美容師への未練から、アイリストの仕事にも向き合えなかった日々 私の履歴書 【アイリスト MEIさん】#1
東京・代官山にある、アイブロウ&アイラッシュとネイルのサロン「howpe(ハウプ)」。東急東横線代官山駅から徒歩約3分と通いやすいこのサロンで、子育てと両立しながら働くアイリスト・MEIさんの履歴書を紐解いていきます。
毛流れの1本1本にまでこだわったデザインや洗練されたセンスで個性を活かした印象的な目元を演出し、限られた出勤日数ながらも美容感度の高い人々から支持を集めるMEIさん。そんなMEIさんが当初目指していたのは、幼い頃からの夢だった美容師でした。
前編では、とある事情で美容師を続けられなくなり、アイリストに転身した経験やその時のリアルな心境についてお話しいただきます。
MEI’S PROFILE
お名前 |
MEI |
---|---|
出身地 |
長崎県長崎市 |
出身学校 |
向陽高等学校 美容科 |
プライベートの過ごし方 |
生まれたばかりの娘と一緒に遊ぶこと |
趣味・ハマっていること |
お花屋さんへ行くこと |
幼少期の原体験をきっかけに、ずっと夢見ていた美容師の道へ

――現在アイリストをされているMEIさんですが、当初は美容師をされていたそうですね。
美容師は、小さい頃からの夢だったんです。
自分がまだ幼稚園児くらいの年齢だった頃に、結婚式場で初めてヘアメイクをしてもらった経験がありました。ヘアメイクと言ってもまだ子供なので、髪を巻いてアレンジしてもらったくらいですが、その時のワクワクした気持ちが忘れられなくて…。そこから、ずっと美容師になろうと心に決めていました。
――「将来の夢」だったんですね。
はい。そのため、中学卒業後には高等学校と美容専門学校のダブルスクールが可能な「向陽高等学校」の美容科に進みました。
ここでは国語や数学といった学科の勉強に加え、提携先の美容専門学校の実習を受けることができるんです。高校3年生の時に国家試験を受験して、美容師免許を取得しました。
――美容師への最短の道ですね! 卒業後は、ヘアサロンへ就職を?
はい。株式会社レスイズモアが運営する店舗の1つ、大阪にあるヘアサロン「LIM(リム)」に配属になりました。
――数あるヘアサロンの中でLIMに出会ったきっかけや、そちらに就職を決めた理由は何でしたか?
LIMを見つけたきっかけはInstagramです。そこで働く美容師さんがおしゃれな人たちばかりで、憧れていました。東京までヘアショーを見学しに行き、大阪で行われた会社説明会にも足を運びました。
LIMの会社説明会では、現職の美容師の方にヘアカットをしてもらえたんです。その時に担当してくださった方がとてもかっこよくて「この人の下で働きたい!」と強く思いました。その時に長かった髪をバッサリと短くして、なんだか自分に自信がついたような気持ちにもなりました。
また、ゆくゆくはヘアメイクの仕事にも携わりたいと思っていたのですが、LIMは撮影現場でのヘアメイクの実績も豊富なサロンでした。そちらへの道も視野に入れられそうなサロンだと思ったことも、決め手の1つです。
――18歳という若さで美容師として社会に出ることに、恐れや戸惑いはありませんでしたか?
今になって思えば、逆に若くてまだ何も知らなかったからこそ、決めることができたんじゃないかな。
当時は、美容師という仕事への夢と期待しかありませんでした。キラキラした部分しか見ていなかった。しかし先輩たちの輝きは、その前に立ちはだかってきた数々の壁を乗り越えてきたからこその姿だったんですよね。
それを想像することができなかったから、この後の出来事が余計につらく感じたのかもしれません。
まさかのドクターストップで美容師を続けられず――アイリストへ転身

