ネイルは人生そのもの。働き方を柔軟に変えて逆境を乗り越えてきた【ネイリスト・山内亜巳さん】#1
サロン勤務から独立後、自宅サロン、サロン経営、講師業と、妊娠・出産などのライフステージに合わせて柔軟に働き方を変えてきたネイリストの山内亜巳さん。現在は愛知県にて「nailsalon&school Bloom.s」を経営。さまざまな困難やキャリアへの悩みに直面しながらもネイリストとしての道をあきらめず、活躍を続けています。
前編では山内さんがどのようにして働き方を変えてきたのか、具体的にお伺いします。ときにはネイルアレルギーになりながらもその困難をバネにネイルケアや講師といった仕事の幅を広げてきた山内さん。その熱意の源はネイリストという仕事への愛でした。
今回、お話を伺ったのは…
ネイリスト、美容サロンビジネス講師 山内亜巳さん

愛知県豊田市出身。ネイリストとして複数のサロンでの勤務を経て2010年に独立。自宅にてプライベートネイルサロンをオープンする。その後は店舗を構えオーナーとして経営を行ったり、ビジネス講師としてサロンの経営者にアドバイスを行ったりとネイルに関するさまざまな働き方を経験。現在は愛知県にて3人の子どもを育てながらサロンを経営し、講師としても活躍をしている。
Ami’s PROFILE
お名前 |
山内亜巳 |
|---|---|
出身地 |
愛知県豊田市 |
出身校 |
ピュアネイルガレッジ |
プライベートの過ごし方 |
三兄弟の習い事、スポーツの送り迎え |
趣味 |
音楽、アロマ |
ハマっていること |
大河ドラマ、歴史 |
憧れの人 |
10年後の自分 |
インスタグラム:@___.ami.y___
3人の子どもの妊娠、出産に合わせて働き方を変える
――ネイリストになろうと思ったきっかけを教えてください。
幼い頃から人形の靴やシルバニアファミリーといった小さくて細工されたものが大好きでした。高校生のときにそんな細かなパーツで作られたネイルが掲載されている雑誌を初めて見て、衝撃を受けたのがきっかけです。世界観に惚れ込んで、穴が開くほど見ていたのを覚えています。
そのときから美容業界に憧れがあり、エステティシャンなどの選択肢もあったのですが、家庭の事情で専門学校へ行くという選択肢がありませんでした。そのため高校卒業と同時に働きながらネイルスクールに通い、現在もネイリストとして働いています。
――憧れの美容業界に入っていかがでしたか?
実は最初はやる気がなくて、ネイルスクールの先生にいつも怒られていました。やる気に火がついたのは、ネイル検定の1級を取得したとき。私は中学、高校、そしてスクールでもずっと課題をこなすだけで、劣等生の自覚があったのですが、検定に受かった際にようやく私も何者かになれたという自信がついたんです。そこからはネイルがより楽しくなり、今ではかけがえのない仕事になりました。
――そこからネイリストとしてのキャリアが始まったんですね。
はい。18歳から働き始めて、23歳まではサロンに勤務していました。独立してからは自宅サロン、テナント、マンションでのプライベートサロン、講師業と働き方を変えてきました。
――独立後の働き方について詳しく教えてください。
長男の妊娠を期に、勤めていたサロンを辞めて独立。自宅の一室をプライベートサロンにして働いていました。長男が1歳になった頃に子育てと両立するため、テナントを借りてスタッフと分担しながらサロンワークを開始。2、3年経った頃に次男の妊娠がわかり、私の育休などの関係でテナントからマンションの一室に移行します。三男を妊娠するまでの約2年間経営をしていたのですが、妊娠を機に一度仕事を休むことにしました。
その後、講師業やネイルケアをはじめ、状況が落ち着いた頃にまた自宅でのサロンワークを開始。講師業が忙しくなったこともあり、2023年には自宅サロンからテナントの経営に移行しました。現在もサロンを経営しながら講師の仕事をしています。
アレルギー発症後もネイリストであることを諦めず、ネイルケアと講師業にチャレンジ
――短期間でさまざまな働き方をされていたんですね。
はい。私は3人子どもがいるのですが、妊娠や出産を機に自分が働きやすい環境を作ってきました。
――短期間でこれだけ環境を変えるのは大変だったのではないでしょうか?
