストの1カ月は追い込みで泊まりや徹夜もしょっちゅうでしたね。
当日は300人ほど観客がいましたが、あれだけの大人数の前でヘアショーをやるという経験は貴重だったと思います。緊張感のあるイベントを経験したことで自分自身の肝が据わりましたし、事前準備の大切さを痛感しました。

――4年間にわたるアシスタント期間の中で、スタイリストとなるためにした自分なりの努力や工夫などはありますか?
現在の僕のトレードマークでもある、パーマのスキルアップですね。
青山のDot +LIMから原宿のCODE +LIMに店を移った時に、内心焦ったんです。ファッションの街である原宿らしくスタッフそれぞれキャラが立っていて、「このままだと埋もれちゃう!」と感じました。
自分自身もキャッチーな存在になりたい。そのためにはどうしようかと考えた当時の僕が出した答えが「アフロ」でした。僕は親しみやすいキャラクターを売りにしていたので、アフロとの相性もバッチリなのでは、と思いました。
ということで、まずは自分自身がパーマヘアだったんです。
――カーリーなパーマヘアの由来は、そこからだったのですね!
実際にやってみたら、お手入れも楽でスタイリングも決まりやすい上に、割と何を着てもおしゃれに見えるようになった気がして、パーマヘアの良さを実感しました。これをお客様にも伝えたいと思ったのが、パーマの技術を磨いたきっかけです。
また、アシスタント時代にはパーマが得意なスタイリストさんについていたこと、当時のヘアスタイルにおけるトレンドの1つだったことなども追い風でした。
その後、お客様からの需要もあってパーマ戻しの技術も磨くうちに、カールだけでなくストレートのパーマも得意になっていきました。
美容に関心を持ち、人と関わることが好きな福島の野球少年が目指した職業は美容師でした。その夢を叶え、ヘアサロン激戦区である東京のLIMへ就職。様々な経験や苦労を伴いながらも4年間にわたるアシスタント時代を乗り切り、2021年春、一人前のスタイリストとしてデビューします。後編では、スタイリストとなってからのその後のキャリアや、ライフステージの変化に伴う仕事への影響などについて、フクシマさんの仕事観を交えながらお伝えします。
撮影/野口岳彦
取材・文/勝島春奈
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