――LIMでの美容師としてのキャリアは、どのようなものでしたか?
どこのサロンでも、まずはアシスタントから始まりますが、やはりとても大変でした。LIMはアシスタントのカリキュラムがとてもしっかりしていて試験も厳しかったので、練習に練習を重ねる日々。深夜2時に帰宅し翌朝7時に集合するような毎日で、寝る時間がほとんどありませんでした。
一方で、その大変さと同じくらい楽しくて刺激的でもありました。高いスキルと洗練されたセンスを持つ先輩の美容師たちが髪を触るたび、お客様がどんどん素敵に変身していくんです。目の前でたくさんのお客様たちを喜ばせられる先輩の方々に、日々憧れも募らせていました。
――やはり、美容師のアシスタントの時期は大変なのですね…!
その日生きるのが精一杯の毎日でしたし、怒られることもありましたが、憧れている人たちからの叱責だったから頑張れていました。
美容師を続けられなくなったのは仕事のしんどさからではなく、ここでのサロンワークを始めてから手荒れが悪化し、ついにはドクターストップがかかってしまったからです。
――ドクターストップがかかるほどとは、相当ですね。
手荒れについては比較的早い段階から実感はありましたが…。3年ほど耐え続けた挙句、限界が来てしまいました。
それでも、夢を持ち憧れて入ったLIMを辞めたくはなかった。そこで話し合った結果、LIMのアイラッシュ部門へアイリストとして異動することになったんです。
アイリストに向き合いきれなかった理由は、美容師という夢への未練

――アイリストへの転身には、このような経緯があったのですね。
はい。しかし当時は、技術面やトレンドにおける環境が今とは大きく異なっていました。アイラッシュはパーマの種類が数種類しかなく、主軸のメニューはまつ毛エクステでした。テイストも大人なまつエク、と言った感じのナチュラル志向で、デザインの幅もあまりなかったですね。アイブロウは、施術メニュー自体がまだサロンに存在していませんでした。実は、こちらはコロナ禍以降に広まったメニューなんです。
――確かに、アイブロウ・アイラッシュのサロン環境は、ここ数年で大きく変わった印象です。
そうなんです。当時のそういった状況には、やや物足りなさを感じていました。
また、修行期間の大変さや厳しさなどにおいてもアイリストは美容師ほどではなくて。当時はヘアサロンとアイラッシュ・アイブロウのサロンが同じフロアにあったのですが、美容師としての一緒に入社した同期がアシスタント業務の大変さに苦しんでいる様子が目に入ってきました。その姿すら、私には羨ましかった。
「自分はまだ若いのに、このままでいいのかな。もっと厳しい環境で揉まれたほうがいいんじゃないか」って、アイリストをしながらもずっと考えていました。
美容師への未練が、心の中で燻り続けていたんだと思います。アイリストの仕事にも向き合いきれないまま、結局1年ほどでLIMを退職することにしました。
――辛い経験ですね…。その後は、どうされたんですか?
実は、いつか東京へ行きたいと思っていたんです。以前から、撮影の現場でヘアメイクとして働くことに憧れていたこともあって。上京して、ヘアメイクアップアーティストのアシスタントからやり直そうかな、と考えていました。
そのための資金を貯めようと、大阪に残りアルバイトを4つほど掛け持ちしてひたすら働いていました。しかし、その後すぐコロナ禍になり、バイト先が軒並み休業状態になってしまったんです。
――そのタイミングでコロナ禍とは…。
さすがに落ち込みましたね。心配した長崎の両親からも「一度、実家へ帰ってきなさい」と説得されました。バイトすらできない状態では、東京へ行くことはおろか、大阪にもそんなに長くはいられません。
結局、長崎の実家に戻ることにしました。美容師の夢に敗れた、どん底の気持ちを抱えたまま。
小さい頃からの美容師という夢を叶え、憧れのヘアサロンに就職し、夢と希望に満ちたキャリアのスタートを切ったMEIさん。アシスタント時代は想像を絶する大変さであったものの、尊敬する先輩たちの下で頑張っていました。そんな折、手荒れの悪化によるドクターストップで美容師を続けられなくなってしまい、アイリストへ転身します。しかし、美容師への未練からアイリストの仕事にも向き合いきれず、コロナ禍も追い打ちをかけ、大阪を離れて実家の長崎に戻ることになりました。夢破れ、失意のどん底にいたMEIさんは、一体どのようにして立ち直っていったのでしょうか。後編は、MEIさんの再起の物語です。
撮影/野口岳彦
取材・文/勝島春奈