そうですね。でも妊娠や出産をしても仕事は続けたかったので、ネイルが好きという一心で乗り越えることができました。
仕事が好きだととくに強く思ったのが、三男の出産前後。ジェルネイルに含まれる成分が皮膚を刺激するネイルアレルギーに突然なってしまったうえに、マンションのプライベートサロンを譲渡する際にトラブルがあり、ネイリストとして仕事を続けられない状況になったんです。
そのときにネイリスト以外の道も検討したのですが、私からネイルを取ったら何も残らないと感じて。ジェルネイルができないのであれば何ができるのか必死で考えました。その結果、ネイルケアと講師業に行き着いたんです。
――ネイルケアと講師業を選んだ理由は?
自分がネイルアレルギーになって初めて地爪自体をきれいにしたりケアしたりするサロンの少なさに気づきました。同じように悩む方や地爪の状態が悪くてネイルができない方にもネイルを楽しんでほしいという思いから勉強をすることにしたんです。私のネイルアレルギーがジェルやスカルプに対してだったので、ケアなら自分の体も気にせずにできるという点もありました。
講師業は前から興味があったのですがサロンワークが忙しくてなかなか挑戦できずにいたのでこれを機に始めようと決意。私と同じようにネイルが大好きな方がずっと楽しく働けるように、ネイリストに向けての収益の上げ方や集客などについて教えています。
ネイリストは人生そのもの。今後もこの仕事を続けていきたい
――その後また自宅サロン、そして現在はテナントを持って経営されているとのことですが、ネイルアレルギーは克服したのですか?
はい。しかし自宅サロンを再開したときは完治していませんでした。ネイルケアもしていたのですが、ジェルネイルをしてほしいというお客様の要望にどうしても応えたくて、手袋を何重にもして施術をしていました。
そんななか、ネイルケアの知識を深めるために医療関係者から体の仕組みを教えていただいたり、栄養学を学んだりして体の内側からきれいにする仕組みを取り入れたんです。内側と外側、両方から爪をきれいにするアプローチができるようになり、いつのまにか私のアレルギーも治っていました。
具体的には食事を改善したこと、講師業が8割、サロンワークが2割でジェルに触れる数を減らしていたこと、産後に低下していた免疫力が徐々に回復したことなどが影響したのだと思います。
たくさん調べたのですが、ネイルアレルギーが治った事例を見つけられなかったので、完治したときはとてもうれしかったですね。諦めずに続けてよかったです。
――そこまでの努力や工夫をしながら仕事を続けられているのはなぜなのでしょうか?
ネイリストという仕事は唯一私が輝ける場所であり、心の支えだからです。3人の子どもを出産し、仕事の量を抑えていたときもありましたが、「母」という肩書き以外の自分を発揮できる場所がネイルしかなかったんですね。
何度も辞めようか考えたことがありましたが、その度に、仕事が楽しい、辞めたくないという気持ちがとても強く、どうにか続ける道を探してきた結果が今につながっています。
――とくに苦労されたことはありますか?どのように乗り越えられたかも教えてください。
なかでも3人目の出産前は苦労しました。ちょうどその頃サロンの譲渡に関してのトラブルで、ネイリストを続けられなくなり、毎日どん底の気分で泣いていたんです。しかしあるとき友人に「もうすぐ3人目の子どもに会えるなんて今が幸せの絶頂期だね!」と言われました。確かに母として妻として家族と一緒に楽しく暮らせる状況なのに、何で私はこんなに苦しいんだろうと。
そう思ったときに、今までネイルに支えられていたことに気づいたんです。気持ちが沈んだときはサンプルを作って気分を上げていましたし、お客様から支持を得ることで自分に自信が持てるようになりました。ネイルがあったから今の自分がある。この仕事は形を変えてでも一生守っていこうとそのとき決意しました。
後編では山内さんが情熱を注ぐ、ネイリストという仕事のやりがいと、「ネイルケアで日本一になる」という目標のために行なっていることをご紹介します。
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nailsalon&school Bloom.s
住所:愛知県豊田市元城町1丁目57CASACEDRDDUE1F
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